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Net『月刊現代』
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「小泉王朝」は日本をどこに導くのか
これが自民圧勝を演出した広報戦略だ
コミュニケーション戦略チーム
特命チーム”情報戦”工作の全貌
鈴木哲夫(ジャーナリスト)
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「絶対笑わないでください。笑顔を見せてはダメです」
9月 11日夜。歴史的な大勝利をおさめた自民党の党本部。午後9時を過ぎたあたりから、NHK・民放テレビ各社の総選挙特番は、党本部の会見室と中継でつなぐ。各局の呼びかけに応じて安倍晋三幹事長代理、武部勤幹事長、青木幹雄参院議員会長、そして小泉純一郎首相らが会見のために次々と登壇する。ところが、その幹部らを直前に一人一人呼び止めて「笑わないで」と声をかけ続ける男がいた。今回の選挙のために党内に設置された「コミュニケーション戦略チーム」の責任者である世耕せこう弘成・参議院議員である。
「このままいくと単独で過半数、いや300にまで届く勢いです」
幹部に迫るその表情は厳しかった。
「怖いのは反動です。嬉しくて冗談のひとつも言いたい気分でしょうが、大勝したとたんに気が緩んだと、国民には映ります。謙虚に謙虚に、責任の重さを痛感していることをアピールしなければダメです。有頂天になっていたら、今日、われわれに投票してくれた無党派層は、明日から反自民・民主支持に変わってしまいますよ」
「わかった」
「はい。じゃあ、行きましょう。いいですか。絶対笑ってはダメです」 たしかに、この夜、テレビに映る自民党幹部たちはほとんど笑わなかった。とりわけ小泉はそうだった。その様子をテレビの解説者は「(硬い表情は)責任の重さを痛感しているのだろう」と伝え、翌日以降の新聞・雑誌も「予想以上の勝利に対し、結果を出さなければという重圧と責任感を感じていた」などと形容した。勝利に浮かれることなく、真摯に政権運営に臨のぞむ――という真面目な自民党のイメージが国民に伝わり、まさに世耕らの狙い通りの展開になったのだった。
特命チームとは何か
「コミュニケーション戦略チーム」(以下、コミ戦)――。
今回の選挙戦術において、自民党は結党以来半世紀にわたって培つちかってきた伝統的な戦術や常識を覆すような手法を初めてとりいれた。解散直後に、この「コミ戦」という特命チームを立ち上げ、後述するような戦略的な広報・宣伝活動を行ったのである。このチームを組織し、統率した責任者が世耕だった。
世耕は、 98年に参院初当選を果たす前は、NTTでおもに広報畑を歩んできたサラリーマンだった。米国留学中に企業広報の学位も取得した、いわば「広報のプロ」だ。その世耕が永田町に来て最初に驚いたのが、「総理大臣が丸裸だったこと」だという。
「官邸に行ったら、森さん(喜朗前首相)の周囲を記者が囲んで立ち話――いわゆる“ぶら下がり”をしていた。一国のリーダーの言葉は、国益を左右するほど重大なものなのに、その会見をサポートする者が首相の側に誰もいない。これは大変なことだ……と」
NTT時代の世耕であれば、たとえば社長があるパーティに出席する場合には、参加者はどんなメンバーか、マスコミは来ているか、その場合どんな質問が予想されるかなど、事前にあらゆるデータを収集する。その上で、社長専用車の中で社長にレクチャーを行い、現場では常に側にいてチェック――という態勢を組んでいた。トップのメッセージや行動は、その企業の存続すら左右しかねないからだ。
官邸や自民党に、戦略的・総合的なコミュニケーション(広報・宣伝・PRを含む)部門を立ち上げる必要があると考えた世耕は、2001年、首相に就任したばかりの小泉に直訴した。
「官邸の広報体制や危機管理には戦略的な専門スタッフを置き、世論調査などのデータを集め、対処していくべきだ」と説いたのである。だが、小泉の反応は鈍かった。
「世論調査だ、データだというが、そんなものに頼っていては、たとえば(田中)真紀子外相を切れるか? 政治は直感とか信念とか覚悟なんだよ」
世耕は諦めなかった。自民党改革実行本部の事務局次長を務めながら、コミュニケーション戦略統括委員会を作り、結党 50年のイベントやロゴ、プレスリリースの作成、あるいは補欠選挙の候補者の演説チェックなど、地道な作業を続け、機会チャンスを待った。そこへ降って湧いたのが今回の突然の解散・総選挙だったのである。
8月8日の解散。世耕は党改革実行本部の上司である安倍に直訴した。
「こんなバタバタで、広報責任者がいませんよ」
「お前やれ」
「権限がなくてはやれません」
「じゃあ今日から広報本部長代理だ。武部さんには言っておくから」
次に世耕は、その足で飯島勲首相秘書官のもとに向かった。官邸の了解を取っておく必要があると思ったからだ。
「飯島さん、今後幹部を含め、みんな党本部を留守にすることになる。司令塔がいなくなる」
「そうだなあ」
ちょうど幹事長の武部もいた。
「君には全部首を突っ込んでもらって司令塔になってもらう」
「じゃあ、広報本部長代理では弱い」
「それじゃあ幹事長補佐だ」
「そんな職はないでしょう」
「オレが決めたから、あるんだ」
コミュニケーション戦略を円滑に行うには、権限なくしては進められない。世耕は思惑どおり、その権限を掌中に収める事に成功した。
解散からわずか2日後の8月 10日、コミ戦は早くも活動をスタートさせた。メンバーは責任者の世耕のほか、幹事長室長、自民党記者クラブ(平河クラブ)で記者と接する党の職員、政調会長秘書、広報本部職員、遊説担当職員、情報調査局職員、そして今年1月より、自民党が契約している広告代理店「プラップジャパン」のスタッフで構成された。
それまでの自民党の選挙広報戦略は、縦割りでバラバラだったと言ってよい。たとえば、広報本部は一説には一回の選挙に十数億とも言われる資金を使ってポスターや広報誌を作る。一方、選挙応援などは、幹事長室が中心となって決める。これでは党全体としての戦略は立てられない。組織内の壁を取り払い、全権限をコミ戦に集中させ、全体的な広報宣伝戦略を担う――それこそが世耕らの狙いだった。
発足した 10日以降、毎朝10時からコミ戦の会議は開かれた。短くても1時間、長いときには2時間。テーブルの上には、毎日、前日分の膨大なデータが山のように積まれた。マスコミ各社の世論調査、プラップジャパンが独自に行った調査、あらゆるマスコミの選挙報道、自民党幹部が出演したテレビ番組のビデオテープ……。それらのデータをすべて読み合わせた上で、広報宣伝戦略を練っていたのだった。
さらなる詳細について、世耕本人は「手の内は明かせない」と語る。だが、関係者への取材を続けるうちに、その驚くべき内容が少しずつ明らかになってきた。それではいよいよ、コミ戦が行ってきたコミュニケーション戦略の全貌を見ていくことにしよう。
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作られたセリフ
「本籍も移しました。この静岡7区に骨を埋めます」
女性“刺客”候補の一人である片山さつきが街頭で繰り返し繰り返し訴えたこのセリフは、実はコミ戦が考案して彼女に“言わせていた”ものだ。
女性刺客候補のほとんどを選定したのは小泉首相とその周辺だが、選挙戦をいかに演出するかはコミ戦の最重要テーマだった。注目を集める刺客候補ならばなおさらのことである。
財務官僚出身の片山はミス東大、初の女性主計官など、経歴の話題性は十分。しかし、コミ戦にとっては、いまの世論、とりわけ静岡7区の有権者がリアルタイムで彼女をどう見ているかだけが重要なのだ。
片山が候補に決まった8月 11日、夜のテレビニュースが放送された直後に、自民党の情報調査局に一本の電話が入った。年配の有権者からだった。
「あの髪型が気になる。古くさいし、清潔感に欠けるのではないか」
さらに週刊誌が片山のプロフィールを書き立てた直後、再び調査局には別の有権者から電話があった。
「ブランドもののバッグとか、印象が良くないね」
党本部内にある情報調査局は、党員や一般人からのクレームを受け付ける、いわゆる「苦情センター」のような部門である。だが、「たった一本の電話でも、データとして戦略の議論の対象とする」ことを世耕は重視し、調査局の人間をコミ戦のメンバーにも抜擢した。
さらにコミ戦を憂慮させたのが、選挙区が静岡7区に決まった直後の彼女のテレビインタビューだった。郵政民営化法案に反対票を投じ、無所属出馬となった城内実は、番組の中で「自分は地域密着」「片山は落下傘候補」と訴えていた。これに対し、片山はこう応じたのである。
「向こうが地域密着を訴えても私はいいんです。私は小泉総理に選ばれたんです」
――静岡にはいつ入るのか。余裕があるように見えるが?
「私はマイペースです」
テレビを見た静岡在住の年配の党員から、やはり調査局に電話があった。
「あれじゃ、選挙区の人間は誰も応援しないぞ」
ただちにコミ戦で“片山戦略”が議論された。 「髪もブランド品も対処したほうがいい。一人が感じているということは、放っておけばいずれはあっという間に広まる」「城内はひたすら地域密着を強調するだろう。このまま地方対中央という対立構図を作られてしまったら政策選択という争点以前にやられてしまう。まずは片山を同じ土俵に上げる必要がある」
「候補者」誕生
世耕は、「どうすべきか」をペーパーにまとめた上で、静岡入りする直前の片山に一対一で会った。
「小泉さんに選ばれようが、そんなことはどうでもいい。変な理屈を言うべきではない。あなたも地元を大切にするという姿勢を示さなければならない。『骨を埋めます。戸籍も移しました』の一本でいくように。髪型もすぐ変えて。ブランド物は厳禁だ」
「どうして、そこまで言われなきゃならないの!」
1時間以上に及んだ話し合いの中では片山が激しく憤る場面もあったが、最後は世耕が押し切った。
その翌日からである。候補者「片山さつき」は、外見も話す内容もがらりと変わった。冒頭の「骨を埋める」発言を連発するようになり、髪型も服装もそれまでとは明らかに変わり、彼女は“地元が親しみやすい候補”として支持を集めるようになっていく。
岐阜1区の佐藤ゆかりも同様だった。佐藤は岐阜の候補に決まった直後、インタビューでこう語っている。
「飛騨の白川郷には旅行で行ったこともあります。とてもいいところで大好きです」
この発言について、コミ戦の会議では「ただちに修正が必要」との結論が出た。野田聖子との板挟みで神経質になっている自民支援者にとって、旅行程度の中途半端な「縁」を強調すれば、間違いなく強い反発を買う。議論の末、コミ戦が彼女に用意したのは次のセリフだった。
「この岐阜に嫁ぐつもりでやってきました――」
新幹線を乗り継ぎ、佐藤が選挙区入りした第一声がまさにこの言葉だった。その後も佐藤は、いたる場所でこのフレーズを忠実に繰り返している。
コミ戦の考え出したセリフだけで、片山が小選挙区で勝ち、佐藤が野田に肉薄したとは思わない。だが、客観的、組織的に危機管理を行う重要性を自民党の選挙現場に植え付けたことは間違いない。執行部経験のあるベテラン議員は言う。
「候補者が何かまずいことをした場合、今回のように本部が客観的な情報を含め、的確にアドバイスを授けるというやり方は、結果的に支持者離れを食い止め、票の減少に歯止めもかけられる」
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マスコミを味方に
ここ数年、選挙のたびに自民党はマスコミ、とりわけテレビとの関係をこじらせた。「民主党に偏っている」「自民党を批判しすぎている」といった具合にだ。だが、支持率の低下をなんでもメディアのせいにしてしまう自民党内の空気を、世耕は常々間違っていると感じていた。
「マスコミに対しての総合的な戦略が欠けていることが問題だ。むしろ、マスコミをどう味方につけ、演出していくかが重要だと思う」
前述したように、毎朝、コミ戦会議のテーブルに積まれたデータの中には、前日発売された新聞・週刊誌の選挙関連記事がある。この一言一句をメンバー全員で読み合わせるのである。
「この評論家のコメントだが、彼は自民党には好意的なのに、今回の郵政のくだりの事実関係が多少違っている」
すぐにスタッフ2人が資料を携えて、その日のうちにくだんの評論家に会い“ご進講”を行う。
「この政治面の記事は事実関係に誤解がある」
やはり、すぐさま2名のスタッフが記者クラブに出向き、当該紙のキャップに「事実関係はこうなんですよ」と説明を行う。コミ戦のメンバーに近い関係者が証言する。
「これまで自民党が行っていた抗議とは明らかに違います。『ご説明させてほしい』と、紳士的にやりとりする。後の信頼関係にもつながるし、今後の記事で気をつけて書いてくれるようになりさえすればいいんです」
テレビに対しては、さらに戦略的に対応した。コミ戦が発足した 10日直後には、すでにテレビ出演を行う幹部のスケジュールが綿密に立てられていた。
〈第1週は、安倍幹事長代理を中心に。第2週はマニフェストも出始めるから政策に強い与謝野馨政調会長や竹中平蔵郵政民営化担当相。第3週から公示にかけて、いよいよ武部幹事長や小泉首相を登場させる……〉
放送された番組は、すべて幹部が何を話したかまで細かくチェックし、問題があればすぐに修正してもらう。また、ある幹部が年金問題について弱ければ、事前にコミ戦からメンバーを派遣し、年金問題についてレクチャーするといったようなことも行った。
逆にテレビを使って“攻める”ことも実践した。
〈民主党の出演は菅直人だという。ならば、こちらは論客で、かつ冷静に笑顔で対抗できる竹中をぶつける。竹中が淡々と説明していれば、“イラ菅”と言われるほど短気な菅は我慢できなくなって興奮する。竹中は視聴者に好印象を与えることができる〉
〈民主党の川端達夫幹事長はテレビ慣れしていない。テレビ局から討論会の出演依頼があった場合、「こちらは武部を出すから、民主も幹事長を出さなければバランスが取れない」と交渉し、川端幹事長をテレビに引っ張り出す〉 民主党が聞いたら怒り出すような、こんな「議論」がコミ戦では積極的に行われていた。今回の選挙で、いかに自民党が組織的、戦略的にメディアを味方につけようとしていたか――その好例であろう。
追いつかれつつあった自民党
ほぼ思惑通りに、広報宣伝戦略を推し進めていたコミ戦。だが、一度だけ党の存亡に直結しかねないほどの大きな決断を迫られたことがある。表向きには、一貫して自民有利に流れていたかのように見える選挙戦で、実は大きな“潮目”が訪れていたのだった。
公示日の8月 30日を目前に控えた28・29両日、コミ戦が毎日極秘に実施していた有権者の意識調査が衝撃的な結果を出してきたのである。それは、
「国民の関心事は、それまでは『郵政』がダントツだったのに、この二日間で『年金』が肉薄、日を追うごとに差が狭まりつつある」
という内容だった。
8月末までは小泉の“郵政戦略”が奏功し、世論調査でも改革イメージを前面に押し出した自民が民主を大きくリードしていた。ところが、民主党が「すべての年金一元化」をマニフェストに明記し、地道に争点として訴え続けた結果、造反・刺客騒動に飽き始めた有権者の心に徐々に響きつつあったのである。
「年金が郵政を超える。民主に追いつかれ、追い越される選挙区がボロボロ出てくる」
コミ戦の議論は緊迫し、時折、部屋中を重苦しい空気が支配した。そしてついに 29日、コミ戦のメンバーは「年金」にシフトする準備にとりかかることを決断したのだった。
これまでの郵政一本から年金に一気に変更しなければならない。ポスターも新聞広告も、候補者の訴えもすべてである。しかも年金という争点を自民党が国民に強くアピールするためには、それなりのタマも必要だ。だが、今から新たに盛り込むための政策を政務調査会で党内論議する時間はない。
ここで世耕は勝負に出た。なんと、それまで〈厚生年金と共済年金の一元化を目指す〉とされていた自民党の公約を独断で修正し、〈一元化は来年秋に実現する〉と時期を明記した新たなマニフェストを作ったのである。コミ戦の関係者がそのときの様子をふりかえる。
「マニフェストの変更案は執行部にも相談しなかった。小泉さんにも言ってない。いよいよ郵政から年金に切り替えるというときに、この新マニフェストを世耕さんが官邸に持って行って、『これをやらなければ自民は負けます。呑んでください』と直談判するつもりだった。小泉さんがそこで『ノー』と言えば、メンバー全員が責任を取るハラを決めていた。われわれは、この案を“年金ダマ”と呼んでいました」 マニフェスト、特に政権与党の場合、政策に時期や目標を織り込むことは大変な重みを持つ。実現できなければ即政権の責任問題に発展するからだ。一元化をうたいながら期限を明示していない民主のお株を奪う大胆不敵なプランだった。
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幻のマニフェスト
公示翌日の8月 31日。コミ戦のテーブルに載った前日の有権者の意識調査では、関心事が再び年金から郵政に戻っていた。「公示日の党首第一声や、NHKの党首討論番組などで、郵政を主張する小泉総理の露出が際だち、大きく影響した」というのがコミ戦の分析だった。郵政民営化で突っ走るか、年金ダマに替えて斬新さを打ち出すか。9月に入ってもコミ戦の議論は侃々諤々。そして最終方針を決める9月5日のコミ戦会議――。
「公示以来、国民の関心事は1位郵政、2位年金で変わっていない」
「いや、民主は最後の1週間、年金と子育てに絞ってくる。いつ逆転されるかわからない。自民の中には大勝ムードで弛ゆるんでいる陣営も多い」
そこに、コミ戦メンバーの一人で、ベテランの党職員がこう言った。
「橋本総理の時のこと(= 98年の参院選・筆者注)を思い出すべきではないか。あの時、減税で発言がぶれたのがちょうど投票の1週間前で、大勝と言われながら結果は大敗。ここまで集めたデータで郵政が1位という結果が出ている。最後までぶれないことが大事だ」
この一言が、コミ戦の方針を決めた。最後の新聞広告「郵政、賛成か反対か」を発注し、年金ダマは文字通り“幻のマニフェスト”と化した。最終方針を決定した後、世耕は小泉に報告した。
「総理。最後まで郵政一本でいくべきだというのがコミ戦の結論です」
「分かった」
そして、小泉は世耕に付け加えた。
「(コミ戦とは)重要な仕事だなあ」
その夜、自民党の選挙対策会議が行われ執行部が勢揃いした。激戦区や選挙協力を行う公明党から小泉応援の要請が殺到していたため、最後の1週間で小泉がどの選挙区に入るかを決めるための会議でもあった。その席で小泉はこう言い切ったのである。
「最後の1週間(で応援に入る場所)は、データでやってくれ。義理人情はやめてくれ。情では回らない」
その場に居合わせた世耕は、感慨深い思いにとらわれたという。 「コミュニケーション戦略を直訴した4年前、小泉さんはデータでなく、信念や直感だと言った。しかし、今回のコミ戦の仕事を見て、理解を深めてくれたのではないかと思う」
ファクス通信と身辺調査
このほかにもコミ戦は多様な戦略を実験的に行っている。そのうちのいくつかを列挙してみよう。
● 60通のファクス通信
選挙期間中、候補者は朝は駅頭に立ち、街頭を分刻みで回り、夜も個人演説会をハシゴ……と、超過密のスケジュールが組まれており、新聞やテレビを見る時間がない。そこでコミ戦では、「株価が昨日、さらに上がりました。小泉構造改革が実を結び、景気を回復させたのです」といった具合に、時事問題をコンパクトにまとめたペーパーを作り、全候補者の選挙事務所に送り続けた。その数なんと 60通。
「短くまとめられているので、演説などで役に立ちました。それと、党本部が自分のことを忘れていないんだなあという一体感のようなものがあった」(東京で当選した自民党候補者)
●全候補者の身辺調査
「身辺調査」といっても、要は各議員からの聞き取りによる人脈調査である。たとえば、加藤紘一元幹事長は蕎麦屋の団体と親しいとか、森前総理はトランポリン協会とつきあいがあるとか、そういう意外な情報をコミ戦が集めた上で、激戦区の蕎麦屋の団体に、加藤氏から一本支援の電話を入れてもらいたい、森氏にはトランポリン協会に電話を……ということをコミ戦が頼みにいくシステムを作った。これまで議員個人レベルでしか活用してこなかった人脈を、コミ戦が集中的・一元的に管理し、党全体の戦略として大いに利用したのだった。
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“世論誘導”のおそれはないか
今回の選挙の隠れた功績が認められ、コミ戦は選挙終了後も解散せずに、今後週1回のペースで継続して会合を行うことを武部幹事長は了承した。もっとも、党内の一部のベテラン議員、ベテラン職員からはコミ戦に対する強い反発があることも確かだ。
「データがすべてではない。政治は人間が行うものだ。時には情で動くことも大事だ」(自民党元議員)
「コミ戦のメンバーの中には、選挙経験も浅く、若い者も多い。それが幹部にあれこれ指示するというのはいかがなものか」(自民党職員)
世耕は、こうした批判は“織り込み済み”だと意に介さない。
「今回、どさくさ紛れで好きにやってやろうと思ったのだから、批判も当然覚悟してますよ(笑)。でも、成果は確実にあったし、新人や若い候補者からは感謝もされた。一歩は踏み出せた」
それにしても――。今回の取材を通じて選挙の舞台裏で起こっていた真実をつかむたびに背筋が寒くなる思いを幾度かした。実は戦略的に練り上げられた刺客候補のセリフ。同じく戦略的に仕掛けられたテレビ出演。そしてそれに気づかず報道していたマスコミ。その情報をそのまま受け取る有権者たち。世耕の広報戦略の根幹にある思想は、性善説に基づくもので、筋はそれなりに通っている。曰く、「政治には、世論の動向をいち早くつかみ、最悪の状態を脱するための“危機管理”が必要。コミュニケーション戦略は決して世を騙したり、嘘をついたりするものではない。国のトップや政党の考えを正確に伝えるための戦略」なのである。
だが、自民党という強大な政権与党が、仮に悪意を持って、党が一丸となって広報戦略を仕掛けてきたときに、世論が政党に都合の良い方向へ誘導される危険が生じる可能性も否めない。今回敗れた民主党も次回からは本格的なコミュニケーション戦略を行ってくるだろう。その場合メディアは、取材者がいかにその意図を見破り、現場で真偽を確認し、是々非々で報道する力を持てるかが試されることになる。
今回の選挙の最大の特徴は、自民党大勝にあるのではない。ジャーナリストの立場から自省もこめて総括すれば、コミ戦という広報戦略が今回確立されたことで、今後の選挙は候補者の一挙一動や政党の主張にもっと目を光らせ、世論誘導を監視していくという、新たな覚悟を迫られることになったのではないかと思うのである。
(文中一部敬称略)
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あおき・なおみ 1970年千葉県生まれ。週刊誌のライターなどを経てフリーに。医療、病院情報をはじめ、日本の伝統文化などを幅広く取材
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