★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK16 > 453.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
10月29日(土)
2人3脚で進む改憲準備と米軍基地の再編
在日米軍基地の再編・強化に向けて矢継ぎ早の要求が出され、これを政府が唯々諾々と「歓迎」して受け入れている折もおり、自民党によって現行憲法を大幅に改定する「党新憲法草案」が明らかにされました。在日米軍の再編・強化と自衛隊をめぐる法的・制度的枠組みの変更とのコラボレーションによって、「戦争できる国」への大転換が図られようとしています。
自民党は、現行憲法の平和理念が維持されるかのように言っていますが、それは、イラク戦争の開戦に当たってブッシュ米大統領がついたのと同じ大嘘です。言葉の上では痕跡が残っているものの、実質的には平和理念など完全に吹っ飛ぶものとなっています。
今回の草案について、「何を実現したいのか不明確」「その意図がよわからない」などという論評があります。とんでもありません。これほど、「何を実現したいのか」その「意図」が明確な案はありません。
自民党の改憲案では、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」という前文の文言が削除され、これに代えて、新たに、国民に「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」が盛り込まれました。現行憲法第9条第1項の戦争放棄条項は維持されましたが、第2項の戦力保持の禁止と交戦権の否認が削除され、「自衛軍を保持する」ことが明記されています。
自衛軍の活動としては、その名称にも関わらず、「国際的に協調して行われる活動」を行うとして海外派兵ができるようにされています。自民党はこの条文なら集団的自衛権の行使は可能だとしており、海外でアメリカと共に戦うことができるようになります。
「護憲派」で知られる宮沢喜一元首相は、この案について「予想したより、はるかに穏やかなものが出てきた」と述べています。この内容なら、現状はあまり変わらないと言いたいようです。
一般的にも、意外なほど「自民党らしくない」という評価があります。中曽根康弘元首相などの「復古派」を抑えて、他党との合意を重視する「協調派」が主導権を握ったからだという評価です。
「独自の主張を抑えて、実現可能性を追求した」というのは、その通りでしょう。しかし、だからといって、この改憲案は「それほど危険なものではない」とは言えません。
「自衛隊を本物の軍隊として、アメリカ軍と一緒に戦えるようにしたい」「海外で戦争できるような体制を整備したい」という目的は、明瞭に貫徹されているからです。
そのような目的がなければ、「軍事に関する裁判を行うため、……下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」(第76条3項)などという規定は必要ありません。これは、明らかに戦争遂行のための準備です。
つまり、今回の改憲案は、「戦争できる国にする」という目的を実現するための「一点突破作戦」を意図したものです。「これだけが実現すれば、後はどうでも良い」ということなのでしょう。
「このような改定は、自衛隊の現状に憲法の規定を合わせるだけで実態は変わらないのではないか」という誤解があります。これも大間違いです。「自衛軍」とされ、正式の軍隊になれば、自衛隊は大きく変貌するからです。
今日の『東京新聞』の社会面には、「軍隊となれば部隊や階級の呼称が変わる。例えば駐屯地の看板は『普通科連隊』から『歩兵連隊』になる。子供たちは親の職業を聞かれて『一等兵です』などと答えるのだろうか」という「現職の幹部自衛官たち」の声が報道されています。おそらく、防衛庁は直ちに「防衛省」に格上げされることになるでしょう。
「専守防衛」「GNP比1%枠」「非核3原則」「武器輸出3原則」など、平和憲法の下で整備されてきた「憲法9条の体系」は、アッという間に放擲されるでしょう。というより、現状でさえ危うくなっているこれらの国是や原則の「壁」をうち破るために提案されているのが、今回の改憲案にほかならないのです。
そうなれば、日本の「軍隊」が現状以上に増強されることは明らかです。ここで強調しておかなければならないことは、戦争放棄と戦力不保持を定めた「平和憲法」の下でさえ、自衛隊は世界有数の軍隊となっているという事実です。
以前、このHPでも紹介しましたが、2003年6月にストックホルムの国際平和研究所(SIPRI)が02年の日本の軍事支出はアメリカに次いで世界第2位だと発表して大きな衝撃を与えました。2004年には、米(4553億ドル)、英(474億ドル)、仏(462億ドル)、日(424億ドル)、中(354億ドル)と順位が変わりましたが、それでも第2位グループに入っていることは明らかです。
つまり、中国、ロシア、韓国、北朝鮮のいずれの国よりも、日本の軍事予算は多いということになります。ハイテク化された近代的な装備と在日米軍の存在を考えれば、軍事的実力において、これらの国々を遙かに凌駕していることは明らかでしょう。
自衛隊と在日米軍をあわせた軍事的実力が周辺諸国の軍事力を遙かに上回っていることは、多くの国民に全く理解されていません。日本にとっての北朝鮮軍以上に、北朝鮮にとっての日米両軍の方が、はるかに大きな「脅威」と映っているのです。
2004年の北朝鮮の軍事費は2790万ドル(『朝鮮日報』2005年10月5日付)で、戦争になれば対峙するであろう日米両国の軍事費4977億ドルの0.006%にすぎません。今日においてすでに達成されている日本における軍事力のこの巨大さが、多くの国民には全く認識されていません。
このように、自衛隊はすでに巨大なモンスターとなっていますが、「平和憲法」という鎖につながれています。この鎖を解き、モンスターを世に放とうというのが、今回の改憲案なのです。
多くの国民は平和と安全が保たれることを望み、改憲がそのために役立つものだと誤解しています。アメリカは正義の軍隊ではなく、大統領すら大嘘をつく信用できない国であるということを、この間の経緯から学ばなかったのでしょうか。
そのような国の要請に応じて、さらなる軍事大国化と戦争国家をめざすことが、自民党改憲案の狙いです。それが、世界の平和と安全に貢献することになるのでしょうか。
アメリカ版の「軍事的安全神話」から、1日も早く抜け出さなければなりません。そうしなければ、日米両国が手に手を取って「世界の孤児」となる道を歩むことになるでしょう。
自民党改憲案についての論評は、明日も続きます。
10月30日(日)
自民党改憲案におけるその他の問題点
「安保体制」の負担と危険性をこれほどはっきりと示すものはない、と思いました。外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で示された在日米軍再編に関する「中間報告」についての記事を読んだからです。
「中間報告」では、「同盟の能力向上」が掲げられていますが、要するに「一緒に戦争しよう」というものです。それも、米軍の下働きとして、日本の安全とは無関係な戦争を……。
「先制攻撃」を企んでいるアメリカは、戦争の一部を自衛隊に「下請け」させようとしています。そのための在日米軍の再編であり改憲準備だということは、この間の経緯からはっきりしてきました。
それを避けるには、「安保体制」から抜け出さなければなりません。基地の負担や戦争への協力を拒もうとすれば、安保条約自体を問題とせざるを得ない状況が生まれきているということになります。「安保廃棄」、あるいは少なくとも「駐留なき安保」が、再び運動の課題として浮上してきているということでしょうか。
ということで、自民党改憲草案に対するコメントを続けることにしましょう。昨日のHPで、「今回の改憲案は、『戦争できる国にする』という目的を実現するための『一点突破作戦』を意図したものです。『これだけが実現すれば、後はどうでも良い』ということなのでしょう」と書きました。
実は、必ずしもそうではありません。今回の改憲草案には、それ以外にも見過ごすことのできない点がいくつかあります。
目についた限りで、今回の自民党改憲案で問題になるであろう点について、指摘しておくことにしましょう。
第1に、現憲法の「公共の福祉に反しない限り」が「公益及び公の秩序に反しない限り」と書き換えられていることです。公共の名による人権の制限が、拡大する恐れがあるということになります。
公共事業や地域開発などで裁判になったとき、「公共の福祉」はしばしば「公の論理」として開発を手助けしてきました。それが「公益及び公の秩序」とされることによって、さらに「公の論理」を助けることになるのでしょうか。それとも、住民の利害や人権を守ることに益するのでしょうか。
このような規定に変われば、おそらく裁判での住民側敗訴が増えることでしょう。というより、そのための「公の論理」の拡大なのではないでしょうか。
第2に、@障害者の権利、A自己についての情報に関する保障、A国が国政上の行為を説明する責務(知る権利)、C国の環境保全に対する努力規定(環境権)、D犯罪被害者の権利、E知的財産権などが、「新しい人権」として具体的に規定されたことです。一見すると、前に書いた「公の論理」の拡大に反するように思われます。果たして、そうでしょうか。
ここで問われるのは、人権を守るためには一般的包括的な規定の方がよいのか、個別的具体的な規定の方がよいのか、ということです。裁判になったとき、どちらの方が人権を守るために有効でしょうか。
この規定にあてはまる場合には、文句なく後者の方が有効です。が、そこには広がりがありません。規定に当てはまらない微妙な問題であったり、新たな問題が生じたりした場合には、人権規定の効力が及ばない可能性があります。というより、人権保障の広がりを避けるために、具体的な例を挙げて制限したのではないかという疑いがあります。
第3に、「国及び公共団体」が「行ってはならない」のは、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動」だとして、一定の「範囲」についての例外を設けたことです。地鎮祭での地方自治体の公金支出や靖国神社への参拝、玉串料の支出などは、「社会的儀礼又は習俗的行為」であって許されることになります。
この問題では、愛媛玉串料公費支出違憲判決やつい最近の大阪高裁での靖国神社参拝違憲判決などがあります。自民党としても、これらの判決を無視できなかったのでしょう。
だから、憲法で例外規定を設けて合憲にしようというわけです。逆に言えば、そのような例外規定のない現憲法の下での靖国神社参拝は憲法違反だということを認めたことになります。この改憲案の条文を、小泉首相はどう受け取るのでしょうか。
第4に、「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」として、「自衛軍」の活動に新たな役割が付け加えられていることです。憲法第9条第3項は、「自衛軍」の海外派兵を認めただけでなく、密かにその「治安出動」をも認めていたことになります。
1960年の安保闘争に際して、当時の岸信介首相が自衛隊に治安出動を求め、赤城宗徳防衛庁長官がこれを拒否して事なきを得たのは良く知られています。今回の改定案が実現すれば、この岸首相のような要請は即座に実行されることになるでしょう。
こうして、自衛隊は「軍」として格上げされるだけではありません。国の外と内に対して、凶暴な牙をむく恐るべき存在となることでしょう。
第5に、新たに政党条項を設け、「国は、……その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」としていることです。国家が「その活動の公正の確保及びその健全な発展」のために、政党のあり方や活動に介入できるということになります。
政党助成金を受け取っている今日の政党(共産党を除く)は、すでに国家によって養われているようなものです。その上、「政党に関する事項は、法律で定める」として、「政党法」の制定まで目論んでいるのが、この改憲案です。
本来、政党は国家権力から自由であり、市民社会に根をもつものでなければなりません。国家による介入と政党法による規制は、本来の意味での政党の死滅を意味するでしょう。
第6に、憲法の改正手続きについて、「各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決」として、3分の2よりも緩和していることです。「やっぱり」と言いたくなります。
改正の難しい「硬性憲法」から、簡単に改正できる「軟性憲法」への転換です。好きなときに、好きな形で、憲法を変えていきたいということなのでしょう。
改定手続きを簡単にすれば、今回の改定ですべてを実現する必要はないでしょう。今回の改定案が、「限定的」で「穏やか」なものとなったのは、そのためかもしれません。
以上、6点にわたって問題点を指摘しましたが、これ以外にもあるかもしれません。皆さんで、大いに議論していただきたいと思います。
何しろ、憲法は国の基本法なのですから。それがどうなるかによって、国の前途も私たちの生活も大きく変わってしまうのですから……。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK16掲示板