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A級戦犯の合祀に関する名簿送付について「当時は知らなかった」と証言する元厚生事務次官の牛丸義留氏=佐賀市で
東条英機元首相らいわゆる「A級戦犯」の靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省(現厚生労働省)の元事務次官らが、一九六六(昭和四十一)年に同省援護局(現社会・援護局)の課長名で東条氏ら十二人(後に二人を追加)の名簿を神社側に送ったことについて「当時は知らなかった」と証言した。七八年のA級戦犯合祀の前提となる同省の行政手続きをめぐる、当時の省首脳の証言は初めて。
元同省職員も「一般戦没者と区別なく課長補佐が課長の代決(代理決裁)をしていた」と説明した。
後に社会問題となる重要案件が、全省的な検討を経ずに旧陸軍出身者を中心とする同省内の現場レベルで進められていた実態が浮かび上がった。
戦没者の合祀は通常、旧陸海軍の名簿を持つ旧厚生省側が「祭神名票」と呼ばれる書類に氏名や所属などを記載して神社側に送付。これを基に、神社側で合祀基準に当てはまるかどうかを審査して行われた。
厚生省内の決裁責任者は陸軍関係では「調査課長」、海軍関係では「業務第二課長」とされ、後に問題になったA級戦犯の場合も、一般戦没者と同様の手続きが取られていたという。援護局は旧陸海軍の流れをくみ、局次長を筆頭に軍出身者が多く在籍。特に調査課と業務第二課は、軍出身者が多い独特の部署だった。
A級戦犯をめぐる神社側への協力について、祭神名票が送られた六六年二月当時、旧厚生省の事務次官だった牛丸義留氏(90)は「(是非の)判断を厚生省の中で議論したことはない。援護局の中の問題だ」と証言。「厚生省の中の一部の軍関係の人たち(援護局内の担当者)が送ったというだけ。厚生省が主語とは言えない」と述べた。
当時、同局援護課長だった藤森昭一・元宮内庁長官(78)は「所掌上、知る立場になかった」と述べ、同じ局内でも情報がなかったことを認めた。
援護局内の一部だけで手続きを進めた理由について、牛丸氏は「文官系統(省の幹部)に相談したらうるさくなってくるから」と推測。「軍人出身者(の援護局職員ら)は、A級戦犯に対し『悪くないのに東京裁判で戦犯にされたのだから合祀すべきだ』と感じていたようだ」と話した。
一方、当時、援護局に在籍し、後に海軍関係の祭神名票の事務を担当した元中堅幹部は「通常業務の一環なので、あらためて上司に説明したり、了解を取ったりする必要はなかった」と解説。戦犯も含めて担当者レベルで手続きを進めていた実態を明らかにした。
A級戦犯の祭神名票を送られた靖国神社は、七八年秋の秋季例大祭前に合祀に踏み切った。旧厚生省も神社側も祭神名票の送付や、合祀の事実を公表しなかったが、翌年四月の報道で表面化し論議が続いている。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20051031/mng_____sya_____004.shtml
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