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http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%bb%d6%a4%a2%a4%eb%a4%e2%a4%ce/0000283811.html
先日、自殺した見沢知廉は、獄中12年だったが、ベルサーチのスーツが似合う 野村秋介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%A7%8B%E4%BB%8B
は、獄中18年。
今年は、野村さんの13回忌だ。
野村さんが朝日新聞東京本社で自決したのが、93年の10月20日。
自決の前年、野村さんは参院比例区に『風の会』を結成し出馬したが、俺には「なぜ?」という疑問が消えなかった。
この選挙では、訳のわからないミニ政党が乱立した。スポーツ平和党、老人福祉党、モーター新党、発明政治、日本愛酢党、「開星論」のUFO党などなど…。
野村さんは、琉球大の名誉教授など10人の候補者を擁立したようだが、俺の印象では、「横山やすし」しか印象に残っていない。相棒が自民湯の政治家となって以来、自暴自棄となっていた自爆漫才師を表舞台に出したのも、野村さんの「やさしさ」なのだろうか? 何れにしても、この漫才師を担ぎ上げたために、「風の会」は、泡沫ミニ政党と一緒くたにされてしまったことは否めない。スポーツ新聞のネタにもなり、そのため、週刊朝日の「山藤障二のブラック・アングル」で「虱(しらみ)の党」と揶揄されてしまった。
野村さんは、これに抗議したが、それは、朝日と話し合いを持つための手段だったのだろう。
繰り返すが、93年10月20日、朝日の東京本社役員応接室に、野村さんは息子さんを含む4名を同行し、朝日の首脳と話し合いを持った。会談が終わると、野村さんは両手に持った2丁の拳銃でわき腹を撃ち、その場で自決したのだ。
http://syusuke3821.web.infoseek.co.jp/saigonotaidan.3.html
このとき、野村さんと同行した二十一世紀書院の代表蜷川さんは言う、
「戦中の朝日新聞は、聖戦や一億玉砕などと、国民を戦争に駆り立てておきながら、戦後は手のひらを返したように、反日的な文言が社説を飾りました。これは朝日に限らず、毎日や読売新聞もそうだった。朝日に代表される戦後マスコミが、日本人の考え方を毒してきたのは紛れもない事実です。そうしたことに、先生は警笛を鳴らしたのです」(ダカーポ561号「右翼はいま、何を考えているか」より)
ジャーナリストの大谷昭宏は、こう語る、
「右翼は自分たちの主張をマスコミが伝えないと憤るが、メディアは旧態依然とした労働組合や市民団体のデモも報じないではないですか。マスコミは左翼の主張ばかりを取り上げているわけではないし、右翼を意識的に無視しているわけでもありません。いずれも取り上げる価値がない。つまり、憂国の士でないと思っているわけです。言論の一角を担おうとする左右両陣営が憂慮すべきは、むしろ自由な言論活動を封じる動きが加速していることでしょう」
俺には、野村さんの死が納得できない。思慮浅い卑劣な新聞である浅卑新聞ごときなんぞで、自決してほしくなかった。「経団連本部占拠事件」を起こした野村さんならば、もっと巨大な内なる敵と闘ってほしかった。
もし、野村さんが存命していれば、いまの日本の状況をどう見たか、との問いに蜷川さんは、
「社会全体が保守だ、保守だという世の中は危なくてしょうがない。保守と民族派の違いは何か。肉体言語=直接行動を担保し、留保しながら発言し、行動するのが民族派です。先生はテロリストと呼ばれながら、一度も人を傷つけていません。一方で、今、ヒトラーが現れたら躊躇なく殺すと言っています。ヒトラーを殺して、多くのユダヤ人を生かす。それこそが、仏教本来の大悲であり、一殺多生の信念であると。先生が自決して警笛を鳴らしたのも、一殺多生なのです」と、答えている。
本来、日本の文化というのは、寛容な文化であったはずだ。神道である天皇が仏教を受け入れ、賊軍の旗を国旗日の丸として採用する広い大きな心。
それに対し、自分とは違う考えに対し、『郵政民営化に賛成か反対か』に代表されるような、『正しいか、間違っているか』の2つの反応しかできない。自分の理解の外にも世界があるということを認められない、ただ声をデカくして主張する国賊たち。
いまの時代は、刺し違えなければならない相手が多すぎて、体がいくつあっても足りない時代だ。
投稿者:死ぬのはやつらだ at 11:50
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