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『メディア危機』 NHKブックス
金子勝 アンドリュー・デウィット 共著
2005年06月30日刊 日本放送出版協会
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910313/250-8233637-9337006
金子 勝
──かねこ・まさる
●1952年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。法政大学教授などを経て、現在、慶応義塾大学経済学部教授。専攻は財政学、制度の経済学。
●著書に『市場と制度の政治経済学』(東京大学出版会)、『日本再生論』(NHKブックス)、『反グローバリズム』(岩波書店)、『長期停滞』(ちくま新書)、『粉飾国家』(講談社現代新書)、『2050年のわたしから』(講談社)などがある。
Andrew DeWit
──アンドリュー・デウィット
●1959年カナダ生まれ。プリティッシュ・コロンビア大学政治学博士。下関市立大学経済学部助教授を経て、現在、立教大学経済学部助教授。専攻は財政学、政治経済学。
●共著に『反ブッシュイズム』『反ブッシュイズム2』『反ブッシュイズム3』(以上、岩波ブックレット)、『不安の正体!』(筑摩書房)、共編著に『財政赤字の力学』(税務経理協会)などがある。
出版元はNHKである。しかし、この本は固有名詞として「NHK」を名指しせずとも、他の大メディアともども、911以降の報道について、NHKも強烈に批判する本となっている。
阿修羅の戦争板の愛読者にとっても興味深い事実が並ぶ、日本ではめずらしいメディア・リテラシーの優れた教科書の一冊となっているものと思う。
「この世に、純真な無知と良心的な愚かさより危険なものは存在しない」(マーティン・ルーサー・キング『汝の敵を愛せよ』1963年)
これは本のなかで紹介されている言葉の一つであるが、多くの人は読後にこの意味をあらためて考えることもあるに違いない。
以下に、サンプルとして本文の2、3を紹介しておきたい。
ブッシュは起床時に聖書を読み、そのあと大統領執務室で、側近が内容は「恐ろしい」という諜報機関から毎日提出されるテロリストのレポート──大部分は不確かなものらしい──を読むという。
何かぞっとする話だ。毎日そんなことをしていれば、最初は本人も自覚する芝居であったものも、ほんとうに”その気になる”ということも起こりえるのではないだろうか。
そのブッシュを支持する人々のアンケート調査の話もこの本には出てくる。
──────────────────────────────────────メディア・リテラシーの欠如がもたらすもの
この章の最後に、メディア・リテラシーの欠如が、米国民に何をもたらしているかについて事実を指摘しておこう。米同大統領選の数週間前、二〇〇四年九月から十月にかけて実施されたPIPAの世論調査が、十月二一日に発表された。この調査の結果は、ブッシュ政権の支持者たちが「別の現実」に生きていることを示している。イラク兵器調査チームのチャールズ・デュエルファー団長が二〇〇四年三月三十日、米議会に対し、イラクには具体的な大量破壊兵器開発計画が存在しなかったという最終報告を提出した後であったにもかかわらず、調査は多数の驚異的な結果を記録している。いくつかを列挙してみよう。
●ブッシュ支持者の七二%は、イラクが実際に大量破壊兵器を所有していたと信じている。
●ブッシュ支持者の五七%は、デュエルファーが、イラクには少なくとも大規模な大量破壊兵器開発計画があったと結論付けたと思っている。
●ブッシュ支持者の七五%が、イラクはアル・カイダに多大な援助を行っていたと信じている。
●ブッシュ支持者のわずか三一%しか世界の大多数の人々が米国の行ったイラク戦争に反対であることを認識していない。四二%は世界のイラク戦争に関する見方は半々に分かれていると考え、二六%は世界の人々の大多数がイラク戦争を支持したと思っていた。
●ケリー支持者の七四%は、世界の人々の大多数がイラク戦争に反対したと考えている。ブッシュ支持者の五七%は、世界の人々の大多数がブッシュの再選を願っていると考えている。三三%は世界のブッシュ政権に対する見方は半々に分かれていると考え、わずか九%だけが世界の人々の間ではケリーへの支持が高いと考えていた。このような世論調査の結果は、アル・カイダとフセインのつながりや大量破壊兵器が全く存在しないことが分かったずっと後にも、なぜブッシュ政権がとりわけ副大統領チェイニーを使って──それらの兵器についてとんでもない主張を続けたのかを明らかにしてくれる。米国のエリート・メディアはチェイニーを事実上、コントロール不能に陥った手にに負えないほらふきと受けとめ始めた。二〇〇四年一月二七日付けニューヨーク・タイムズ紙は、米中央情報局(CIA)の兵器調査団長であったデイビッド・ケイでさえ大量破壊兵器はなかったとすでに公言していたことを指摘し、「チェイニー様、ケイ氏に会いなさい」と題された社説を掲載したほどであった。同紙はチェイニーの「驚異的なレベルの、現実を受け人れるのを嫌う姿勢」について皮肉たっぷりに、言及した。
だが、そのジョークは明らかにメディアの側にも当てはまるものだった。イラク戦争の始まる前と戦争中に、メディアは進んで政府に操作されることで、ブッシュ政権のスピン・ドクターたちが悪用した環境を整える手伝いをしたからである。そしてスピン・ドクターたちは、チェイニーを支持者の集まりやフォックス・テレビに派遣することがプッシュ政権の選挙基盤(そのほとんどがニューヨーク・タイムズはじめエリート・メディアの報道を読まない)を磐石にすることを知っていた。世界の常識的な人々が住む場所とは違う「別の世界」は、いったんできあがってしまうと、ただ自転を続けるだけなのだ。だが、日本に住む私たちは、その現実を他の国の出来事だと言ってすませることができるだろうか。(P83〜P85)
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以下も紹介。
──────────────────────────────────────スピン・ドクターたち
政治において、ある出来事や話をスピンするというのは、とくにマス・メディアを使って、出来事や話を自分自身に有利なように、そして政治的ライバルに対し不利なように描写するといった意味である。このような仕事のために雇われている人々──たとえばホワイトハウスの報道官のような人──は多くの場合、「スピン・ドクターズ」と呼ばれている。このように呼ばれるのは、多様な問題の報道に影響を与えたり、あるいは報道をさせなかったりすることに秀でた彼らの特殊な能力や、訓練のためである。この職務において彼らの駆使する技術にはさまざまなものがある。たとえば他者の発言を戦略的に引用する、事実を注意深く取捨選択する、憶測をさも事実であるかのように思わせる言い回しの熟達、より重要であったり、衝撃的な出来事がニュースの中心となるはずの時に、別の情報を流してその重要な問題を「埋めてしまう」姑息な手段、などである。
このような政治的現実について、人々の認識や解釈をある特定の方向に向けてしまう工作は、前にも述べたように、実際には目新しくも何ともない。その欲求は人類の文明と同じくらい長い。とくに狩猟採集中心の社会から、宗教によって正当化された支配階層が統治する農耕社会に移行して以来、リーダーたちによる情報操作の歴史がある。だが、現代になって、その人心操作の工作は高度に専門化されるようになった。この専門化の主な背景としては、先述した戦争のあり方の変化に加えて、マス・メディアの役割が重要性を増していること、政治リーダーの人間性重視、そしてニュースの周期がどんどん短くなっていることなどが挙げられる。さらにインターネットの普及によって、もともと大きかった私たちの生活の中のメディアの存在が、さらに拡大したこともその背景といえる。
こうした状況の下で、(他者を論理的に説得しようとする記事や番組は何も問題ではないが)もし安っぽいレトリックが綿密な論理的思考に完全に取って代わってしまったら、その社会にとって深刻な問題である。まさにブッシュ政権下でも、小泉政権下でも、テレビ的な手法を意識しつつ、過去より「洗練」された形でこの「安っぽい」レトリックが行き交うようになっている。今まさに、スピンの有害な影響に対する最良の解毒剤として、メディア・リテラシーの訓練で養成される批判的思考が必要となっているのだ。メディア・リテラシー:操られない人間になるために
メディア・リテラシーの基本的なメッセージは、人がテレビで見るもの、本、雑誌、新聞などで読むことは、”現実そのものではなく、構成されたものであり、論理的に分析できる”ということだ。それらは自然発生的に生じるわけではない。そのために、メディア・リテラシー運動が生まれ、高等学校かそれ以上の学生に、スピンの根底に潜む利害関係を理解し、そのスピンが利用している手法を見抜く方法を教えようとしている。
古くは一九二九年に遡って、ロンドン政府は生徒たちに、大衆映画について批判的な見方を教えるための「教師用マニュアル」を作成した。しかし、先進国の学校教育においてより洗練されたメディア・リテラシー科目が普及するのは、主に一九八○年代後半以降である。しかし残念なことに、「職務に対し」断固たる決意と豊富な資金を持つ「スピン・ドクターズ」のいる米国では、学校教育の中のメディア・リテラシー運動が非常に弱いのである。
日本もまた、政治スタイルが徐々に米国に似てきているにもかかわらず、メディア・リテラシーや批判的思考の教育がほとんど行われていない。もしかしたら読者はこれをおおげさだと思われるかもしれないが、もし、そうなら考えてみてほしい。過去二〇─三〇年の間、先進工業社会では保守的な傾向が強まっていることが共通して見られる。しかし、中でも日本と米国社会の保守化は非常に顕著である。
ここでひどく皮肉なのは、日本の保守派──現首相小泉純一郎、安倍晋三、中曽根康弘元首相、現東京都知事石原慎太郎などが、日本の独特な価値観やすばらしい文化的慣習について延々と語りながら、彼らは欧州やその他の英語圏の国々より、はるかに米国に似た社会を作ろうとしていることである。しかし人々は、この切り張りによる新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)の自己矛盾にさえ気づいていない。その帰結として、一方で「自己責任」を強調する規制緩和や民営化イデオロギーによって「構造改革」が進むに伴い「日本的」な「平等」社会が急速に崩れ、他方で、憲法や教育基本法に道徳的義務を持ち込みながら、ますます日米軍事同盟の従属的な役割に事実上、自衛隊を組み込もうとする、という矛盾した状況が引き起こされている。
実際、ここ数年、日本は政治的のみならず、軍事的にも米国の巨大軍事力の付属物のようになりつつある。そして近隣諸国(とくに中国)との協力関係ではなく、対立関係に向かっている。英国のブレア首相でさえ、これほど米国新保守派(ネオコン)の戦略に緊密に関わってはおらず、EU(欧州連合)との関係をもっと親密にしようと努力している。米国の新保守主義者たちの戦略に、日本が憲法や自衛隊などの制度を調和させようとする状況は、他の分野にも及んでいる。たとえば、日米両国ほど、先進工業社会の中で有力な左派を持たない国、もしくは公的部門叩きが展開されている国、恐怖政治が利用されている国、非常に狭い政治的基盤に政治家たちが迎合している国、無批判な愛国主義を意図的に奨励している国はないだろう。そして、読者が本書を読み終わるまでに、これほどメディアが批判的な視点を持った国民的議論を育成するという責任を果たしておらず、政治エリートの行き過ぎた行動を監視できていない先進国を他に挙げるのが難しいことを、実感するに違いない。
かつて、カナダのメディア理論家、マーシャル・マクルーハンは「われわれは、われわれの道具を構築し、われわれの道具がわれわれを構築する」と主張した。たしかに、私たちの中には、自分の目的のために、通信手段、考え方、他者の行動などを誘導するのにとくに秀でた者がいるのも、厳然たる事実である。しかし、たとえそうであるにしても、そして楽観的すぎるといわれてもあえて、メディア・リテラシーと批判的思考を通じて情報や新しい技術の利用や操作に対して知的に武装することによって、そして増殖するメディアやそのメッセージに対してもっと批判的な受け手──需要サイドといってもいい──を育成することによって、私たちはこうした者たちに対抗できると主張してゆきたい。(P18〜P22)──全ページ数 224
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