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(回答先: 検証・普天間移設合意(その1) 米・外務省連合退けた…―「毎日新聞」 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 10 月 27 日 12:07:04)
クローズアップ2005:検証・普天間移設合意(その2) 環境・利権、迷走9年
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20051027ddm003010041000c.html
<1面からつづく>
◇「讃岐うどんの粘り腰」−−首相の意向背に防衛庁強気
すべては03年11月、ラムズフェルド米国防長官の沖縄視察から始まった。市街地の真ん中にある普天間飛行場を上空から視察した長官は「こんなところで事故が起きない方が不思議だ」と、破たん状態にあった辺野古沖への移設計画を見直して返還を急ぐよう国防総省内に指示した。防衛庁も、同月から本格化した在日米軍再編協議に普天間移設先の見直しを盛り込もうと動いた。
9年前、橋本龍太郎首相が主役となった華やかな返還合意は外務省主導で行われた。しかし、その後の地元調整や反対運動の矢面に立たされてきたのは防衛庁・防衛施設庁で、「外務省は(合意文書に)サインすれば終わりだが、そこから先が我々の仕事。実現可能な案でなければダメだ」(防衛庁幹部)との思いが強い。長年、海上移設案に悩まされ続けた「おん念」(同)が守屋武昌事務次官ら同庁幹部を陸上案に走らせた。
現行の辺野古沖計画の見直しを模索する防衛庁に対し、外務省は冷ややかだった。現行計画は大規模な埋め立て工事に伴う「利権」と、県内移設を受け入れた県・北部市町村の「苦渋の決断」との微妙なバランスの上に成り立っている。これを崩すことは、米軍基地への不満を封じ込めた「パンドラの箱」を開けかねない。しかし昨年8月、海兵隊ヘリが宜野湾市の大学構内に墜落する事故が起き、米軍再編協議を進めるうえで普天間問題は避けて通れないとの認識が外務省内にも広がった。
政府は今年2月にワシントンで開いた日米安全保障協議委員会(2プラス2)以降、米空軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)のゴルフ場部分に代替空港を建設する案を進めた。しかし、既存の滑走路と飛行ルートが交錯することに空軍側が難色を示したうえ、埋め立て利権の伴わない嘉手納統合案に地元政財界の反発が強まり、7月には断念に追い込まれた。
そこで防衛庁内に浮上したのが海兵隊のキャンプ・シュワブを活用する案。海兵隊側は自分たちの訓練や施設にしわ寄せがくる提案に怒った。それならと米側が飛びついたのが、埋め立て計画の継続を求める地元の建設業者や自民党国会議員らが米側に持ち込んだ辺野古沖縮小案だった。米側との合意を優先する外務省が同調し、「ミニ辺野古だ。現行計画と変わらない」と反発する防衛庁と米政府・外務省連合の対立構図となった。
防衛庁は「小泉自民党」が圧勝した9月11日の衆院選後、陸上と海にまたがるシュワブ沿岸案を落としどころとして準備した。これは既存基地の利用面積を抑えて米側に配慮するとともに、埋め立て利権も考慮に入れた折衷案だった。
米政府・外務省連合はなお辺野古沖縮小案にこだわった。それでも防衛庁が「讃岐うどんの粘り腰」(大野功統防衛庁長官)をみせた背景には、首相官邸筋から伝えられた「首相は環境問題にするなと言っている」との情報があった。首相が「環境」論議の打ち切りを指示して、防衛庁を後押しした格好だ。辺野古沖の現行計画を進めた旧橋本派に対する首相の「おん念」もちらついた。【平田崇浩、古本陽荘】
◇米軍に配慮し、いびつな形に
普天間飛行場の移設先として合意したキャンプ・シュワブ沿岸案は、日本側が提案、米が譲歩して合意した形を取っている。だが合意した沿岸案が現行計画並みの大型埋め立て施設となることを考えれば、米側の意向を十分に汲(く)んだ決定といえる。環境面での懸念も残り、建設実現に向けての道は平たんではなさそうだ。
「将来、いろんな機能が出てくる可能性がある」。大野功統防衛庁長官は、当初1500メートル(滑走路1300メートル)で調整していた空港施設が1800メートル(滑走路1500メートル)に拡大された理由をそう説明した。
滑走路を延ばすのは米側の要望だった。これは海兵隊が検討している垂直離着陸機V22オスプレイの導入を念頭に置いたものだった。オスプレイは、ヘリのようにプロペラを上にして飛ぶことも、プロペラを前に向け飛行機のように飛ぶこともできる航空機。大型ヘリに代わり、海兵隊が大量採用することを計画。「滑走路を長くすれば運用が楽になる」との米側に対し、日本側は合意への呼び水になると判断し受け入れに踏み切った。
しかし、同機は開発段階で事故が相次ぎ本格的な導入が遅れており、今後、地元に懸念の声が広がるとみられる。
また、合意案は、滑走路の横にL字形になるように大規模な駐機場を敷設する変則的な形となった。「兵舎地区の建物を残すためやむをえなかった」(防衛庁幹部)のが理由。駐機場部分の具体的な使用目的については両政府はまだ明らかにしていない。「実質的なヘリポート」や「物資集積庫」など当初想定されていなかった用途に道を開いた可能性があり、具体化段階で争点となりそうだ。
大規模な埋め立て施設となることから、環境面での課題が残ったのは事実。米側提案の辺野古沖縮小案よりもジュゴンのエサ場となる藻場やサンゴ礁に配慮したことを日本政府は強調するが、大浦湾側で埋め立てられる海岸はウミガメの産卵場所であることなどから、自然保護団体から反発の声が出るのは必至だ。
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■米軍普天間飛行場をめぐる近年の動き
95年 9月 米兵による少女暴行事件
11月 日米特別行動委員会(SACO)設置で合意
96年 4月 普天間飛行場の返還で日米合意
12月 代替施設を海上施設とするSACO最終報告を了承
97年12月 比嘉鉄也名護市長(当時)が海上施設受け入れを正式発表
98年 2月 大田昌秀沖縄県知事(当時)が海上施設受け入れ拒否を表明
99年11月 稲嶺恵一同県知事が「米軍の15年使用期限」などを条件に名護市辺野古沖を移設先として受け入れることを表明
12月 辺野古沖での代替施設建設を閣議決定
00年 8月 国と地元自治体による「代替施設協議会」設置
02年 7月 代替施設協議会が辺野古沖2500メートルの代替施設建設の基本計画を決定
03年11月 ラムズフェルド米国防長官が普天間飛行場を上空から視察
04年 8月 沖縄国際大学(宜野湾市)に米軍ヘリ墜落
9月 辺野古沖で護岸構造決定のためのボーリング調査開始
05年 2月 日米安全保障協議委員会で再編協議の結論を数カ月で出すことで合意
10月 移設先を辺野古沖からキャンプ・シュワブ沿岸部に変更することで日米合意
毎日新聞 2005年10月27日 東京朝刊
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