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発信箱:意地あって出口なし=山田孝男
小泉純一郎首相が靖国神社参拝で誇示したものは意地と力であり、その後の説明で露呈したものは道理の混迷と格調の低さである。小泉政治の可能性と限界を象徴する騒ぎだと思う。
首相の参拝は中韓の反日キャンペーンを無力化する深謀だという評はうがちすぎだが、テレビカメラの前で「意地」を示し続けることにより、結果として謝罪外交の転機になる可能性があることも認めなければ公平を欠くだろう。
首相の意地が通って道理が見えない説明の典型は、私的参拝であることを強調するあまり、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならないと憲法19条に規定されている」と揚言した答弁(19日党首討論)である。最高権力者が国権の最高機関において、自分自身の人権を守るために憲法をふりかざす醜さを恥じるという感覚がこの人には欠けている。
首相は01年春の自民党総裁選出馬に際し、日本遺族会の支持を取りつけるために靖国参拝を公約した。この経緯を顧みれば、何食わぬ顔で「参拝をやめればいいという議論に私はくみしておりません」と言ってのける答弁も釈然としない。政治的参拝が招いた混乱の後始末を言行一致の美談にすり替える厚顔には恐れ入るが、よくも悪くもこのずうずうしさが小泉流だろう。
問題の本質は国内にある。宗教・宗派の違いを超え、憲法と東京裁判の評価の分裂を超えてすべての日本人が靖国神社に参拝できる環境にはほど遠い。結局国立戦没者追悼施設の建立しかないと思うが、意地っ張りの首相はトータルな答えに関心がない。(編集局)
毎日新聞 2005年10月24日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/news/20051024ddm002070134000c.html
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