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http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/50259877.html
このところクソ真面目な記事が続いて、読者も飽きたと思います。 今回は和歌のお話。
2000年の歌会始め(宮内庁)のお歌が、とても失礼で不気味です。
▲ 指先に打鍵の重さ兆しつつショパンの「革命」弾くとき迫る▲
こういう歌を陛下への詠進歌に選んではいけません。 革命だって? 当時から「宮内庁はいったいどうしちゃったんだろう?」と思っていました。 失礼な!
本文は気持ち悪いので覚悟してね
宮内庁ホームページから、平成12年(2000年)歌会始め
http://www.kunaicho.go.jp/utakai/utakai-h12.html
全体として失礼かつ不気味な内容です。
誰も指摘しなかったので不思議に思ったんですが、この機会に書きます。
▲平成12年歌会始お題 「時」▲
2000年ミレニアムの歌会です。
20世紀の終わりの歌会「始め」で「とき」を取り上げるということは、21世紀がどういうときかを歌い合わせるという意味があるわけです。
21世紀はどういう時なのでしょうか?
▲ 御製(天皇陛下のお歌)
大いなる世界の動き始まりぬ父君のあと継ぎし時しも▲
この場所におきますと、歌会の全体の総括的な意味が付与されます。
21世紀は、大いなる世界の動き」が起こる「時」であるという総括です。
皇族の皆様方のお歌は素直なお歌が多いです。 問題は、多くの投稿の中から適当に選択して、かつ添削も行えたであろう「詠進歌」の方にあります。
▲選歌(詠進者生年月日順)▲
詠進というのは、めでたき年の始めに、陛下の御前に進み出て歌を捧げまつるということでしょう。
テレビを見ていた人によると、最初に詠進されたのは次の歌でした。
▲指先に打鍵の重さ兆しつつショパンの「革命」弾くとき迫る▲
「時」をお題としたミレニアム歌会で、陛下の前に進み出でて、この歌を歌うことは不敬にあたります。
この歌の全体としてのきびしい緊張感に注目して下さい。
21世紀は「革命」の「時」であるという意味になっています。
「指先に打鍵の重さ」「弾く」というのが呼応しています。
「弾く」は「ひく」なんですが、「はじく」との掛け詞になっています。
「はじく」つまり「ハジキ」=「拳銃」を示しています。
「指先に打鍵の重さ」という発句は、指先に拳銃の引き金の重さがかかっている状態をありありと示しています。
「指先」「弾く(はじく)」が主語−述語の関係となっております。
全体として、指先に拳銃の引き金の重さを感じつつ、その引き金を引いて弾丸をはじき出すその「時」が迫っている。 その「時」とは「革命」の「時」だという意味です。
その拳銃は、おそれ多くも「詠進」の相手に向けられています。
前に「進み出る」行為との一種の「掛け詞」になっているわけです。
「革命」の「時」が「迫」っているのと共に、「革命」の機運が「兆」しているという呼応も見られます。
つまり、革命と暗殺の歌になっているわけです。 これを歌のプロや宮内庁が読み取れなかったとは言わせません。
▲不安なるときが拡がりをもちてくる或る夜しきりに未来を覗く▲
その「時」は不安であると。 そして「未来をしきりに覗いたということです。
「夜」「しきりに」「拡がり」といった文句は不吉です。
未来は暗く、「夜」闇が「拡が」っているといっているわけです。
「歌会始め」で闇夜のような未来を覗いたという暗喩にもなっています。それが「革命」の時でした。
▲「ひらひら」といふ語教へてひと時を留学生らと花吹雪浴ぶ▲
「花」「花吹雪」「花吹雪浴ぶ」はすべて「死」を暗喩しています。
「花」とはサクラの花だからです。 花が散ることは、歌の世界では「死」を意味しています。
「花吹雪」は、多数の死を暗喩します。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」 西行
ごれだけなら強引なんですが、この歌には決定的な掛け詞があります。
「ひらひらと」
花が落下していく様子を「ひらひら」と書いているのですが、これは「平平」と掛け詞になっているわけです。 「戻して」みましょう。
▲「平平」といふ語教へてひと時を留学生らと花吹雪浴ぶ▲
この歌は、今上天皇に詠進されているのです。
今は「平成」の御世です。
おそれ多い言い方ですが、今上天皇が、将来お亡くなりになられましたら、その後で、「平成天皇」と呼ばれることになります。
それから「ひと時」という不自然な言葉があります。 これも掛け詞になっています。
「明仁(あきひと)」にかけていると読まれるのが普通です。
また「ひと時」=「仁時」ですから、「天皇の治める御世」という意味になります。
それがサクラの花の吹雪となって散る情景です。
なぜ留学生が詠進者と共に花吹雪を浴びているのでしょうか?
▲時はいま満潮のごとみちみちて四十余年の職辞するなり ▲
この歌の鍵は発句にあります。 本歌取りの技法です。
「時はいま」
http://www.interone.jp/~touri/kadan/tanaka_4_1.html
▲ 同年六月二日が本能寺の変であるから、まさに主君信長に代わって天下人たらんとした光秀その人の心中を伺うことが出来る。
ときは今天が下しる五月哉 光秀
は、「土岐一族の流れを汲む光秀が天下を治める五月になった」 という意味にとれるから、謀反を起こす直前の光秀の心境を詠んだものと解されている▲
この「時」は謀叛の時、「革命」の時なんですね。 一句単位じゃなくて、連歌になってしまっているわけです。
「満潮のごとみちみちて」には、潮が「満」「みち」「みち」と「満ちる」が三回繰り返されています。
これによって謀叛の時の切迫感を暗示するのと共に、「もううんざりだ」という暗示にもなっています。
また、満潮がみちみちるわけですから、当然、洪水のように溢れる災難を暗示しています。
「四十余年」も不自然です。 これ「四十四」なんですね。
「四」は「死」を意味しますから、 歌での「四」の反復は「死」の強調です。
不吉極まるものです。
「職辞するなり」 辞めろといっているわけです。
「四十四年」の「職辞するなり」
皇位を死によって辞すると読めます。 それは「謀叛」による辞職であるという暗示であり、その水害の溢れ出る「時」は満潮のごとみちみちているわけです。
▲霙降る柵に繋がれ時を待つ流鏑馬の馬白く息して▲
「霙降る柵に繋がれ時を待つ」とは、語感的に、いかにも不吉な情景です。
上の歌との連歌であると考えると、柵に繋がれて、革命のあるいは処刑の「時を待つ」と読めます。
▲二百年のときをつぶさに見てきたる大欅なり風にしたがふ▲
大樹が、吹く風にしたがっているという情景を詠んだものです。
当然皇室の比喩ということになります。
200年ですが、10を書けて2000年の比喩と考えるのが普通でしょうから。
そのような大樹であるが、「風にしたがう」時が来たという意味ですね。
▲渡りゆく時をはかりてゐるらしき燕の群が雨に濡れをり▲
「渡り」の「時」を歌った歌です。
その渡りの姿は惨めなものです。 雨に濡れそぼっている燕のようなものです。 そして、わたった後がこの歌。
▲移りすんでラテンの國に老いしいまときに信濃の夢をみるかな ▲
留学生(移民の暗示としか思えません)が今を盛りと花吹雪を浴びて宴会をしているとき、
燕たちは惨めな姿で外国にわたって老いてゆくという暗喩になっています。
失礼で不吉な連歌にされてしまっていることを、お分かり頂けたはずです。
私は当時から強い不審を覚えていました。
個々の歌い手に悪気があるわけがありません。
選んだのも,配列(おそらく添削)したのも歌のプロです。
皇室への失礼を分からないとは言わせません。
私のような素人ですから一見して分かる程度の技巧にすぎないからです。
気持ち悪い
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