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このタイトルを見て偉そうにと思ったに違いない。しかし、これは、私が、二度にわたって小泉首相に問うを提示して後に感じた率直な私の感想です。これでは、憲法は、押付けですと同じように主権も押付けですと言っているようにしか思えない。私は、憲法は、押付けであることを一部認めている。こんなことは、自明だから今更言いたくないが、これは、日本が無謀な戦争をし、世界中に多大な被害を及ぼし、人殺しという大悪行をさんざん行った罰として、日本に足かせを与えようとしたものであることは、確かである。よく憲法が手かせ、足かせとなってということを聞くが、これは当たり前のことで、私に言わせれば、軽過ぎる。一億玉砕など偉そうなことをいっていたのだから。むしろ、こんな反省の無い民は、全員地球から抹殺されればそれの方が、世界にとってはよかったと思っている。南京の虐殺が、20万は多すぎるからでっち上げだなどという学者がいる。大事なのは、数ではない。中国で日本の軍隊に侵略されて虐殺されたひとがいるかということである。人を殺しもしないで、相手国の主権も侵さないで、軍隊が乗り込むということのほうが、滑稽である。軍隊は、中国その他の国にご奉仕に行って、自分達を歓迎しなかったので殺しましたということになる。まるで、やくざの言い分だ。チャンコロだとか、馬鹿とかチョンとが言って散々馬鹿に仕切っていた日本人が、急に紳士になって、隣の国へ奉仕のために軍隊をおくりました。なんって日本は素晴らしい国でしょう。ということなら、憲法は、不当に与えられたという理屈も通る。しかし、私が、本ブログで述べたように、憲法が与えた最大の点は、日本国民に主権をあたえ、政府を監視させようとしたことです。このことが、日本の国民が、分かっていないから、中国や韓国の怒りを引き起こすのです。監視を任せたのに、小泉のような、無法者を首相にしたと言って。これは、極当たり前の理屈である。
この監視の責任が、国民に主権を認めることの条件であるとは、日本国民のどなたもご存知無いとしか思われません。かもしくは、知りながら、知らない振りをしているということでしょうか。主権があるということは、とても喜ばしいことであります。それは、誰にも妨げられることなく、自分の福利が追及できる権利でこれが政治とかかわりを持つと国政を行う権利である主権となると、私は、理解しております。国の政治も国民は、主人公として行うのであります。こんな分かり易い理屈なのに、それがわかるには、マグナカルタ憲法を学べなどというひともいます。憲法を文字通り読めばいいのであって、日本の憲法のどこが、マグナカルタ憲法に規定されているのか。もし、それが、必要なら、憲法に付則として、この部分の解釈はマグナカルタ憲法を参照にせよでもすればいいのではないでしょうか。
私自身、浅学で申し訳ありませんが、そんな暇があったら、国民に主権があるということで、何が自分に要求されているかを考えればいいと思います。今の日本人に一番かけているのが、この意識であります。いつも、自分自身が、何を要求するかしか考えないから、何を要求されているかなど考えもしない。これなどは、まさしく、いまの小泉首相や自民党そのものである。これが、ミーイズムというのでしょうか。自分が国民のために何をするかではなく、国民に何をさせようかしか考えないようにみえます。憲法上では、自分が国民の代表として選ばれる立場にありながら、選ばれて当然という顔をしている。一体全体何のために、誰のためにとお聞きしたい。おそらく国という名の自分のためにではなかろうか。日本国民の大多数も、自分に主権があるなど考えたこともないから、この為には、殺されてもいいなどと格好いいことをいわれると、後先も考えずに、主権を渡してしまう。殺されてもいいというのは、一番我侭な奴のいうことで、裏を返せば、殺されるまで、自分の遣りたい放題にやるということなのだ。こういう人間は、殺されなければ止めない、一番のわがままで放蕩者なのだ。だれが、人を殺したい者がいようか。だから、こんなことを公に言う者は、気が狂っているとしか思えないが。無責任者(よん様主婦といかれた若者?)にはカッコイイとうつるから困ったものである。
こういう無法者を、殺さないで、排除できるのが、国民主権であるはずなのだが・・・ これを使えば、殺さなくても排除できる。でも、それをするには、国民全員が、主権を行使しなければならない。国民主権というのは、個々人が保持すると同時に全体で行使しなければならないものでもある。しかも、各々が、自分の権利を十分自覚した上で行使しなければならない。もう一つの条件は、憲法の要請に寄らなければならないというものだ。このようにしない限り、代表者が、憲法に違反した言動をした時に国民はこの人間を排除できない。その場合、もし、明らかな、違反があれば、一人でも主権行使は、是認されなければならない。しかし、他の主権者の反対が当然予想される。たとえ、一人でも憲法の要請するところにより、憲法違反の事実がはっきりしている事案に対し、権利を行使したにもかかわらず、大多数がこれを無視すれば、当然、他の者が主権を放棄し、代表者と同等の違反を犯したことになる。このような主権者の行為が超法規的なものとして認められない限り、主権が国民に由来するというのは、空想に過ぎないと思われます。
私は、真の意味において、国民主権を実現するには、憲法違反を監視する、最上位の国民自身が総意で選出する国民主権による憲法監視委員会が必要であると考えます。もし、違反の事実が判明したら、主権者である国民に是非の判断を求め。その結果、主権者の総意で違反者を排除できるとでもいうような。これほど、主権の行使は、厳格で厳粛なものだと思います。この点、憲法は、いいます、日本国民は正当に選挙された国会における代表を通じて行動しと。憲法は、日本国民が、国民主権を正当に行使し、正しい人を代表者として選出することを期待していましたが、その信用は今回の選挙でその国民に裏切られました。国民は、憲法の要請を踏みにじる無法者に主権を売り渡したのです。この事態を憲法は予想していませんでした。国民が、主権を放棄すことになるなどは。無法者の出現については、憲法は、予想していましたが、主権をこんなにあっさり引き渡すとは、予想をはるかに上回るものでしたので、その準備をしていませんでした。
ただ、自分の意見は、いくらでもいうが、肝心な時に、憲法は、押付けといって逃げ、憲法を無視し、遠ざけて主権も行使しないような国民に主権だけを与え、政治の監視を任せたことを後悔しているに相違ありません。インターネット上で、小泉首相や今の自民党が絡む問題について様々な意見や論議が交わされ、評論家なども今の小泉政権は、独裁だの大翼賛的だのと意見を開陳されますが、小泉首相が、憲法が国民に認める国民主権を無視し、踏みにじったことをあからさまに指摘するのを見たことがありません。(もし、レイプまがいのことをしてれば、国民の主権の行使の代表としての資質を欠くし、憲法では、厳粛な信託といっている選挙を御祭り騒ぎとし、政策選択の選挙としたーーこれを認めれば、選挙は無法者に左右される)もし、あの選挙に落ちていればそんな意見をいって暗く落ち込むこともないのに。まるで、猫を前に、右往左往している鼠のように。こんな憲法無視の無法者は、主権者である国民が排除すればいいといってもいいとも悪いとも言わない。それができれば一番だといいながら、顔を見合わせているのが見える気がする。こんな煮え切らない主権者では、政治は監視できないと、押し付けられた憲法は憂慮している。今回は、つい、私見が多くなって申し訳ありません。
投稿者:chaka at 16:19
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