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靖国参拝は信教の自由の問題
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日本版ニューズウィークに掲載されているジェームズ・ワグナー副編集長のコラムを読むのは私の楽しみである。なんつうか、口の軽いスットコドッコイなところが私と似ているからであろう。日本に暮らす知的白人さんらしくリベラルな空気を読むのもうまいが、朝日新聞建屋居候三杯飯の慎みもないカナダ人大西哲光のような悪意を感じさせないのも好ましい。日本の空気が醸し出されていなければ、チラっと欧米風の常識を出してしまうところに先輩無理無理金髪染デーブ・スペクターのような好ましさも感じる。
彼は今年の8・10/17号、つまり毎年吉例手抜きだよ「海外で暮らす」号のコラムに良いことを書いていた。”靖国参拝「ノー」に危険な落とし穴”である。ちょうど八月十五日に小泉首相が靖国参拝するかという話題が一部で関心を持たれていたころだ。このコラムは日本の政治家が靖国を参拝する問題について扱っているのだが、これほどきちんとした見解を私は日本のメディアで見たことはない。
このコラムでは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難するつもりはない。多くの人と同じように、私も彼の参拝が日本の国益につながるとは思わない。だが、仮に8月にこれまでどおり参拝しても、それは憲法で守られた権利だと私は固く信じている。
だから、小泉の靖国参拝を憲法違反だとして、裁判に訴えた一連の動きが気がかりでならない。
これに続いて政教分離という問題はなんたらアメリカでもなんたらとあるが割愛。そして。
しかしどんな理由であれ、信教の自由を犯す大義名分にはならない。もし一連の訴えが勝訴に終われば、まさに信教の自由を侵害することになるだろう。
心配しすぎだろうか? そんなことはない。首相の靖国参拝が憲法違反と判定された、どうなるか考えてみるといい。
小泉は明治神宮にも教会にも行けなくなるのだろうか。誰の目にも見え透いていようが、「私的参拝」として強行すればいいのか。参拝を禁じられるのは、首相だけか、それとも閣僚全員、あるいはすべての国会議員が禁止されるのか。
もちろん、反語である。
昨日たまたまテレビのニュースを見たら、民主党の前原代表が、首相には私的参拝はありえない、と左右の歪んだ顔に逝ってしまったの眼を付けて、ほざいていた。社民・共産党や特定アジアの見解はスルーでいいけど、いったい政権を取ろうという日本の政治集団が信教の自由についてどう考えているのか私は呆れた。
このあたり私もスットコドッコイに言うのだが、小泉首相が靖国参拝できないというなら、大平首相のようにクリスチャンの首相は教会にも行けなくなるのだろうか。
というか、小泉の靖国参拝に反対している人にそう問うと、おそらく、きょとんとされ、「それとこれとは別」とか言うのではないだろうか。そして、「靖国神社はA級戦犯が合祀されているからダメ」と言うのではないか。
というあたりで私の頭はどっかーんである。靖国神社がA級戦犯を合祀してようがその宗教の勝手というか信教の自由の問題だ。なにより不可解なのは、私は明治以降の国家神道を信じてないから断言するのだが、戦犯の合祀とやらは特定信仰の上の概念ではないのか。小泉の靖国参拝に反対している人ってそういう信仰世界を共有する信者なのかね。それって、君たちの信仰と信仰のぶつかり合いの問題じゃないですか、云々。
ジェームズ・ワグナーの結論を私は支持したい。どこまでが許され、許されないの線になるのか。
結局のところ、線引きなど不可能だ。日本国民の基本的人権を侵害せずにはなしえないだろう。
首相が私人として特定の宗教を信じて悪い理由はないし、その活動を禁じることはできない。問題はあくまでそれが公的であったかだけが問われるべきであり、先の大阪高裁の違憲判断も、そうした公的な性格を帯びた首相の靖国参拝への警告だった。この判断では、その判定としての具体的な基準としては、参拝に公用車を使うかどうかが示されていた。
昨日の小泉首相の私的靖国参拝についていえば、公用車という点ではよくないかなと私は思う(三木首相は公用車を使っていない)。それでも、他は概ね、そこいらのおっさんの参拝と変わるところはなかった。
個人的な感想を足せば、あれはまずいんじゃないのというか、ユーモアということかもしれないけど、いい老人がお賽銭をポケットからポケットマネーという洒落みたいに出すのはいかがなものか。ああいう時は、懐中に収めた万札入りの封筒を投じるべきだったように思う。でも、そうすると、そこになんて記名されていたか問題になるというのだろうか。そのあたりは、信仰告白の内面のように思うが。
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