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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu105.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の
歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう
2005年10月18日
◆国柄探訪: 靖国神社の緑陰 国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog202.html
■2.靖国神社を護ったブルーノ・ビッター神父■
一般兵士を祀ることすらアジア諸国民の心を傷つける、というもの言いが、いかに不道徳であるか、示してくれたキリスト教神父がいた。
昭和20年暮れ、占領軍司令部は玉砕や特攻で発揮された日本軍将兵の激しい敢闘精神を根源から断とうと、靖国神社の焼却を計画した。指令部内では賛成意見が多数を占めたが、一応、キリスト教会側の意見を聞いておこうと、当時ローマ教皇庁代表として日本に駐在していたブルーノ・ビッター神父に見解を求めた。神父は以下のような要旨の回答をした。
自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。
もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。[2,p130]
マッカーサーはこの答申を尊重して、靖国神社焼却計画に中止の命令を出した。おそらく膨大な犠牲を出して戦った米軍将兵たちこそ「日本軍兵士の死は侵略者の死である」と思っていたであろう。そのような憎しみの情から靖国神社を、そして米軍の名誉を護ったのは、このビッター神父の言葉であった。
■3.敵兵を弔う日本の伝統■
「国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう」というのは、人間的な心情の発露として世界共通であるが、この点でわが国の文化は特異な伝統を持っている。ひとたび戦いが終われば、敵国の死者の霊も弔うということである。
二度の元寇を撃退した後、弘安5(1282)年に執権北条時宗は、鎌倉に円覚寺を建て、元軍10万人の死者のために1千体の地蔵尊を作って奉納した。
秀吉の朝鮮出兵の際には、各地で敵兵の屍を埋めて弔った。当時の朝鮮中央の要職にあった柳成龍は、著書「懲録(ちょうひろく)」の中で、「日本軍は、熊嶺の戦死者の屍をことごとく集め、路辺に埋葬し、その上に標柱を立て、『弔朝鮮忠肝義胆』と書き署(しる)した」と記録している。
日露戦争が終わった後の明治40(1907)年、日本政府は亡くなったロシア軍将兵を弔うために、激戦のあった旅順近くの案子山に高さ13メートルの礼拝堂を建てた。ロシア皇帝ニコライ2世は感激して、その除幕式に自ら出席すると言い出したほどである。皇帝の臨席こそ実現しなかったが、出席したロシア将兵や牧師たちは、「このような事は史上例がない」と感激し、日本を心から尊敬するようになった。日本政府が自国将兵のための「表忠塔」を建てたのは、その2年後であった。
南京事件が起こったと言われる日支事変でも、総司令官・松井石根大将は日中両軍の戦死者を弔う慰霊祭を行い、また双方の戦死者の血の沁みた土を持ち帰り、それをもって熱海に興亜観音を建立して、両軍の英霊の冥福を祈った。[a]
■4.仇敵の肉を食らい、遺体にむち打つ中国■
敵国の将兵をも弔う日本の文化伝統は、中国と比較するとその違いが鮮やかに見てとれる。「隋書・孝義伝」によると、王領は、父が陳の武帝に殺されたのを怨み、随の南征軍に加わって勇戦した。陳王朝が滅ぼされると、武帝の陵墓を暴いたが、親の仇を自分で殺せなかった事を思うと、怒りがこみあげて、その骨を焼き、灰を水に混ぜて飲み下したという。
隋書に限らず、歴代王朝が創建後かならず編纂する正史には、「孝義伝」という項目が入れられ、怨敵、仇敵に対して、殺害後にその肉や肝を食い、遺体にむち打ち、あるいは骨を灰にして飲むという話が数多く収録されている。
死後も敵を憎むという精神は近代でも変わらず、戦時中親日政権を作った汪兆銘の墓は、戦後、蒋介石軍によって裏切り者として爆破されている。蒋介石軍は台湾でも全島の日本人の墓を暴き、墓石を打ち壊した。
儒教の死生観では、死とは人間の精神を司る「魂」と、肉体を司る「魄」が分離することである。それが合体すれば、死者が蘇る。それを防ぐためには、墓を暴き、死体を破壊しなければ、安心できないのである。
靖国神社参拝で「軍国主義の亡霊が蘇る」というのも、中国人からしてみれば、現実的な恐怖なのであろう。首相の参拝によって、戦犯たちの「魂」が励起され、それが墓の遺骨と合体すれば、まさしく軍国主義の亡霊が蘇るのである。このような死生観を持たない日本人は、あくまでも比喩として受け取るので、どうにもピンとこない。靖国神社に参拝しただけで、たちまち軍国主義者になり、中国侵略を志す日本人がどこにいるのだろうか、と。
■5.官軍、賊軍の恩讐を乗り越えた寛容・和解の精神■
日本人が敵の霊をも弔うのは、死は生前のすべてを浄化するし、人は敵も味方も死後はみな神になる、という死生観を持っているからである。死者を鞭打つどころか、死者の悪口を言う事すら心ない仕業として蔑まれる。
この死者への優しさは、争いから生じた相互の憎しみの心を和らげ、平和で寛容の精神を恢復させる。そもそも靖国神社は明治維新の際の戊辰戦争での官軍側の戦死者を弔う慶応4年の招魂祭を起源としているが、「朝敵」として死んだ幕府側の戦死者の霊はどうするか、という問題が残った。
明治5年、明治政府は賊軍の追忌のための墓標の建設を許し、さらに、7年には戦没者遺族が賊軍ゆえにその祭祀を憚っていることから、堂々と祭祀を執り行うようお達しが出されている。
「朝敵」徳川慶喜は大きく減封されたとは言え、駿河70万石は安堵された。五稜郭で最後まで抵抗した榎本武揚は一時獄につながれたが、命を助けられ、やがて新政府に出仕して栄達の道を歩んだ。
「官軍」「賊軍」の恩讐を超えて、明治日本がいち早く国民国家としてまとまったのも、両軍の死者を祀って、寛容と和解の精神を引き出したからであろう。狭い地球であまたの民族が肩寄せ合って住む現代の国際社会を平和に保つためには、このような寛容と和解の精神こそが不可欠である。死後にまで罪を問い、恨みを晴らす中国文化では、争いは絶えることがない。
■6.戦犯裁判受刑者は罪人とは見なさない、との国会決議■
その後、靖国神社では、日清、日露から大東亜戦争と、戦乱の中で国事に倒れた人々の霊を祀ってきた。その中には軍人だけでなく、沖縄戦で戦没した「ひめゆり」部隊などの女子学生、沖縄からの学童疎開中に米潜水艦に撃沈された対馬丸に乗っていた小学生たち、満州開拓団員などが含まれる。全246万6344柱のうち、女性5万7千余柱、朝鮮人2万1千余柱、台湾人2万8千余柱を含んでいる。
昭和27年4月28日に平和条約が発効し、日本が独立を恢復すると、昭和30年にかけて、遺族援護法が成立し、敵国の戦争裁判で刑死、獄死した人々の遺族にも、遺族年金や弔慰金が支給されるようになった。
その中心となったのは、堤テルヨという社会党の衆議院議員であった。堤議員は衆議院厚生委員会で「その英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえない」と遺族の嘆きを訴えた。堤議員の活躍が大きく貢献して、「占領中の敵国による軍事裁判で有罪と判決された人も、国内法的には罪人と見なさない」、という判断基準を含んだ法改正が与野党をあげて全会一致で可決された。
東京裁判は戦勝国が自国の戦争犯罪は不問にして敗戦国のみ裁いた点、弁護側に証人喚問の機会も与えずにその証言書を証拠として採用した点、また「平和の罪」「人道の罪」など勝手に新たな罪状を作りだして、過去に遡及して裁いた点など、およそ近代法の原則を踏みにじったものであることは、今日の国際法学界で広く認識されている。[b]
「戦争犯罪者」が靖国神社に祀られていることを非難する意見は国際法でも国内法でも成り立たないし、百歩譲ってそれらの人々が「犯罪者」であったとしても、刑を受けた死後にまでその罪を問い、恨みを晴らそうとする中国文化を、わが国が受け入れねばならない理由はない。
■7.先祖の霊はあの世で子孫の繁栄を見守る守護神■
わが国では生者が死者に優しいように、死者も生者に優しい。先祖の霊はあの世で子孫の繁栄を見守る守護神であり、そしてお盆には子孫のもとに帰ってくる。わが国の先祖霊は、他国のように自分だけの幸福のために、子孫を見捨てて、西方浄土や天国に勝手に行ってしまう事はない。
先祖の霊をお迎えすることは、先祖との心の交感である。自分たちの今日を作ってくれた先祖の恩に感謝し、かつ、自分も今後の子孫のために現世における努めを果たし、死して後は草葉の陰で子孫が栄えるのを見守っていこうという気持ちを新たにする。
そして、この先祖との交感は、靖国神社においては個々の家系を超えて、共同体のために一命を捧げた人々すべてをお祀りし、国民全体がその共同体を受け継ぐ子孫として、先祖の霊をお迎えするという公の行事に発展した。
したがって、若くして子孫を持たないままに亡くなったみたまも、無縁仏としてさまよう心配はない。国民全体が子孫としてお迎えしてくれるのである。(後略)
◆「日本人にとって『靖国神社』とは何か」 小堀桂一郎氏(東大名誉教授)より抜粋
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/yasukuni_sinkouhaikei1.html
(前略) 日本人の習俗の伝統として動かせないのは、御霊信仰でしょう。宗教学でいうシャーマニズム。死者の魂はどこか宙を彷徨っていて、その魂を招き寄せて慰めるのが日本人の死者に対する葬送儀礼であり、だいたい2千年来定着していると考えられる習俗である。そして、「特に戦いによって命を落とした勇士の霊は敬虔に祀ることによって、守護神として子孫を見守ってくれている」という守護神信仰がある。
靖国神社の信仰は、結局その御霊、すなわち守護神信仰に深淵を持つものです。これを宗教といえば宗教ですが、それ以前に日本人のシャーマニズムという世界観の中に根をおろした一つの習俗なのであるから、現憲法の政教分離規定の思想などはその足元にも及ばない、蒼古の昔からの日本人固有の文化伝統である。
日本人の精神の根源にある神祇(ギ)信仰は日本人の2千年来の習俗にしみついているものであって、それを憲法の政教分離の原則に反するというのは本末転倒である。だいたい政教分離原則もアメリカに押し付けられたもので、元来は日本人があづかり知らないものである。
政教分離原則を守れと言うのであれば、宗教教育を行っているミッションスクールにも私学助成金は出せない。国自体が違反だと言わざるをえないようなことをたくさんやっている。
そもそも政教分離の思想がどこから出てきたかというと、西洋のキリスト教文化圏において、宗教、というより教会が政治的、社会的勢力を持つと言うことを恐れてのことなのである。神道には、古来そのような危険性はまったくない。習俗のなかに沁みついているシャーマニズムであって、これは宗教というのり、日本人の信仰生活上の様式である。けっして、一つの教義に基いた教団をなすものではない。これはだいたい政教分離の対象としなくてもよい。日本人の祖霊信仰が様式化したものだと考えれば良い。
日本の政党が靖国神社を否定しては政権をとることは許されない!
(私のコメント)
私は中国や韓国が靖国問題に対して抗議を繰り返してくることの目的は日本の世論の分断工作と、日本人の精神に対する破壊工作の一環なのだろう。民主党にしても親中国派の岡田代表から国防族の前原代表に代わって少しは民主党も変わるかと思ったら、相変わらず首相の靖国神社参拝を批判している。これは単なる靖国神社参拝だけの問題ではなくA級戦犯に関連して東京裁判史観にも関連してくる。
東京裁判史観を認めるということになると、日本は永久的に国際法を犯した戦犯国家ということになりますが、BC級に対する国際法はあってもA級戦犯に対する国際法は政治的問題であり「侵略」に対する定義すら定まってはいない状況で、東京裁判の権限は無く単なる戦勝国による敗戦国への報復に過ぎず、東京裁判は裁判ではない。
また、現在の常識で持って当時に遡って罰することは、それこそ近代法の常識に反することであり、時効の概念を持たない中国人は近代的文明人とはいえない。過去の出来事を一つ一つ持ち出して因縁を吹っかけていたら、いつまでたっても社会が安定しないのは中国そのものが証明している。それこそ中国人のように墓まで暴いて死骸に鞭打っていては、仏様も浮かばれないのだ。
最近になって、マスコミの靖国神社をめぐる反日キャンペーンの活動が明らかになってきて、ネットなどで具体的のどう活動するか明らかにされていますが、昨日今日のテレビを見てもコメンテーターがしたり顔で世論誘導している。さいわい中国では宇宙有人飛行で夢中であり、日本の左翼マスコミの期待通りの報道ではないようだ。また期待していた反日デモも数十人程度で記者のほうが多かった。
もともとは朝日新聞などの左翼マスコミが中国をけしかけて問題を大きくしたのですが、中国もバカではないから日本の反体制運動とは距離を置き始めたのだろう。経済発展を最優先しなければならないしオリンピックや万博も控えている。むしろ中国が4月に反日デモを仕掛けたからこそ小泉首相は選挙で大勝利したともいえる。親中国的な民主党は歴史的大敗をしても前原代表は岡田前代表と同じことを繰り返している。
中国や韓国がなぜ執拗に靖国参拝に抗議するかは外交戦争を仕掛けてきていると見ればわかりやすい。このことについては4月13日にこのように書きました。
◆スイス政府「民間防衛」に学ぶ 日本が中国や北朝鮮から武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれないように 2005年4月13日水曜日 株式日記と経済展望
http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/207.html
《 敵(中国、韓国、北朝鮮)は、日本を内部から崩壊させるために、秘密地下組織を日本の政治上層部に潜り込ませようとしています。ところで、日本のジャーナリスト、作家、教授たちはどうでしょうか?政治家はどうでしょうか?なぜか中国、韓国、北朝鮮の擁護が多いですね。これはたまたま偶然でしょうか?それともスイスが想定していた敵国の攻撃の第一歩なのでしょうか?よく読んでください。
加えて、日教組、日弁連、テレビ局、新聞社がすでに中国、韓国、北朝鮮に取り込まれています。
社民党はかなり中国、韓国、北朝鮮の勢力が入っているところもありますね。その残党が民主党にも来てますし、公明、共産、自民にも反日議員は混じっています。
新聞やテレビなどは同じ内容を報道する際も(たとえ虚偽報道を行わない場合においても)、その伝え方(編集や語調等)よって見方は変わります。
なぜ日本国益と日本国民を守る立場の阿部氏と中川氏が4年も前の出来事で取り上げられたか、その理由は皆さんもうおわかりですね。同時に、日本国内でどこの企業、団体が敵国に侵されているかを明確になった事件でもありました。筆頭は「朝日新聞←そのまんま」「NHK内部の労働組合(左翼勢力)←涙会見をしたNHK職員いましたね」「朝鮮総連←一大スキャンダルになるように指示を出していたようです」「市民団体←政治家批判」「日教組←」...書ききれません。
日本にはスパイ防止法がありません。売国活動も自由です。さらに、好ましからざる外国人の退去とか言うと、「差別だ」とか騒ぐ団体だいます。自虐教育とマスコミの長年の偏向報道によって組織デモには賛同してしまう無知な日本人も残念ながら多いです。
愛国者の諸団体はイメージが悪いです。凱旋車にのって大音量を流す団体はわざとイメージを悪くさせるため、敵が内部で活動しているという噂もあります。綺麗な愛国団体が今の日本に求められています。先日4月4日の人権擁護法に反対した集会に集まった人がそれに近くなっていくでしょう。 》
(私のコメント)
このように手の内がばらされてしまうと、左翼の活動家も朝鮮総連の工作員も一生懸命今まで通りにやればやるほど、大衆には「やはりそうか」と思われてしまって逆効果になります。朝日新聞の立て続けに起きた不祥事もその焦りが出てきて、自ら墓穴を掘っている。このような対外政治工作活動は中国だけではなくアメリカのほうが本場なのですが、私のような民族保守派はどちらの勢力とも組せずに戦い抜かねばならない。
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