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http://ch.kitaguni.tv/u/10977/%a5%b3%a5%e9%a5%e0/%a4%bd%a4%ce%c2%be/0000277475.html
日本人はなぜ無宗教なのかでもちらっと書きましたが、日本人の宗教観には、近代以降の国家神道が深く関わっています。その事例を、国家神道の中心である靖国神社から見てみましょう。
ゼミで靖国問題を扱うので、講義ではやらないであろうポイントを自分なりにこの場で解説してゆきまーす。首相の参拝問題などには今回は触れません。今回は。
さて明治維新以降日本は、地域意識の強かった日本の市民を天皇(を中心とする日本)の「臣民」としてひとつにまとめるために天皇崇拝を国是とし、それを権威づけるために、従来の神道とは異なる国家神道が必要とされました。しかし、ここで難問に突き当たります。国家神道を規定した場合、それに矛盾するからといってキリスト教や仏教など、他宗教の信仰の自由を侵害してしまうと、近代国家として諸外国と軋轢が生じることは明白。しかし信教の自由を認めるなら、国家神道の構想そのものが危ういし、公的な別格でもないのにそれで臣民として一つにまとめるなんて望むべくも無い訳です。
そこで、「神道非宗教論」が脚光を浴びます。
「宗教とは個人の内面にとどまるもの。神道は宗教で無く、個人の内面に優越する国家儀礼」
これが、近代日本の神道に対する基本スタンスでありました。
かくして、信教の自由は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」保護されるものとなったのです。
その様子は、「靖国の母」という当時の流行歌に表れています。
この歌は、靖国へ戦死した息子に「会いに来た」老母が「こんなところに立派に祀られてありがたや」と拝んでるような歌であり、そのまま靖国の舞台装置的役割を表しているのですが、面白いのが3番。
両手合わせてひざまずき 拝むはずみのお念仏
はっと気づいてうろたえました せがれ赦せよ 田舎者
靖国へお参りに来た母も、普段は念仏となえる仏教徒。別に仏教を捨てることは無いけど、靖国には息子が神となって祀られていると信じるし、「ここは神社だから」と神道式に合わせる「靖国の母」の姿。靖国中心の国家神道は国民の義務として存在するけど、それは他宗教を直接的に圧迫はしないわけです。
また、靖国に祀られ「英霊」となった兵士達に対して、地元では公金によってお寺に墓地が立てられていた、という事例も、この「神道非宗教論」故でありましょう。
んが、宗教ってのは本当に「個人の内面にとどまるもの」なんでしょうか?宗教が現実世界の矛盾や社会への関わりを目指し、自らの拡大を望むなら、国家体制や社会との軋轢は当然生じうるはずです。キリスト教は中絶や安楽死といった問題で絶えず法的な論争を引き起こします。イスラム教なんて、宗教の形態そのものが社会密着型ですしね。
さらに言えば、他宗教者にとって天皇を神の子とみなし、そこに神性を認めるという国家神道の存在は、本当に「国家儀礼だから信仰と無関係」といって受け入れられるものだったのでしょうか?
次回は、こうした矛盾が噴出した例について述べたいと思います。
http://ch.kitaguni.tv/u/10977/%a5%b3%a5%e9%a5%e0/%a4%bd%a4%ce%c2%be/0000277849.html
「宗教は個人の内面にとどまるもの」「神道は宗教に優越す国家儀礼」…こうした解釈の矛盾が、噴出した事例があります。
※注意!本日は体調が優れない為文章がおかしい可能性があります!例によって後日加筆、修正するので許して。
1932年、上智大学の学生が、大学に配属されていた北原一視陸軍大佐に率いられて靖国神社へ参拝しました。ところがこの際2名の学生が頑として参拝を拒否したのです。
彼らは、カトリックの信徒でした。
厳密な信仰を求める彼らは、天皇を崇拝し、「英霊」に神性を認めることを拒んだのです。まさに、「宗教でない神道の優越」という欺瞞が崩れた瞬間でした。
この「事件」は一大騒動へと発展します。すぐに新聞各社はこの事件を大きく報じ、それを聞いた軍部は激怒しました。当然のごとく世論はカトリックバッシングへと傾きます。
そして文部相、軍部、大学、内務省の話し合いの末、カトリックと上智大学は完全屈服することとなりました。
学長以下全校の謹慎、学生、学長、そして神父の参拝…
象徴的な行動と共に、彼らは次のような申し入れを文部相におこないます。
忠君愛国の士を祀る神社に参拝することは、国民としての公の義務に関わることであって各自の私的信仰とは別個の事柄であることを了解した...
では、参拝を拒否した学生へのアナウンスは?
諸君の殉教精神はりっぱである。しかし、いつわが(日本)政府は基督教を捨て神道に改宗せよと迫ったか、その実を示してもらいたい。国家は国家の祭祀を国民としての諸君に要求したにすぎまい。[中略]明治大帝が万代におよぶ大御心をもって世界に類なき宗教の自由を付与せられたものをみだりに遮るは冒涜に値する。(「福音新報」1937年)
国の「神道非宗教論」に迎合し、衝突を避けることによって日本のカトリックは解決を図りました。その決断を責めるつもりは毛頭ありません。当時の過酷な社会状況を見れば、無理ならざる決定でしょう。(同時に、この2名の学生や内村鑑三のように己が信仰を貫いた人々へは、限りない尊敬と憧れを感じずにはおれません)
しかし、宗教者自身がこうして「社会への挑戦」を諦めてしまったことは、日本人の宗教観に大き影響を残します。それは、「宗教は個人の内面にとどまる」という、日本独特の解釈です。
国家神道は終戦を経て終結し、信教の自由は「国家儀礼の優越」から解き放たれたはずでした。しかし、それで日本人の宗教感変化したでしょうか。むしろ、「守るべき外形としての社会秩序」が国家神道や天皇崇拝から、「一般の社会常識」として再解釈されてしまったのではないでしょうか。
イエスの方舟事件などは、その例と言えます。法律に何ら違反せず、倫理的にも特に問題といえる行動をおこしていなかった「方舟」が激しいバッシングに晒されたのは、まさに彼らが「宗教だから」であり、「宗教は一般の社会(この場合は家族)と軋轢をもたらすべきでは無い」という観念があったからでしょう。
他宗教社会において、国政や立法の部分に特定の宗教観が反映されるようなケースは確かに問題でしょう。しかし、前回の最後にも述べましたが、世界的に見れば、「宗教が社会に関わること」そのものが問題ということでは決してないのです。
宗教は、常に既存社会への批判という要素を含んでいます、今後もし、現在の社会を激しく批判し、自らの宗教観に基づいて社会変革を目指す新興宗教が登場したとしましょう。または、既存の宗教団体がそのような活動にうって出たとしましょう。そして彼らが、洗脳や怪しげな資金集めといった、いわゆるカルト教団のイメージとは全く無縁の存在であったとして、日本の社会はそれを受け止めることが出来るでしょうか。「宗教であること」を理由に排撃せず、彼らの主張に耳を傾けることが出来るでしょうか。
こうした日本の宗教観は今後、他文化交流の時代にひとつの試練を迎えるでしょう。ムスリムやクリスチャンの信仰を理解するにあたって「宗教は個人の内心の問題」と片づけることは困難です。そのときわれわれは、我々の宗教観を形作った「国家神道」に、思いを馳せるべきではないでしょうか。
参考:
書評『靖国問題』高橋哲哉
神社参拝と宗教行為の規定の恣意性
投稿者:ゲーナ at 00:09
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