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AMLに転送されているメール(転送自由)を少々長いですが紹介します。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003439.html
【「郵政改革」幻想完勝の衝撃波−不可避となった財政破綻】
河宮信郎(中京大学経済学部)
1.先行する財政危機の実態
この選挙における真の「敗者」は民主党ではなくて「小泉財政」である。なぜか。小泉政府が解体すると宣言した国営・郵貯簡保は、日本国家の不可欠の財政基盤であった。「民営化」を待つまでもなく、現に郵貯への預金が減り、引き出しが増えている。2000年以降、郵貯簡保の資金が収縮に転じ、郵政資金を国債に流し込む仕組みが麻痺しはじめた。財務省は非常手段(後述)を発動して、郵貯簡保に国債を買わせてきたが、それにも期限が迫っている。これは、郵政よりも政府自体にとって致命的なタイムリミットである。
「郵政改革法」の施行(最速で来年度)を待たず、郵貯の自然収縮のあおりで新規国債の「未達」(売れ残り)が発生する危険がある。その時点で国家予算が執行できなくなり(財政破綻)、翌年度の予算案も編めない。2008年度の予算編成は頓挫する公算が高い。 「郵政民営化」による「官→民の資金移動」は、民主党からマスコミ編集者まで巻き込んだ壮大な「共同幻想」である。この共同幻想の根は、長期低迷に喘ぐ日本経済を再生させる「神風」への待望である。危機が深いほど、「救済幻想」への期待が肥大する。ついにわれわれの国は、小泉首相を「救いの神」に擬するほどに窮迫した。まずこの「共同幻想」を解明し、それにまつわる「意図的・欺瞞的な政治煽動」を分析してみよう。
2.小泉首相の「郵政改革」幻想と欺瞞的煽動
第一に、郵貯簡保に「資金がある」というのが幻想である。
郵貯簡保にもう資金はない。340兆円に及ぶ「資産」の内訳は、ただ国債210兆円(預託金経由を含む)をはじめ、公社公団への貸付債権等である。これらの「借金証文」を「資金」に戻すためには、債務者に金を返してもらう必要がある。しかし、なみいる債務者、つまり政府・自治体、各種の公団・公社(特殊法人)などは「返済」どころか、追加借入の獲得に汲々としている。政府をはじめほとんどの債務者が、「新規借入が止まる」だけで機能麻痺に陥る。「返済」は論外である。この国債を「不良債権」でなく、「資金」とみなす幻想がエコノミストにまで浸透している。
第二に、郵貯簡保が「民営化可能」というのが幻想である。
まず、自己資本の調達ができないであろう。世界最大となる金融機関にだれが十分な自己資金を供与できるか(まさか、自己資本の資金を国債発行で調達するわけにもいくまい)。
郵貯は、低利国債を大量に抱えている。これは、BIS(国際決済銀行)の考え方では「不健全な金融機関」と認定される。実際、BIS(国際決済銀行)が06年末に導入する新国際ルールでは、「債権を大量に抱える銀行」を「当局の監視・指導下」に置くよう要請する。とくに、日本国債のような超低金利の債権には、「金利上昇→価格低落」という向きの「変動」しか起こらない(いわば経営危機の時限爆弾)。新BISルールのもとで、郵政機関は「民営化・会社設立」と同時に「当局の監視・指導下」に置かれるであろう。しかし、郵貯簡保の資金を食い荒らし、国債だらけにした犯人は歴代政府である。政府に監視・指導を任せてよいか。
第三に、財政が「郵貯簡保からの借入なしにまかなえる」と考えるのが幻想である。
政府は、年35兆円に及ぶ国債発行(官需)に見合う資金を必要としている。この巨額の「民→官」資金移動なしには、国家予算(80兆円規模)の編成ができない。だからといって、「民営化しても国債購入を義務づける」というのでは実質的な国家支配である。
しかし、郵政に国債を買わせないのであれば、政府は「民」から直接借金する必要がある(銀行の郵貯化)。「民→官」の資金移動を命綱とする小泉政権が、最大の貸手をつぶすというのだから支離滅裂である。この点は民主党の郵貯限度額の縮小案も同じ穴のむじなである。単純な郵貯縮小でさえ、財政破綻に直結することの認識がどの政党にもない。
第四に、「民善官悪」論も現実とかけ離れている。むしろ意図的欺瞞に近い。
住専・山壱・拓銀・長信銀などの破綻のしりぬぐいに活用された「公的資金」の元手は郵貯簡保であった。「民の悪」を救済した郵貯簡保(官)は「悪」なのか。もし郵貯簡保が「民」であったら、政府は「民悪」のカバーができなかったのではないか。実際、銀行は預金保険機構にほとんど積立をせずに営業している。預保機構はたった1行の破綻でも借金(郵貯簡保から)をしないと、しりぬぐいができない。破綻リスクを丸ごと「官」に負わせ、自己責任を全うしない民間金融機関は「善」であるのか。また、28兆円もの赤字処理を国に押しつけて、身軽に「民営化」したJR各社は「善」であるのか。要するに、「民」(個人でなく金融機関)は自己責任を全うしえず、郵貯簡保からの融資を食いつぶした(民悪)。
郵貯簡保は、あらゆる「民悪」「官悪」のツケを背負わされた。こうして、340兆円の資産が返済不能な債務者(その筆頭が政府)にわたった。基本的な責任が政府にあることは明白である。政府は加害者・債務者である。郵貯簡保は被害者・債権者である。世界最大の債務者が、借り手責任を棚上げにして居直ったら、金融も財政ももたない。
第五に、小泉首相の「郵政公務員バッシング」は意図的、欺瞞的な煽動である。
歴史的にみると、郵貯簡保資金が「巨悪」に動員されたことは事実である。この資金は、日清・日露戦争から第一次大戦そして第二次大戦に至る戦費の調達(戦時国債の購入)、敗戦後の復興、大規模公共事業、財政赤字の補填、金融破綻の処理などすべての負担をまかなってきた。これら善悪とりまぜた「国策」をまかなったのは、「民の貯蓄」を「官の収入」に転換する「郵政」であった。
しかし、それは預金や簡保を扱った郵便局員の責任か。そこに金を預けた国民にも「責任」があるのか。冗談ではない。その時々の政府と立法府以外のだれに責任があるというのか。「官悪」を論じるなら、政府こそあらゆる官悪の最終的な責任者である。
小泉首相は、「官」の長として、郵政資金340兆円の使途を反省(むしろ懺悔)すべきである。しかしその反対に彼は、郵政、というより郵政職員を旧い「官悪」の元凶に仕立てあげた。これは、鉄面皮な欺瞞である。
そして、有権者が小泉首相のあからさまな欺瞞に拍手喝采したようにみえる。これは恐るべき頽廃である。人々がバブル崩壊以降の労働・雇用条件の悪化に苦しんでいることはたしかである。しかし、人々が、より恵まれた雇用条件にある「公務員攻撃」で憂さ晴らしをするとすれば、雇用・労働条件の一層の悪化にしかつながらない。小泉首相の「郵政公務員バッシング」煽動に乗ることは自分の首を絞めることである。
以上を述べたことをまとめると、「郵貯簡保に資金がある、民営化可能、政府財政が郵政と独立」などという想念は、厳しい現実とかけ離れた願望であることがわかる。小泉首相の演技は、「現実と戦う」振りをして、現実無視の幻想を語ることであった。したがって、郵政の組織いじりはたちまち「厳しい現実」(財政破綻)の復讐を受けるであろう。このとき、人々は「騙された」と思うにちがいない。しかし、小泉首相はどうなのか(自分も驚くのか、「してやったり」とほくそ笑むのか)。
3.差し迫る国債未達と財務省の当座凌ぎ
郵貯簡保を財とした財政投融資は90年代に60兆円にも達し、国税を上回り、80兆円規模の政府予算(1/3は地方財政に行く)に匹敵する規模を維持していた。これを元手に国債の大量発行が続き、90年3月に149兆円だった国債が現在600兆円近い(05年度末の国公債残高774兆円)。ところが団塊世代の定年到達とともに、郵貯簡保は純減に転じた(銀行の預金も停滞)。要するに、国債を安定的に消化するめどが立たない。
郵貯残高の縮小という新事態で、郵貯純増という新規国債引き受けの最大の資金源が崩れた。引き出しが増えて、<預け入れ+元加利子>を上回るようになったからである。預金者金利の低下も響いている。小泉首相の「郵政バッシング」が効き出すと、郵貯への信頼感が揺らぎ、引き出し−が一段と加速するかもしれない。
この危機的状況に追われて、財務省は従来の国債発行方式を捨てざるを得なくなった。新方式ははつぎのようなものである。郵貯簡保に「預託金」を現金で返す、その資金でそっくり国債を買わせる、これで現金が財務省に入る(返済した預託金が事実上もどる)。それでつぎの予算を組む。預託金というのは郵貯等に対する財務省の借金である。これを返した財務省がなぜ同額の現金を得るのか。その「からくり」はほとんど落語の「花見酒」商法である。
じつは郵貯は、返済された預託金を現金でもっていなければならなかった。そうでないと、預金者への払い戻す現金が用意できない。それを財務省にわたし、代わりに国債を得たのだが、これでは現金化のリスク(国債だと価格変動で減価する危険がある)を郵貯が負うことになる。逆にいうと、財務省は「国債の現金化」をし、郵貯は「現金の国債化」をした。これは等価交換ではない。後者のほうが圧倒的に不利である。
財務省は狡猾なやり方で、現金化の権利を郵貯から奪った。フェアではないが、財務省も必死である。これ以外に現金を得る(国債をはかす)道がない。しかし、このアクロバットもあと2年くらいしか続けられない。というのは、預託金の残高が80兆円を切り、年30兆円も取り崩していくと、2回半でなくなる(預託金勘定の清算)。預託金の枠内でしか使えない財政トリックだったのである。
4.つぎの焦点・財政破綻
日本の財政は、郵貯簡保の持続的拡大を存立基盤としてきた。いわば「郵営国家」であった。郵貯簡保の自然収縮は財政基盤の崩壊を意味する。ところが、小泉政権も岡田民主党も、郵貯簡保の自然収縮に追い打ちをかけて「意図的圧縮」をやるという(気はたしかか)。この危機状況に、財務官僚が口を閉ざしているのは、「あきらめた」からか。しかし、あきらめてすむことではないだろう。
小泉首相の「郵政改革」発進を待たずに財政は行き詰まる。敗戦後の混乱期と異なり、強権で預金封鎖をかけるのは無理であろう。逆に、まず「郵貯貯金の完全保証」で急激な引き出しを防ぐしかない。日銀の国債引き受けをある限度で制度化することも必要であろう。そのうえで、「郵政」ではなく「国政」そのものの改革、財政再建の方策を探ることが焦眉の課題となる。
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