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緊急特別インタビュー 「国民投票と国民投票法について」 今井一さんに聞いた
http://www.magazine9.jp/interv/imai/
総選挙での大勝を受け、自民党は「改憲」を進めるという発言を活発化しています。先の総選挙の争点にはまったく上がらなかった「9条改憲」が、早いスピードで国民不在のまま準備が進められていくことには、強い不安と懸念を感じます。私たちは、ただ不安な気持ちのまま、この成り行きを見守ることしかできないのでしょうか?
衆議院では今特別国会において共産・社民両党を含む50人の委員により「日本国憲法に関する調査特別委員会」(以下、憲法委員会)が設置され (委員長は中山太郎議員)、10月6日より本格的な国民投票法に関する審議が始まります。
そこで、『マガジン9条』では、「国民投票」及び「国民投票法」について、正しい知識と理解、そして準備をすることが必要と考えました。国内外において数多くの「国民投票・住民投票」の現場を取材し、これをテーマとした著書を出されているジャーナリストの今井一さんに、今回は改憲・護憲を超えた立場から、語っていただきました。
プロフィール
いまい・はじめ ジャーナリスト。
「真っ当な国民投票のルールを作る会」事務局長。
ポーランド、ソ連、東欧の現地取材を経て、バルト三国、ソ連、ロシアなどにおいて
民主化に伴い実施された「国家独立」や「新憲法制定」に関する国民投票を現場で見届ける。
その後も、日本各地の住民投票や、スイス、フランスなどで実施された
国民投票の現地取材を重ねる。
著書に『住民投票』(岩波新書)、『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)、
『「9条」変えるか変えないか―憲法改正・国民投票のルールブック』(現代人文社/編著)
など多数。
編集部 この度の選挙で大勝した自民党が、よく選挙期間中に「これは郵政民営化を問う“国民投票”だ」と言っていました。マスメディアも「国民投票的選挙」だとの表現を多用し、国民に“国民投票”についてのあるイメージを植え付けた気がします。
今井 選挙と国民投票とはまったく異なるものです。与党の首脳陣があの選挙を「国民投票」と表現したのは、彼等の思惑があってのことですが、それをマスメディアが国民投票「的」と一文字加えて追認し、誤りを指摘しなかったことは大きな罪です。
選挙と国民投票・住民投票の違いを端的に説明すると、選挙というものは、学級委員の選挙であれ、町内会の役員選挙であれすべて「人」を選ぶもの。今回の総選挙で言えば、「郵政民営化」を含め「年金」や「改憲」などさまざまな案件をどうするのか、それを自分に代わって決定する代理人を選ぶのが選挙なのです。一方、国民投票や住民投票というのは、ある「事柄」を主権者である私たち国民が代理人を通さず直接決定するものです。
5月にフランスで行われた「EU憲法批准の是非」のように、今回「郵政民営化の是非」を私たち主権者が直接決定したとしたら、それは国民投票ですが、そうじゃなかったですよね。私たちは国会議員を選んだだけ。「郵政法案」の可否を決定するのは、その国会議員たちです。ただの選挙を国民投票と言ってはいけない。
編集部 郵政だけを焦点に絞った選挙戦だったにもかかわらず、この結果によって9条改憲の動きがスピードアップしてきたように思えます。
今井 「9条第2項を改める」と言っている前原さんが民主党の代表になったし、9条改憲派は、憲法96条に定められている「憲法改正の発議」(国民への提案)に必要な「衆参各院の3分の2の賛成」というハードルを跳び越す勢力を擁しました。
ただし、わが国には国民投票に関する手続き法が、憲法制定から60年を経ようとしている今に至るもまだ制定されていません。国民投票法は「改憲の是非の決定」という国民の主権行使にかかわる非常に重要な法律で、その中身についてはみんなが注目し関与すべきだと思います。にもかかわらず、メディアは小泉首相が放った「女性刺客」についてはその言動を細かく伝えるのに、国民投票法についてはほとんど報じない。そして、国民も憲法改正がどのような手続きで行われるのか、あまり知らないようです。
朝日新聞やNHKの調査によると、国民の8割以上が「大事なことは国民投票で決めたい」と考えているというデータがあります。その一方で「憲法改正の手続き」を知っている有権者は、私たちの調査では東京で10パーセント、大阪で5パーセント、平均7.5パーセントしかいないという現実もまたあります。
編集部 もともと自民・公明・民主の3党合意によって制定されると言われていた国民投票法ですが、圧倒的な数を背景に、自民・公明だけで与党案を提出する可能性も高くなってきました。これまでに発表されている与党案や民主党の案には、どういう違いがあるのでしょうか。
今井 例えば「投票権者」の規定ですね。与党案は「国会議員の選挙権を有する者」で、民主党は「18歳以上の日本国民」となっています。投票方式については、民主党がはっきりと「個別」としているのに対して、与党案は国民投票の都度「一括」か「個別」か、どちらにするかを決めるとしています。また、賛否両派の運動や外国人の運動に対する規制や、メディアに対する報道規制についても違いがあります。
すでに選挙においてはさまざまなメディア規制が行われているわけですが、自公案はこうした規制を国民投票においてもあてはめようとしています。一方、民主党案のほうは、選挙と国民投票は異質なものだとして、基本的にメディア規制は全廃すべきだとしています。基本的に「規制ゼロ」から考えるというのは、私たち「真っ当な国民投票のルールを作る会」と同じ立場ですが、こうした各案の中身と違いについては、私たちのホームページに載せている「論点比較表」を読んでみて下さい。
編集部 メディアが規制されるというのは、大きな問題ですね。国民の知る権利や表現の自由を封じ込めようとしているように見受けられます。それで、先ほど話された投票方式ですが、「個別」「一括」というのはどういう意味なんですか?
今井 国民投票において賛否の意思表示を求める案件が一つなら問題ないのですが、複数に渡る場合、どういう投票方式をとるかということです。例えば、昨年現地取材したスイスの国民投票では、「高速道路建設」「賃借り法の改定」「凶悪な性犯罪者に対する処遇」の3つについて賛否が問われました。この際、投票者はこの3つの案件についての賛否を別個に記入します。例えば「○」「○」「×」のように。これが個別投票です。そうではなく、3つの案件について訊ねているのに回答は1つしか記さないというのが、一括投票です。
一括投票なんておかしいじゃないかと思われるでしょうが、妥当な場合もあります。例えば、憲法を「全面改正」する場合です。ソ連が崩壊してロシアになったとき、「新憲法草案」の是非を問う国民投票が行われました(93年12月12日)。しかし、相互に関連のない例えば「9条」「環境権」「プライバシー権」の3つを一括投票とするのはおかしな話で到底認められません。こんな非常識な国民投票をやってる国はどこにもありません。
編集部 メディア規制の有無、一括にするのか個別にするのかなど、国民投票のルールをどうするかによって、改憲の是非を問う、国民投票の結果が大きく変わりそうですね。
今井 自民党のある国会議員と国民投票に関する勉強会で同席したのですが、彼が私に向かって、はっきりとこう言いました。「私たちは政権与党であり、9条を改正すべきだという強い信念を持っています。確かに“9条”“環境権”“プライバシー権”の一括投票は民主的でないかもしれませんが、権力を持っている側が、自分たちに有利なようにルール設定をするのは当然のことです。それがおかしいというのなら、世論を盛り上げてください。こんな一括投票なんておかしいと多くの国民が声を上げれば、私たちはこうしたルール設定を引っ込めざるを得なくなる。だけど国民が何も言わなければ、私たちはそのままやらせていただきます」
傲慢に聞こえますが、実に正直な発言でもあります。彼の言う通りで、文句があるのなら国民が声を上げなくてはならないのです。国民投票法がより真っ当なものになるように私たちも努力すべきではないでしょうか。
編集部 これから国民投票法制定に向けて、どんなスケジュールで進むのでしょうか。
今井 9月22日、衆議院の特別委員会で新たに憲法委員会が設置され、50人のメンバーが選ばれました。この委員会の目的は国民投票法の制定に限られていて、10月6日を皮切りに、これから毎週議論を交わしていきます。
いずれどこかのタイミングで具体的な法案を提出することになるわけですが、もし自公が民主案を無視する形で与党案を出せば、民主党はすかさず対抗する民主案を出すでしょう。その上で、どちらの案が真っ当なのかという議論になるわけですが、採決したら自公の与党案が通ります。それで本会議に出されたら、これまた3分の2を自公で占めているわけだから、確実に通せます。参議院がもし否決したとしても、衆議院に戻って採決すれば問題はない。そうすると、早ければ年明けの通常国会で法案が成立する。
他に考えられるのは、自公が民主党の案に歩み寄り、年明けの通常国会において3党合意で統一案を出すというパターンです。中身が真っ当なものであれば、社民党も賛成するかもしれません。
編集部 憲法を守りたいという人の中には、改憲を現実的なものにしてしまう国民投票法の制定自体に反対する声もあり、その気持ちは私にも理解できます。
今井 私は、いびつなものであれば反対ですが、真っ当なものであれば国民投票法の制定に賛成しています。改憲の是非を決める国民投票は私たちにとって最も重要な主権行使であり、そのルールとなる法律があるのは諸外国の例を見ても当然だからです。
ところが9条護憲派の中には「たとえどんなに真っ当なものであっても、国民投票法の制定には絶対反対」と主張する方がいます。国民投票法作りは、「改憲の一里塚作り」「9条を刺し殺すための包丁研ぎ」というわけですが、国民投票は「護憲の防波堤」「9条を蘇生するための特効薬」になる可能性もあるんですよ。つまり、国民投票は制度として価値中立であり、真っ当なルール設定がなされれば「護憲のための国民投票」とか「改憲のための国民投票」などというものはなく、あるのは「主権者に改憲の是非を問う国民投票」だけです。
だから、9条を護りたいという人は「改正の発議」がなされないように努めるとか、国民投票で「改正反対票」が多数を占めるように努めるべきであって、私たちの主権行使を保障する国民投票法の制定に反対するという主張は、多くの国民の理解や共感を得られるとは思えません。
「9条の会」の発起人の一人、鶴見俊輔さんも「憲法改正に関する国民投票を恐れてはいけない。その機会が訪れたら進んでとらえるのがいいんじゃないかな。」(「朝日新聞」98年2月4日付夕刊など)と発言されていますが、鶴見さんは、現在もなおこの考えに変わりはないとおっしゃっています。
今井 国民が選んだ国会議員の各院3分の2が賛成して初めて改憲の発議ができて、最終的には国民投票で私たちが決めるというのは、ものすごくハードルが高い。
公正なルールのもと、厳格な制度のもとにおいても、国民が真っ当な判断ができないのだとしたら、それは国民投票という制度が悪いのではなくて、国民に問題があるということです。もし「国民の主権行使を実施することが憲法改悪につながる」と言うのなら、国民を賢くする努力をするしか方法はありません。そうでないと、いつまでたってもこの国は議員のやりたい放題のままです。
先日のフランスの「EU憲法の批准」をめぐる国民投票では、80パーセントを超える議員が賛成していたのに、社会党左派や共産党は「国民投票で私たちは逆転勝利をするんだ!」とキャンペーンを張り、わずかな期間で状況をひっくり返しました。私は投票日前後の8日間パリに滞在し、フランス政府の関係者に会うなどしてこの国民投票がどんなルールで行われたのかという取材を重ねていたんですが、実は中山太郎代議士(衆議院憲法調査会長)や保岡興治代議士(自民党憲法調査会長)も投票日前に日本から調査に訪れていたんですね。お二人とも「反対派圧勝」という結果を目の当たりにしてショックを受け、国会で多数を制しているからといっても油断ならないという「教訓」を得たようです。
このように、フランス、オランダ、ルクセンブルクと国民投票の現場に足を運び旺盛に学習している改憲派に比べ、日本の9条護憲派には諸外国の国民投票や日本の住民投票から学ぶという姿勢が見られません。本気で9条を護る気があるなら、国民投票での勝利を目指して積極的に学んだ方がいいと思うのですが。
編集部 国民投票が、主権を行使する重要な権利である、ということはわかります。しかしその一方で、数の多さだけで“民主主義”が語られてしまうことに、危機感を持っています。歴史を振り返ってみると、例えば、ナチスドイツなど、民主主義の手続きを踏みながら、たくさんの過ちを犯してきたことも事実としてあります。
今井 国民投票を実施しさえすれば民主主義を実現できるという考えは幻想でしかありません。間接民主制において議員が時として民主主義を損なうように、直接民主制においても市民が過ちを犯す可能性は当然あります。理性に満ちた道を選ぶのか衆愚に陥るのか、それは私たち市民の智慧と勇気にかかっています。
新潟県巻町で行われた住民投票を皮切りに、御嵩町、名護市、徳島市と私はこれまで数多くの住民投票の現場を取材してきましたが、どの街でも最初に問題が持ち上がったときは、それが「原発」であれ「産廃」であれ、住民たちの多くは不勉強でした。でも住民投票の日までに半年、1年と時間を費やして、その間にみんなよく学び、よく考え、よく話し合った。誰もが放射性廃棄物やダイオキシンのことを勉強して投票所に行きました。それはみんなの一票で決着がつくからであって、最終的に決着をつけるのが議会だったら、あんなに住民自身の問題として関心を集めることもなかったと思う。
「軍隊と防衛の問題は日本人にとって最も苦手な分野だから…」と言う人もいるけれど、確かに、うちの近所のおばちゃんに9条問題を語れと言ってもそれはいま語れませんよ。来週投票があるとしたら、衆愚政治になるかもしれない。だけど4カ月、5カ月という期間があって、きっちり勉強していく機会が設けられたら、状況は違ってきます。国民投票ともなれば、マスコミは連日この問題について取り上げますし、国民も勉強するようになります。多分約3割の人は関心がなく投票所に来ないでしょうけど、6割、7割の人がしっかり勉強すれば、決して衆愚政治にはならないと思います。
編集部 国民投票というのは、国民が憲法の問題について真剣に考え、学ぶいい機会だということですね。
今井 そうです。あと、自分が主権者なんだということを認識し実感できる機会でもあります。
今井 国会で100パーセントの人が改憲に賛成であっても、国民がノーといえば、改憲されません。その時、国民が本当の主権者であるということがはっきりさせられるのです。これは権力者にとってはドキドキものですよ。
彼等は、やっと国会で3分の2を取ることができて、「憲法改正の発議」ができるようになった。戦後60年、党を設立してから50年、ようやく永年の悲願であった、憲法改定、9条を変えるというお膳だてが揃ってきたのに、国民投票でひっくり返されてしまう恐れがあるのですから。もし本当に、国民がNOを突きつけたら、この先10年は9条改憲を言い出せなくなるかもしれません。
編集部 “憲法を変える権限は、国民にしかない”ということを、今一度、理解しておく必要がありますね。それから、改憲したい人たちは、「なぜ、何のために、改憲したがっているのか?」ということを、よく考えてみる必要もあるでしょう。そこで、国民投票法案について、いま市民ができることは何でしょうか。
今井 権力というのはお人よしではないですから、私たち国民は監視していますよというメッセージを出し続けることでしょう。院内で行われる憲法委員会の審議にも、紹介議員がいれば傍聴できますからどんどん行きましょう。
それからメディアに対しては、「国民投票法の報道が少なすぎる」「ワイドショーのように、女性刺客にばかり時間を割かないで、国民投票法の中身についてきっちり報道してほしい」と注文を付けましょう。彼等は私たちが思っている以上に、視聴者の声というものを気にしますから。
それから、「真っ当な国民投票のルールを作る会」が、10月16日(日)に、公開討論会を開催します(詳細はこちらへ)。この討論会には、各党の憲法委員や『週刊金曜日』の北村肇編集長、慶應義塾大学の小林節教授も登壇します。議員には院内においても、徹底的に議論していただきたいのですが、ほとんどの国民にはその議論が伝わらないので、市民のフィールドに出てきてもらって私たちの質問や疑問や懸念に直接答えてもらおうと思っています。参加費を納めれば誰でも参加できますから、『マガジン9条』の読者もシンポジウムに来て、直接いろいろな疑問を、議員たちにぶつけてください。
*この公開討論会への招待券(前売り券1000円)を、読者のみなさんに先着5名様に読者プレゼントします。ご希望の方はご意見フォームより、タイトルに「チケット希望」と明記、送付先、お名前を書いてお送りください。
国会の中で改憲派がどれだけ圧倒的な多数を占めても、
国会議員にできるのは「憲法改定の発議(国民への提案)」だけ。
改憲するかどうかは国民投票によって決定される、つまり、
最終決定権は議員ではなく主権者である私たちが持っているのです。
このことを、常に忘れてはいけないという思いを、さらに強くしました。
今井さん、ありがとうございました。
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