★阿修羅♪ > 日本の事件18 > 809.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 元北大教授を詐欺で逮捕 海底地震研究の第一人者(時事通信) ― この記事だけでは詳細がわからない 投稿者 シジミ 日時 2006 年 2 月 01 日 22:10:28)
★ 不思議な「事件」です。何があったのでしょう?
参考までに、今回話題のノルウェーの海で調査活動をした時の記録が、『島村英紀のホームページ』(最終更新日:2006年1月31日)にアップされており、ノルウェー大学の地震観測船や海底地震計の話題が出てくるので、紹介します。
話は多少ずれますが、島村英紀氏がノルウェーに持ち込んだ小型な日本の海底地震計を海底から回収するに当たり、漁業国ノルウェーでは、魚網を改良してこれを拾う方法を発明しています。
島村英紀が撮った「海底地震計の現場」より抜粋:
北大西洋は、メキシコ湾流のおかげで、緯度の割には暖かいが、一方、湿気が多く霧が出やすい。しかし、暖かいといっても、夏の気温や水温はせいぜい数℃である。 私たちが防寒着を着ているときでも、ノルウェー人たちは、なんと半袖で作業することも多い。1万年前に氷河期が終わったとき、氷河が北へ北へと後退していくのを追いかけながら、ノルウェーの西海岸に住み着いていったノルウェー人たちは、長年の間に、寒さに対する感覚が鍛えられたのであろう。 1989年8月、ノルウェー北部沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。 (撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKL)
同じく、私たちの海底地震計の設置。 1995年8月、ノルウェー北部沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。 左はフェロイ船長。私が経験したかぎり、どの観測船の船長も好奇心に富んでいて、新しい実験に協力的だった。この船長も、わざわざ後甲板まで降りてきて、自分から海底地震計の設置をしてくれた。 海底地震計がどんな機械で、中はどうなっていて、どう動作するのか、この船長は十分に理解してくれた。そのせいもあって、浮いてきた海底地震計に船を寄せていく技量は、この船長が随一だった。 風と流れの方向が一致しないときには、 船と海底地震計の流れ方が違う。それを計算に入れて、先回りして船を持っていくことは、なかなかの技量を要するのである。 この船はノルウェーの国立大学が持つ観測船だが、日本の同様の船が年に半分も動かないのと違って、ほとんど一年中、動いている。これは船長も船員も二組、いるからである。日本の官庁船にはこの仕組みはなく、したがって、高い税金を使った船が、半分は港に寝ていることになる。 この船長はベルゲンの西、大西洋岸にある島に別荘を持っている。船を下りたときには、そこへ行って大きな魚を釣ったり、画を描くのが趣味である。 (撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)
しかし、世界の他の国の海底地震計が私たちの海底地震計のように小さいとは限らない。これはドイツ海洋研究所(GEOMAR)の海底地震計。 右手の旗の先から、左手でドイツ人の女性の大学院生が持っている地震計センサーまでの長さは、優に小型乗用車の長さを超える。重さも、数人の海軍兵士が手で持ち上げられる重さではない。 しかし、これほど巨大だからといって、その大きさの分だけ、海底地震計としての性能がいいわけではない、と私たちは考えている。ウィンチなどの装備がととのった海洋観測船がいつでも使えるドイツと、ときには長さ数メートルの小型の漁船しか借りられない私たちの海底地震計は、そもそも出発点が違うのである。 もちろん、ウィンチが使える大型の船とはいえ、海が荒れて船が揺れるときには、設置のためにロープで吊り上げた海底地震計は、人々をなぎ倒す凶器にもなりうる。私たちが海底地震計をなるべく小さく、軽く作ってきたのは、それなりの考えがあるのである。 (撮影機材は Nikon F100。レンズは Nikkor Zoom 28-200mm f3.5-5.6。フィルムはコダクロームKR。ノルウェー北部沖の北大西洋で。2003年6月)
これもドイツ海洋研究所(GEOMAR)の海底地震計。赤い旗から架台までの高さは4m近い。ドイツ人にとっては海洋測器の大きさは、このくらいのものがごく普通なのかも知れない。 左側に突き出ている白い構造物は、海底に着底したあとに、地震計センサーを海底に投げ落とすための「滑り台」である。 海底地震計本体(このオレンジ色のブイと架台)のように巨大なものが海底に立っていると、海底を流れる海流である底層流によって、本体が揺すぶられて、壮大なノイズを出してしまう。これが地震観測の邪魔になるので、せめて地震計センサーだけを3mほど離そうという仕掛けなのである。 しかし、3mではたかが知れている。ノイズの低減もたいして計れないに違いない。全体のデザインと言い、荒れた海では取り扱いに困る大きさと仕掛けといい、私たちにとっては、それほど気の利いた機械には見えない。 (回収の時に海面で発見しやすくするための)旗が海底でも立って翻っているというのも、ノイズから見れば論外の仕掛けだ。 (撮影機材は Nikon F80。レンズは Nikkor Zoom 28-200mm f3.5-5.6。フィルムはフジS400。ノルウェー北部沖の北大西洋で。2003年6月)
観測船は、浮上した海底地震計を見つけて、甲板に回収するわけである。回収するときの海底地震計の重さは空中重量で37kgほどになる。 (1988年8月、ノルウェー北西部、ロフォーテン諸島沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)
ポップアップ式海底地震計が海面に浮いてきたら、船を近づけて、なにかの方法で掴まなければならない。 小型の船なら簡単だが、ちょっと大きな船や、この船のように北洋を走る船では舷側が高いので、海面上に浮いている海底地震計を「掴む」のは、ちょっとした仕事になる。 第一に大事なのは操船、つまり船の操縦である。ガラス球を浮力体に使っている海底地震計は、船がぶつかったらひとたまりもない。 手が届くところまで船を近づけるのは、航海士の腕である。私の経験では、もと漁船に乗っていた船乗りは、この種の操船がうまい。一方、航海士の学校を出たエリートの商船乗りは、下手であった。経験の違いと、ゼニを稼ぐ根性の違いなのであろう。 しかし、風の方向と海流の方向が違うときなどは、もっぱら海流で流される海底地震計に、海流と風の影響を両方受ける船を近づけるのは、それほど容易なことではない。しかも船は船首の方向を変えれば、風の影響も変わってしまう。 しかも、自動車と違って、船は低速になるほど、舵がきかなくなる。船を動かしていないと、船は海底地震計に近づけないことになる。 つまり、海底地震計を、こうして捕まえるのは「瞬間芸」なのである。一度、海底地震計を引っかけ損なったら、船を直径数百メートルの円を描いてぐるっと360°回して、同じことを繰り返さなければならない。この「ひとまわり」には、普通15分ばかりかかる。 日本の船の取り柄は、この作業に軽くて強い「孟宗竹」の竿を使えることだ。ノルウェーでは、ボートフックというむくの木の棒を使う。とてつもなく重い棒だ。 (1988年8月、ノルウェー北西部、ロフォーテン諸島沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)
世界でも屈指の漁業国であるノルウェーでは、1990年代の半ばに、魚を捕る網を改良して、私たちの海底地震計を拾う方法を発明した。 写真に見られるように、長いアルミの竿を付けた網を舷側から突き出して海底地震計を捕まえたあと、網についているロープを、クレーンで引き上げる、という手法である。 さすが漁業国というべき発明である。しかし、一方で、海面に浮上した海底地震計を発見するために使う無線発信器のアンテナが、回収作業中に折れてしまうという「事故」が多発することになった。 もちろん、回収することが第一なので、アンテナはあとで修理すればいいはずだ。荒れた海では、アンテナにかまっている余裕はない。 しかし、このような回収方法を想定していなかった私たちの無線発信器は、アンテナが一体型だったために、修理費が大変高くついた。6000m以上の水圧に耐えるために、アンテナの取付部分は、十分水密になっているからである。 それゆえ、ここから先は私たちの仕事だった。いままでと違って、アンテナが壊れることを想定して、アンテナ部分だけを取り外し式にしたのである。 (1996年5月、ノルウェー海で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズは Olympus Zuiko 21mmf3.5。フィルムはコダクロームKL)