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(回答先: 死刑判決「何かの間違い」…宮崎被告、謝罪なく幕 [読売新聞] 投稿者 white 日時 2006 年 1 月 18 日 09:53:49)
結審まで17年かかった裁判。
長期化の元になったのが、マスコミ各社による「オタクは犯罪予備軍」との論調と、その反発からくる「趣味と犯罪とは無関係→精神疾患の可能性も考慮すべき」という擁護論ではなかったろうか。
社説では再び根拠も無しに「インターネット」「ゲーム」を「社会病理」扱いしている様である。
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1月18日付・読売社説(2) : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
☆http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060117ig91.htm
[連続幼女殺害]「長い裁判が提起した重い課題」
バブル経済が絶頂期の1988〜89年、まさに社会を震撼(しんかん)させた幼女連続誘拐殺人事件だった。その冷酷さ、残忍さ、反社会性は今も、多くの人の記憶に残っているだろう。
それから17年半を経て最高裁が、宮崎勤被告(43)に対する1、2審の死刑判決を支持し、被告側の上告を棄却した。死刑確定までに、余りにも長い歳月である。これでは、刑事裁判の意義を失わせかねない。
宮崎被告は東京、埼玉で女児4人を車で連れ去り、殺害した。ビデオに埋め尽くされた自室で、遺体を切断し、遺骨を被害者宅に届けたり、「今田勇子」名で犯行声明を新聞社などに送りつけた。
裁判の最大の争点は、宮崎被告が犯行時、責任能力があったかどうかをめぐる精神鑑定だった。これが、審理が長期化した最大の要因でもあった。
1審では精神鑑定を中心に7年余を要した。鑑定の結果も、完全な責任能力を認めるものから、統合失調症で責任能力は限定的(心神耗弱)であるというものまで3通りの結論に分かれた。
刑法は心神耗弱の場合、刑を軽減すると定めている。完全な責任能力が認定されれば死刑が想定されただけに、鑑定をめぐる検察、弁護側の対立が続いた。
精神鑑定の実施期間中、審理は中断する。結論が分かれれば、審理は迷路に入り、さらに時間もかかる。
最終的に決着をつけたのが最高裁判決だ。判決は、宮崎被告の完全な責任能力を認めた1、2審判決を「正当」として是認し、「自己中心的かつ非道な犯行で酌量の余地はない」と断罪した。
国民が刑事裁判に参加する「裁判員制度」が、2009年春から始まる。今回の事件のような裁判の進め方では、とても円滑には機能しない。
04年に成立した裁判員法では、公判前に鑑定の手続き、実施を行うことが可能になる。裁判員の前での「鑑定論争」や審理の中断を極力避けるためだ。
法曹界は従来の裁判の意識を変え、公判前の「鑑定」の導入に向けた準備を急ぐ必要がある。
いたいけな幼女に魔手をのばした「宮崎事件」の動機や背景は、長期裁判でも十分、明らかにはならなかった。
事件後、インターネットや携帯電話が全盛の時代になった。現在の社会には、際どい性や暴力の情報、ゲームが氾濫(はんらん)している。幼児らを標的にする、類似と見られる残虐な事件も拡大している。
最高裁判決が示すのは、この「社会病理」を検証し、取り除いていくことの緊急性、重要性である。