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(回答先: 宮崎勤被告の自宅は今…悲しみだけ残る更地 「幼女連続誘拐殺人」から18年 [スポーツ報知] 投稿者 white 日時 2006 年 1 月 17 日 09:22:29)
□死刑「何かの間違い」面会人に宮崎被告 [毎日新聞]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060118-00000012-mai-soci
<連続幼女誘拐殺人>死刑「何かの間違い」面会人に宮崎被告
「判決は何かの間違い」。連続幼女誘拐殺人事件で殺人罪などに問われ、17日に最高裁で3度目の死刑判決を受けた宮崎勤被告(43)は判決後、東京拘置所で面会した大学教授にそう語った。事件から17年余。「凶悪な犯行が社会に与えた衝撃は甚大」と最高裁判決で指摘された宮崎被告が、謝罪や反省の言葉を発することはなかった。
宮崎被告は上告審に出廷する権利も義務もなく、東京拘置所でこの日を迎えた。判決後、面会を求めた臨床心理士の長谷川博一・東海女子大教授と会った。
面会時間は15分弱。宮崎被告は、金縁めがねに白と緑のトレーナーを重ね着した格好で現れた。面会中は終始、左手でほおづえをつきながら、視線を机の上に落としたまま、感情を見せることもなく語ったという。
長谷川教授が「判決はどうなったと思うか」と聞いたところ「無罪」と断言。「実はそうではなく、死刑だよ」と伝えると「何かの間違い」と、動揺することなく答えたという。「(判決は)どこを間違えたのか」との問いには「残忍と思われたのではないか」と答え、「あなたは優しいのではないか」と聞くと「解剖はいいこと」「啓示が出た」などと説明をしたという。
また、長谷川教授は「これからどうする?」と問いかけた。答えは「何もしない」「そのうち無罪になる」。「何か要望はあるか?」と聞いたら「(文通のための)切手が欲しい」と淡々と告げたという。
長谷川教授は「判決内容には関心がない印象だった。質問にははっきり応じたが、常識では通用しない答えが多い。以前から持っていた心の障害が拘禁反応で進行しているのではないか」と語り、統合失調症の可能性を指摘した。
長谷川教授は、大阪教育大付属池田小事件の宅間守・元死刑囚と面会し謝罪の言葉を引き出した。
宮崎被告は昨年12月、拘置所で描いた27枚の絵をまとめた画集「結晶」を、インターネット上で「電子出版」した。死刑判決確定の場合、外部との手紙のやり取りが制限されることを理解し、知人らにあてた最近の手紙では、確定後は弁護士を通じて連絡を取るよう求めている。最高裁の判決文は、18日にも宮崎被告の元に届けられる。【伊藤一郎、木戸哲】
◇被害女児4人の遺族宅ひっそり
被害者の自宅や現場は静かに判決を迎えた。
埼玉県入間市の被害女児(当時4歳)の自宅は窓が閉め切られ、呼び鈴にも応答はない。近くの寺院にある女児の墓前で、住職(68)は「ご遺族は年に数回いらっしゃるが、事件のことは口にしない。お互いに分かっているから」と話した。
飯能市の女児(当時7歳)宅も雨戸が閉じられたまま。川越市の女児(同4歳)の遺族は事件後に引っ越し、転居先のインターホンにも応答はなかった。東京都江東区の被害女児(同5歳)宅もひっそりとしていた。
被害女児の1人が遺体で見つかった飯能市の霊園。事件後に4人の慰霊碑が建てられ、この日も花が供えられていた。女児の発見者の1人となった霊園の元管理人、藤井勝七さん(90)は「元気でいれば今ごろお嫁に行っていたかもしれない。それを思うと……」と声をふるわせた。【まとめ・高本耕太】
◆17年 一体何を変えてきたのか
宮崎勤被告(43)が逮捕された89年夏、新聞の容疑者呼称は「呼び捨て」だった。当時、埼玉県警担当を担当していた私は、原稿用紙に「印刷業手伝い、宮崎勤(二六)」と何百回も書いた。
前年の暮れ、埼玉県の山中で被害者の遺体が初めて見つかった時、写真送稿のため電話配線をドライバーで解体した。モジュラージャックなどなく、ワープロがやっと出始めた時代だ。
その後、取材現場は劇的に変わった。89年11月、本社は「呼び捨て」をやめた。原稿用紙も消え、パソコンが一般的になった。社会全体も、バブル崩壊やIT(情報技術)革命を経て大きく変容した。
ただ、我々が変えなければならなかったのに、変えることを怠ったことがある。
宮崎被告の逮捕から間もない89年10月、中部地方で女児が誘拐され、殺された。私はかなり驚いた。「4人も子供が殺されたのに、またか」と。
そして17年が経過しても、子供への残酷な犯罪がやむことはなかった。広島や栃木の事件を踏まえて思うのは、我々は「宮崎事件」から一体何を学んだのかということだ。変えなければならなかったことを「人ごと」として変えてこなかったと痛感する。
事件が起きた埼玉県入間市と川越市を18年ぶりに訪ねた。武蔵野の面影の残る静かな住宅街で、以前はばらばらに下校していた子供たちが、大人に付き添われ集団で家路についていた。住民は「二度と事件は起こさせない」という。「子供を守る」という機運が各地に広がりつつある。地域の子供たちのために、今度こそ立ち上がらねばと思う。【小野博宣】
(毎日新聞) - 1月18日3時7分更新