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(回答先: 振り込め詐欺:携帯番号の変更通知で被害 北海道の主婦(毎日) 投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2005 年 12 月 28 日 10:20:41)
帝國詐欺対策研究所
人間とはだましだまされるのが本性とする社会を形成する類的動物である。
だまされないためには、一度この世界が陰謀によって生成された社会であると
疑ってみることである。
すべてを疑うことから出発する
「文明批判」と「文明批評」、「政治社会批判」と「政治社会批評」などの
書物を読むことは、現代社会を生存するための前提となる。
テレビの正月番組のドラマは
詐欺にだまされるばかりの人間を量産する。
必要なのは演じられた芸能人によるドラマにだまされない疑う能力であろう。
テレビ劇場を批判する能力
演じられたドラマツルギーを批判する能力がなければ
いつまでも振込み詐欺にだまされてしまうであろう。
振込み詐欺は息子を演じ、被害者はその息子にふりかかった被害のドラマに
うまくはめられて、振り込んでしまう。
現代資本主義とは人をだまし人をはめてしまい、虜にする
ゲーム資本主義なのだ。
ゲーム資本主義とは、人をはめてしまうことである。
振込み詐欺の演技にだまされないためには
新聞のテレビ番組を見ず
テレビドラマを見ないことである。
そして芸能を見るなら
生身の舞台を見ることをすすめたい。
生身の舞台には人間の悲劇と喜劇がある。
人間とは「劇的なるもの」であることが発見できる。
演じるものを舞台で生身で見ることは
「演劇とは陰謀である」ことが発見できる。
振込み詐欺、息子を装う演技の声にだまされないためには
「演技とは陰謀である」という、動物的知覚を奪還しなくてならない。
「これはおかしい」という不断から日常を疑う
批判能力と批評能力の感覚を奪還しなくてならない。
演ずる人間によって量産されているテレビドラマとは
だまされる人間を日々量産している。
ゆえに日本人は演じる人間にだまされてしまうのである。
小泉純一朗は演ずる人間だ。
テレビ小泉劇場とは日本盗賊経済の現出でもある。
劇場はつねに批判と批評の対象物となる必要がある。
テレビから離れ、携帯電話を捨て
野外においてまず、自分が演じてみることである。
自分が演じてみて、人ははじめて他人の演技を知覚できる感覚をもつ。
しかし携帯電話の奴隷となった人間は
ますます、詐欺にだまされていくだろうという絶望的観測もある。