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(回答先: memento moriさん、どうもです。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 12 月 17 日 07:22:49)
デラシネさん
論点がずれていたら御指摘ください。よくはずしてしまうので。
>memento moriさんのお考えは、例えば以下のブロガー氏の意見にかなり近いのではないでしょうか?
>http://am.tea-nifty.com/ep/2004/10/eastwest.html
少し違うような気がします。私は「あれはだめでこれが良い」といった判断を世に問うほどの経験はありません。学部教育の中でDMS-IVなどの(十二分に不備なカタログ的)診断基準を勉強させることもある程度仕方の無いことで、それを一生懸命勉強しても臨床ではケースごとにやはり悩む、それでよし、と思っております。そうでなくては、診断の目はできてこないでしょう。 現在あるものはできるだけ有効に使わせてもらうが、不備な診断基準やカタログを完備することにはいまのところあまり興味がない。(必要なことだとは思いますが、私の仕事じゃない)
>いただいたレスを拝読しての小生の感想なのですが、memento moriさんは「実にまっとうな良識と高い教養、decentなお人柄をお持ちの方」の一言に尽きます。
>以上です。
>おしまい。
これは「DSMを貼り付ける輩」のお返しですか。このくらい、あてこすられても仕方ないか。お手柔らかにお願いいたします。私も気をつけます。
>小生は「人格障害」の範疇に入る人、またはその予備軍が、如何なるきっかけであるにしろ自ら気付きを得、手遅れになる前に自身の人格の歪みを改善する方向で踏み出してくれることを願うばかりです。
>正直、小生は人格障害者の人権より、彼らの犠牲となる無垢な子供たちの命を守るほうを優先します。
デラシネさんのスタンスはわかりました。もっともだと思います。
ただ、現在の精神医学には、社会の要請に答え得るほどしっかりした「刑事罰を免責できるだけの予見性」も「累犯を予見する〜否定する能力」もないと思っております。(自分が関与したケースだとしたら、それこそケースバイケースでしょうが)、一般論で「有罪にするな」と声高に叫ぶつもりは毛頭ありません。罪を犯した者の処遇は、警察、司法の問題と思っております。いったん問題が司直の手に渡ったら、教育(治療?)は手遅れであった、あきらめなさい、となってもいたし方がない。自分としては、以下のMグループさんの心情に近いと感じています。
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★阿修羅♪ > 日本の事件18 > 391.html
Re: 「登下校中の子供が殺害された主な事件」一覧
http://www.asyura2.com/0510/nihon18/msg/391.html
投稿者 西岡昌紀
この中で、何人が死刑に成ったんでしょうか。・・・
もう、刑務所からもう出た奴も居るんでしょうか。
もし、既に出て来た奴が居るなら、彼らを追跡して、
社会生活のあらゆる場面で、徹底的な差別を加えるくらいしか
私達にやれる事は有りませんね。
Re: 医者としてできることをやってください
http://www.asyura2.com/0510/nihon18/msg/403.html
投稿者 Mグループ 日時 2005 年 12 月 07 日 12:17:36: 6gomDoZMNWmGg
(回答先: Re: 「登下校中の子供が殺害された主な事件」一覧 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 12 月 06 日 17:19:22)
西岡さんは精神内科医だそうで。この種の犯罪(反社会的行動)は脳(心)の病
と医者はとらえるべきでしょう。死刑などの刑を科すのは司法の仕事、徹底的な
差別を加えるのはおばさんおじさんに任せておけば良いでしょう。
(以下略)
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>小生は「人格障害」の範疇に入る人、またはその予備軍が、如何なるきっかけであるにしろ自ら気付きを得、手遅れになる前に自身の人格の歪みを改善する方向で踏み出してくれることを願うばかりです。
デラシネさんは「社会はもっと人格障害を検出する眼力を養うべし」とお考えですね。可能な限り早期に人格のひずみを検出し矯正するために。
これは司法ではなく教育の問題で、親や教師と(期待されるほど役に立ちそうには思えぬ)医師が密に連携できたらと思います。その場合の検出力は(医師が手にしているペラなカタログ的)診断基準にあるはずがありません。頼るものは結局、周囲の人の眼力です。そこで啓蒙〜プロパガンダ?が必要、ということですか。
大いに結構ですが、この啓蒙活動で広められた眼力は、まず教育や治療目的のみに利用し、警察や司法目的にはそのつもりで別個に(自覚を新たにして)判定し直す、というコンセンサスも同時にひろめて欲しいです。(先に引用いたしました国連決議の趣旨を、私はそのように理解しております。)すでに判定済みだからと流用されては困ります。
医師も含め社会が持っている「人格障害者を診断する眼力」が種種様々な現状で、あえて「一般論として人格障害の予後と処遇を議論する」ことの限界は認識しておいていただけたら、と思います。診断というものは結局、特定個人に適用するか否か、の問題になるのですから。
危機管理は必要です。眼力が十分あれば先制攻撃なしに危機管理が可能ですが、予見能力があやういほど、恐怖に駆られて先制攻撃の誘惑が大きくなります。現在の診断基準の予見能力は十分ではないです。誘惑は大きいですね。