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「週刊文春」2005年12月8日号 p.34〜37より引用
広島 あいりちゃん事件 殺人犯が現場に残した「XT」のメッセージ
鬼畜が少女につけた傷跡 少女パンチラ撮影の30代不審者
遺族提供写真にはピースサインをしているあいりちゃんの姿があった。おかっぱ頭にクリンとした瞳。この瞳から光を奪った鬼畜は、犯行現場に謎の記号≠残していた。さらに、事件の夜「あの子は絞殺された」と語った人物が。小誌独自取材で事件の真相に迫る。
「箱を少し開けて覗いたら足が見えたので、これは人形が捨ててあるのかと思いました。しかしハサミを使ってテープを切り、全体を見た途端、これは人形じゃないなとすぐに分かり、慌てて一一〇番しました」
遺体を最初に確認したガス会社の社員は、悔しそうな表情を浮かべて続けた。
「体は体育座りの格好で折れ曲がって、右側が上になっていました。服は小学校の制服で、片方の靴下がなく、靴は箱の中に入っていました。目は少し開いていたようで、唇は紫っぽくなっていました。名札が見えたので、『木下あいりさん』と三回呼んで、トントンと段ボールを叩きました。それから脈を調べようと手を取ったら、まだ少し温かみがありましたが、脈は感じられませんでした」
十一月二十二日、あいりちゃん(7)が通っていた広島市安芸区の矢野小学校では、未就学児童の健康診断が行われるため、いつもより早く授業が終わった。午後零時過ぎに一人で学校を出たあいりちゃんは、西に約一・三キロ離れた自宅に徒歩で向かっていた。
丘の上にある小学校から坂道を下り、六百メートルほど歩くと交番が見えてくる。午後一時前、交番を少し過ぎたあたりで、同級生男児二人と言葉を交わしたのを最後に、あいりちゃんの足取りは途絶えた。
先には通学路と裏道の分岐点があるが、どちらも道幅は狭く、入り組んだ路地の多い地形へと続いていく。遺体が入った段ボール箱は、最後に目撃された場所から約二百メートル先、通学路と裏道を結ぶ路地に面した空き地で発見された。あいりちゃんがどの道を通ったか定かではないが、分岐点にある家が裏道に面して犬を飼っており、あいりちゃんはその犬「ゴン犬」と遊ぶため、遠回りになる裏道を通ることもあったという。
「十五歳くらいのオス犬で、」目もあまり見えず耳も聞こえないのでおとなしく、ほとんど吠えないんですよ。学校帰りの子供達が犬と遊んでいる声はよく聞こえてきます。事件の日も男の子が犬の名前を呼ぶ声が聞こえましたが、他に変な物音は聞こえませんでした」(飼い主の主婦)
裏道は日中、ほとんど人通りがなく、道から死角となる空家や、車一台がようやく通れるような細い路地が散見される。また、道沿いの家には高齢者が多く、
「窓を閉めていると外の物音は聞こえないんじゃ」(近所の住民)という。
また、あいりちゃんは防犯ブザーを所有していたが、電池切れで家に置いていたという不運も重なっている。
司法解剖の結果、あいりちゃんの死亡推定時刻は午後一時から二時とされる。犯人は短い時間のうちに凶行に及んでいた。
段ボール箱が目撃された時間について、空き地の所有者である第一発見者の男性は「一時頃にはあったと思う」と語っているが、正確な時間は判然としない。
箱はガスコンロの外箱だったため、第一発見者の男性が「ガス会社の社員が忘れたのだろう」と二時半頃に会社に連絡。十数分後、駆けつけた二人のガス会社社員とともに箱を開けた。
段ボール箱は縦六十センチ、横五十センチ、高さ二十六センチ。現場から北東に二十キロほど離れた、東広島市の量販店で売られているプロパンガス用コンロの外箱だった。なお、事件現場近くはプロパンガスの家がほとんどである。
「十月から約二十台売れています。値段は八千円程度で、一人暮らしの人が主に購入しているようです」(量販店関係者)
あいりちゃんは身長百二十センチ、体重二十キロと小一にしては大柄だったため、無理に詰め込まれたような形になっていたという。
「幅約二センチの電気絶縁用ビニールテープで三重に巻いて封がしてあった。テープは広島県内に本社がある百円ショップで売られている物。箱には軍手のようなもので抱え上げた痕跡が残っていた」(捜査関係者)
あいりちゃんの衣服に土や泥などは付着しておらず、屋外で殺害された可能性は低いとみられている。
「後ろから羽交い絞めにされて連れ去られたようで、衣服には犯人のものと思われる汗が付着していた。爪の間にも犯人の皮膚の一部らしきものが残され、DNA鑑定にかけられている。死因は頚部圧迫による窒息死で、内出血が見られたが、さほど強い圧力をかけて絞めた形跡はない。目立った外傷はないが、肘や後頭部に擦り傷があった。また、下半身に犯人の性的嗜好を匂わせるような傷跡も残っているようです」(同前)
あいりちゃんが下校時に身に付けていたものでは唯一、右足のハイソックスだけが見つかっていない。遺留品は数多くあるが、現在のところ犯人に結びつく指紋は検出されておらず、犯行時は常に手袋をつけていた可能性が高いという。
ある漫画との奇妙な一致
ところで遺体の遺棄状況について不審な点がある。段ボール箱の封をしていた黒いビニールテープ。その封の仕方が奇妙なのだ。
「何故、犯人は箱の開き口の上からそのままテープを貼らず、垂直にテープを貼ったのか。しかも雑に三重に巻いていて、二本のテープがクロスしているのも不思議です」(社会部記者)
発見時、箱を上から見るとX≠ニT≠フ形が浮かんでいた。これは偶然なのだろうか。
実は、犯行の手口について、ある漫画との類似性が囁かれている。『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されている、『魔人探偵 脳嚙ネウロ』(作画・松井優征)という作品である。
この漫画は、魔界から地上に来た魔人≠ェ、主食である人間の謎≠食べるため、女子高生を代表にした探偵事務所を開いて数々の事件を解くという設定となっている。
「グロテスクな殺人や暴力をコミカルに描き、怖いもの見たさからか、小中学生を中心に人気は高いようです」(コミック編集者)
現在、単行本は三巻まで出ており、合計三十八万部も出ている。この作品中に、人をさらって殺し、箱の中に詰めるという強盗殺人犯が登場するが、その名前は「X・T」(サイ)。漫画によると、X≠ニは未知を表し、T≠ニは不可視(インビジブル)を表すという。
登場人物のセリフに、以下のようなものがある。
「X(熊野孤道注釈:元の記事は縦書きであり「X」の右横に「サイ」とふりがなが表記されている)にまつわる最大の謎はね…… 誰一人彼の姿を見たことがないってことなの 公然と犯行を繰り返して これだけ厳重に警戒されるようになっても 本当に誰一人として…… 影も形もとらえていない」
福島章・上智大学名誉教授(犯罪心理学)はこう分析する。
日本人形みたいな子供でした
「その漫画のような種類の犯罪や倒錯的な表現というのは、探せばいくらでもあるんです。だから影響というのはあるのかもしれません。それとは無関係に、犯罪やセックスや死体など猟奇的な情報が、大人の読み物だけでなく少年誌にも登場する時代になっていますから、そういった表現法が氾濫している中で育ってしまった若者の犯罪かも知れませんね」
あいりちゃんは、陸上自衛隊の幹部自衛官を務める父親・建一さん(38)の仕事の関係上、引越しを繰り返してきた。広島に来たのは今年の八月で、前は船橋市に一年五カ月、その前は帯広市に二年間住んでいた。
帯広時代に通っていた幼稚園関係者が語る。
「幼稚園の年少、年中の二年間です。絵の時間には家や花を描いたりしていて、明るく女の子らしいお子さんでした。お母さんは人形劇のサークル活動をしていて、子供たちに劇をみせていたんです。参観日にはご両親揃って、見に来てましたね。本当に教育熱心なご家族という印象でした」
また、英語教室と音楽教室にも三歳の時から通っていた。
「目がクリンとして、髪型はきれいなおかっぱにしていたので、まるで日本人形みたいな子供でした。恐らく、お母さんが髪を切っていたんだと思います。どちらかというと無口な子でしたが、地元の子じゃなかったので方言に戸惑っていたのかもしれません。でも、いつもニコニコしていて、話しかけるとにこやかになって、とても無邪気な子でしたね。二歳くらい下の弟さんがいますが、ここに通っていた頃、お母さんは弟さんの面倒を見るので精一杯なので、できることは何でも自分でしていました。エレクトーンのレッスンをする時には横にお母さんが座って聞いていました。でも、時々弟をおしっこに連れて行ったりしなければならず、あいりちゃんは少し寂しそうな顔をしていたけど、お姉ちゃんという自覚からか、一人でも頑張っていました」(教室関係者)
帯広ではテニススクールにも母親と一緒に通っていたという。
船橋時代もピアノと英語塾は続け、広島では学習塾にも通い始めていた。
木下家を知る同僚自衛官が語る。
「母親は美人で穏やかな性格。ゆっくりしゃべる人です。父親は気持ちのいい性格で、真面目な人。今は部隊の企画・運営を立案する立場の人です。顔はあいりちゃんにそっくりですよ」
木下家と同じ自衛隊宿舎に住む主婦は、声を詰まらせながら話す。
「あいりちゃんは真面目でいい子でしたよ。いつも友達と外で楽しそうに遊んでいました。人見知りするのか、口数の少ないおとなしい性格でしたね」
葬儀は二十五日、父親の実家がある熊本県八代市で執り行われた。
通夜、葬儀に参列した自衛隊関係者が語る。
「棺の上には、あいりちゃんが可愛がっていた二〜三十センチほどのうさぎのぬいぐるみが置かれていました。『すみれちゃん』と名づけていたそうで、もともとは白かったのが、寝るときも一緒だったので、茶色くクタッとなっていました。それは最終的に、お父さんが『一生の記念です』と言って棺に入れませんでした。棺には他に二つのぬいぐるみと、お小遣いを入れて大事に使っていたピンクの財布、お絵かき帳、ピンクの帽子が置かれていました。棺のそばには大好きだったドーナツが箱に入ったまま置かれていました」
斎場入口には幼稚園の卒業アルバムと家族で写ったスナップ写真の他、手作りの「きゅうしょくもりもり賞」と「がんばり賞」という賞状が飾られていた。
「会場は嗚咽とすすり泣きの声のみでした。おじいさん、おばあさんもすっと泣いていました。ご両親はお通夜の後、すっとあいりちゃんの傍にいたようです」
建一さんは必死で涙をこらえていた。まだ幼い弟が騒ぐ声も聞こえていたという。建一さんは用意してきた挨拶文を声を詰まらせながら読み上げた。
「今年の妻の誕生日の6月には、あいりが計画した誕生パーティーを家族みんなでやった事を思い出します。あいりの主導で、自分が作詞した歌をピアノをひいて歌っていたのが忘れられません。今でも犯人がとても憎いです」
幸福な家庭を引き裂いた卑劣な犯人は、どこに潜んでいたのか。事件がおきた地域の周辺では、以前から不審者が出没していた。
「事件の二日ぐらい前に、中学一年生が夜八時頃、携帯のカメラでスカートの中を撮られた」(近所の主婦)
「事件の前の日曜日に、夜一人で歩いていたら、自転車に乗った帽子にサングラスの男が通りすがりにスカートの中に手を入れていった」(女子大生)
あきらかに幼児性愛者と思われる男も徘徊している。男と遭遇した小学二年生のAちゃん、一年生のBちゃんが、保護者立会いの下で話してくれた。
「夏休みの土曜、日曜に二週間続けて来た。Bちゃんはおじさんのひざの上に座ったり、抱っこされたりしてた。『携帯でメールをうつ』と言ってたのに、カシャッと音がして写真を撮られたんやと思った。次の週は普通のカメラを持ってきた。『そこ、ちょっと座っといて』と言われてアパートの段差に座らされて写真を撮られた。私はズボンだったけど、Bちゃんはパンツが見える。お父さんが家にいたので呼んできて、名前を聞かれたら『フルヤや』って答えてた。次の日も来たからすぐ家に入ったけど、その人はずっと外におった。透明の眼鏡をかけて、髪の毛が短い人。三十歳くらい」(Aちゃん)
「なんか、抱っこしてもらったり。高い高いしてもらったり、いろんなことをしてもらった。でも、連れ去られへんかった。優しかったよ。青くて長いズボンを穿いてた」(Bちゃん)
犯人はまさに真昼の死角をついたわけだが、事件発生と同時刻頃、現場周辺の路上にいた人物を小誌は確認した。とある運送会社の配達員である。
遺体発見現場と至近の距離に住んでいる人が語る。
「事件の日は二時頃まで外出していたのですが、家に帰ると宅配便の不在配達票が入っていました。配達時刻は午後零時五十五分でした。会社に電話をすると、配達員から夕方頃に折り返しの電話があり、『今は封鎖されてるから入らせてくれんのよ』と言われましたが、夜の八時過ぎにはちゃんと届けてくれました。その時、事件のことに触れて私が『車でもぶつけて、慌ててやってしもたんじゃろか』と話すと、『ひき逃げなんかじゃない、ない。捕まえてすぐに首を絞めたんじゃろう』と、手で輪を作りながら話をしてました」
この配達員に、当時の現場周辺の様子について話を聞こうと、所属会社に取材を申し込んだところ、本社の広報を通して、
「捜査機関からの問い合わせがあった場合は対応するが、マスコミの取材に関しては辞退したい」
と回答してきた。
木下家の玄関には、クリスマスの飾り付けが下がっていた。将来、「ケーキやさんになりたい」と夢を語ったあいりちゃん。せめて天国でクリスマスケーキをお腹一杯、食べて欲しい――。