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□73歳円楽、落語人生に終止符 [日刊スポーツ]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060423-00000050-nks-ent
73歳円楽、落語人生に終止符
落語界の大御所・三遊亭円楽(73)が22日、現役引退の意向を明かした。この日、23年間司会を務めた日本テレビ系人気演芸番組「笑点」(日曜午後5時30分)の卒業会見が都内で行われ、「落語をやるのは無理な気がする」と引退を示唆した。66年「笑点」スタート時のメンバーで、私財を投じて寄席「若竹」を開場するなど、昭和から平成の落語界をリードした。しかし、昨年10月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、落語を演じるのに限界を感じたため、第一線から退く。
引退発言は突然飛び出した。66年5月15日の番組スタートから出演し、83年からは4代目司会者を23年間も務めた「笑点」からの卒業会見で、今後の活動を聞かれた時だった。「かつて(8代目)桂文楽は、高座で固有名詞を忘れて『勉強し直してまいります』と言って、引退した。私もこれからもう1度落語をやるのは無理な気がする。私の噺(はなし)は28日にDVDが出るので、それを聞いてください」と、落語家としては現役引退の意向を明かした。
円楽は昨年10月に軽い脳梗塞で倒れ、「笑点」の出演を休んだ。今年3月に番組冒頭に出演する「案内人役」で復帰したが、倒れる前とは違うことを自覚していた。この日も「以前は番組のスタッフの名前は全部覚えていたけれど、今は忘れてしまった。でも、大喜利メンバーはほぼ覚えていますよ」と言いながらも、新メンバーの春風亭昇太の名前が出てこず、たまらず昇太が名乗る場面もあった。「固有名詞が本当に出てこなくなった。ここらが引き時と思いました」と打ち明けた。名人といわれた文楽と同じように、一線を退く道を選んだ。
円楽の体は満身創痍(そうい)だった。腎不全のため、56歳の時から人工透析を週3回、1回4時間受けていた。さらに義歯の不具合のため義歯を十数個も持つが、かみ合わせが悪く、落語家の命ともいうべき口跡を保つのに苦労していた。血圧も低く、80を切った時には2度も臨死体験をしたという。「死ぬ練習を2度もやったので、死ぬことは怖くなくなりました」。
会見前には「笑点40周年だよ!スペシャル!」(5月14日午後5時半)の収録が行われ、大喜利で5代目司会に決まった桂歌丸(69)の助けを借りて最後の司会を務めた。円楽は「さらば」と別れのあいさつに対しての返答を問題に出しながら、会場のファンに卒業を報告した。
円楽は「振り返ってみて、運がいい人生だった。『笑点』を見ていると、こんなに楽しい番組はない。長く続けていかなくてはいけない」と、残されるメンバーに思いを託した。高座、テレビから姿を消し、今後は一ファンとして「笑点」を見守りながら、孫弟子ら後進の育成に乗り出す。
◆三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)本名吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)。1933年(昭和8年)1月3日、東京都生まれ。55年、6代目三遊亭円生に入門。58年、二つ目昇進。62年、真打ち昇進で5代目三遊亭円楽を襲名。78年、落語協会脱退し、三遊協会を設立。翌79年に大日本落語すみれ会(後に円楽党と改称)を結成。83年から「笑点」大喜利の司会。受賞は77年芸術祭優秀賞、79年放送演芸大賞、88年芸術祭賞など。十八番は「宮戸川」「目黒のさんま」「芝浜」「淀五郎」「大山まいり」「鮑のし」「薮入り」「鼠穴」「茶の湯」「野ざらし」など。著書に「円楽、親父を叱る」(81年)など。家族は和子夫人と1男1女。毛利家の家臣で、鳥取城防衛で有名な吉川経家の末えいを名乗る。
(日刊スポーツ) - 4月23日9時34分更新