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□タロ・ジロ“生みの親”死去…「探検」こそ人生|夕刊フジ
http://news.www.infoseek.co.jp/fuji/story.html?q=19fuji320060419010&cat=7
タロ・ジロ“生みの親”死去…「探検」こそ人生 (夕刊フジ)
第1次南極越冬隊員で、映画「南極物語」で高倉健さんが演じた役のモデルとなった菊池徹さんが10日に死去した。84歳だった。樺太犬のタロ、ジロなど犬ぞりの“生みの親”としても知られ、帰国後はカナダで起業家として活躍した。晩年は講演活動のかたわら、インターネットで南極に関する情報などを発信。あらゆる分野の「探検」に捧げた人生だった。
「父は地質学者で、南極中を回って研究に必要な石を採取するには、犬ぞりがいると提案したのです」
菊池さんの長男で菊池ファイナンシャルグループ代表の重喜さん(55)は言う。
《南極の地質調査には犬ぞりが欠かせない。それでボクは以前から会議の席では口を酸っぱくしてそれを主張してた。でも、誰がそれを実行するか…(中略)「犬ぞりなんかやらないほうがいい」っていう意見が大半を占めてたしね。もう古いんじゃないかってことで。だいたい誰もやったことがなかったんだから》
《そしたら西堀さん(栄三郎、越冬隊長)と意見があって…「お前やれ」ってことになった。断わる理由はなかったからね。「よっしゃ、分かりました」って、二つ返事で引き受けましたよ。(中略)でも「分かりました」って言ってはみたものの、やったことはないしね。いったい「犬ぞり」って何なんやろって》
菊池さんは、大阪府立北野高校出身。同校HPに収録されたインタビューで、菊池さんはこう明かしている。
南極越冬隊の犬ぞりといえば、昭和33年、悪天候で基地に置き去りにされ、翌年、生存が確認された樺太犬のタロ・ジロを誰もが思い出すはず。菊池さんは犬を集め、訓練も行った。
当時、北海道にいた樺太犬は約1000頭。その中から22頭が選ばれた。「タロ、ジロは、生まれて数カ月で、“正式メンバー”ではなかった。越冬隊のポケットの中で連れて行かれたそうです」(重喜さん)
初の越冬で過酷な状況下、精神に異常を来す者も出たという第1次だが、好奇心旺盛でおおらかな性格の菊池さんにとっては、有意義な時間だったらしい。
前出のインタビューでも、「お天気が悪かったのは事実」としながらも、「もう少し残ってもおもしろいじゃないかと思った」と話している。重喜さんも「人とあまり争わない人だった。(越冬が)大変だったということは、聞いたことがない」と話す。
帰国後10年ほどで、妻と息子2人を連れ、カナダ・バンクーバーへ。「鉱山開発技師でしたが、日本には開発するところがなかった。新天地を求めたのです」。数年で鉱山開発コンサルティング会社を興す一方、重喜さんと保険会社を設立し、会長に就いた。
1980年ごろからは「仕事より皆と話がしたい」と、「オーロラ会」を発足させた。いわば菊池さんのファンクラブで、多い時は500人もの会員を集め、日本とカナダを頻繁に行き来して講演会を行った。
「南極物語」が生まれたのも、この頃だ。重喜さんによると、「父が監督の蔵原(惟繕)氏=故人=と親交があり、一杯飲む席で映画をつくろうという話になった」。菊池さんは撮影が行われた北極にも同行。犬ぞりの指導にもあたった。
60歳を過ぎると、今度はコンピューターに熱中。「パソコンを自分で組み立てられるほど。おじいちゃんにみんなパソコンを教わった」。ホームページも自ら制作し、南極越冬隊の秘話などを発信した。残念ながら1年ほど前からパソコンを打つ気力がなくなり、閉鎖したという。
今年に入って足の付け根の骨を折り、体力が一気に衰えた。「自分がしたいことをして、すばらしい人生を全うした人でした」。重喜さんは、そう父を讃えた。
[ 2006年4月19日12時1分 ]