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(回答先: Re: 自立した知性で見つめた戦後日本、茨木のり子さん死去(読売新聞)←出典の新聞社名を忘れていました。 投稿者 gataro 日時 2006 年 2 月 20 日 14:13:10)
詩人、茨木のり子さん
「ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて/気難かしくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか」−−茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」だ
▲いら立つのを近親のせいにするな、初心が消えるのを暮らしのせいにするな。そう畳みかけて詩はこう結んでいる。「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
▲詩神ミューズは時に鬼の姿もとるらしい。茨木さんが初めて詩を投稿する際、ペンネームを考えているとラジオから長唄「茨木」が聞こえた。茨木童子という鬼が切り取られた片腕を渡辺綱から奪い返す話だ。「あ、これ」と、すぐにその名を頂戴(ちょうだい)した
▲「『自分の物は自分の物である』という(鬼の)我執が、ひどく新鮮に、パッときたのは、滅私奉公しか知らなかった青春時代の反動かもしれない」。戦中戦後の混乱で失われた青春をいとおしむ初期の代表作「わたしが一番きれいだったとき」が生まれたのはその7年後だった
▲吉本隆明さんは茨木さんを「言葉で書いているのではなく、人格で書いている」と評していた。ピンと伸びた背筋とか、人にこびぬ気品とかは、本来は人そのもののたたずまいのことだ。だが茨木さんの詩からは、常にそのような人とじかに向き合うような香気が立ちのぼっていた
▲できあいの思想や権威によりかかりたくない−−「ながく生きて心底学んだのはそれぐらい」。そう記す「倚(よ)りかからず」を表題にした詩集が異例のベストセラーになったのは7年前のことだ。いつも人々が見失った言葉を奪い返してきた女性詩人の自恃(じじ)の79年間だった。
毎日新聞 2006年2月21日 0時04分
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/