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元自衛官ストリッパー沢口ともみの死を悼む zakzak
高須基仁特別寄稿
ブログで日記も公開するなど、最後まで病魔と闘い続けた沢口ともみさん
元自衛官の反戦ストリッパーで、8カ月にわたる闘病の末、慢性骨髄単球性白血病で10日死去した沢口ともみさん(享年44)。12日に故郷・広島県呉市で葬儀・告別式が行われた沢口さんをしのび、親交のあった出版プロデューサー、高須基仁さん=下写真=が夕刊フジに追悼文を寄せた。
沢口ともみが高校を卒業し、広島県呉市から勇躍上京、陸上自衛隊に入隊したのは1978年の春だった。
振り出しは「埼玉・所沢での通信関係の仕事」だった。ゴツイ男ばかりの世界で155センチと小柄で、ふっくらとした愛くるしい風貌ゆえ、「とてもモテたのよ」と胸を張っていた。わずか4年とはいえ、「国のため」という大義に生きた誇りもあったのだろう。
除隊後、遊びに行った池袋で、ストリップ業界のスカウトから声をかけられた。自衛官時代の四角四面生活の反動か、「魔が差したわけではないけど、即答しちゃった…いいわ!!って」。
いきなり舞台へ。場所も覚えていないほど夢中で踊り、音楽に合わせて衣装を脱いだ。スポットライトと客席の視線に、かつてない“高揚感”を覚え、「私の肉体って男を喜ばせるんだ」と体全体で感じた。この仕事を長く続けたいと思った。
自らの体に料理を盛り、客に食べさせる“女体盛(にょたいもり)”で人気者になった。どこに行っても差し入れとおひねりを携えたファンが待っていた。
そんな生活が20年以上続いた。一方で、沢口が関心を持ったのが反戦問題だった。ライブハウスなどでの右や左の政治ジャーナリスト、活動家との交流を通じて意識が高まり、イラク戦争緊迫の2003年2月には「人間の盾」の一員としてバグダッド入りも。
「アメリカ軍に守られながらアンマンやバグダッドに入って、安全地帯で『防弾チョッキは重い』なんてチンプンカンプンなことを話すマスコミって嫌よね」などと語っていた。ワイドショーが沢口の特集も組み、注目もされた。
イラク行き後、「エコノミー症候群になっちゃった」と脚を引きずるように。やがて脚の腫れと痛みで歩けなくなり、白血病と判明した。
私が3年前、ビキニ環礁で被曝(ひばく)した第5福竜丸をテーマにした小説「散骨」を発表した際、一緒に行った第五福竜丸記念館(東京・江東区)で沢口は「戦争はダメ!! 核はダメ!!」とつぶやいていた。彼女の母は、広島の被爆者だった。
常に戦争を意識した自衛隊、“肉弾戦”ともいえるストリップ、そしてイラクでの「人間の盾」…。エロスに生きたようで、実はタナトス(死)と紙一重のシーンで輝いていた沢口。病魔との戦いでも、最後まで輝いていたと思う。昨年9月、彼女からの手紙にはこう記されていた。
《戦争で泣くのは女と子供ばかり。高須さん、昔のようにオモチャ屋さんに戻って、子供のために平和なオモチャを企画・プロデュースして》
合掌−。
ZAKZAK 2006/01/13
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_01/t2006011325.html