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藤沢周平さんの初期作品が掲載されていた「読切劇場」
朝日新聞からhttp://www.asahi.com/culture/update/0111/013.htmlより引用
藤沢周平文学の「芽」発見 無名時代に13編
2006年01月11日15時09分
「蝉(せみ)しぐれ」などで没後も人気が高い作家藤沢周平さん(1927〜97、本名小菅留治)の無名時代の作品で、存在が確認できないでいた初期の時代小説短編が13編あることがわかった。故郷の山形県鶴岡市が準備中の記念館のために、長女遠藤展子さん(42)=東京都練馬区在住=が、整理中の残された掲載雑誌を点検し、確認した。業界紙記者時代にアルバイトで書いたものらしいが、後年の藤沢文学の芽がすでに見える。
13編は、62年末から64年半ばまでの「読切劇場」「忍者小説集」など、高橋書店が発行する3種の時代小説雑誌に、藤沢(藤澤)周平の名前で掲載されていた。その後、本人も存在を明らかにしておらず、生前刊行の全集(文芸春秋、23巻)や、死後に追加された3巻にも収録されていない。
「暗闘風の陣」(「読切劇場」62年11月号)から「無用の隠密」(「忍者小説集」64年8月号)までの13編は、庄内藩の武士物、江戸の市井物、職人物など幅広い。エジプトの彫刻師という異色の物もある。
藤沢さんは71年にオール読物新人賞を受賞。73年には「暗殺の年輪」で直木賞を受賞し、たちまち人気を得た。同全集の年譜や回想記には、日本加工食品新聞で働いていた63年から懸賞小説に応募したということが書かれているのみだ。
しかし、没後の追悼文で、元同僚がもっと早くから時代小説を書いていたと回想したり、64年4月に本人が知人にあてた書簡でも、毎月1本の締め切りと告げたりしている。だが、掲載誌や筆名がはっきりしなかった。
これらを手がかりに、読者の集まりである「藤沢周平と大泉の会」のメンバーが、作品掲載の「読切劇場」を3冊入手。昨年12月中旬の会報で報告した。
これをきっかけに13編の存在を明らかにした展子さんは、「前から掲載誌があることは知っていたが、詳しく調べるのは後にしていた。作品をどうするかはゆっくり考えたい」と話している。