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近鉄、オリックスで監督として指揮をとった仰木彬氏が15日、福岡市内の病院で死去した。70歳だった。
同氏はがんで闘病中だった。今シーズンは近鉄球団との合併で新生オリックスの指揮をとったが、体調不良を理由に退任。同球団のシニア・アドバイザーに就任したが、退任後は入退院を繰り返していた。
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名将が静かに人生の幕を閉じた。
近鉄との球団合併で新生オリックスの指揮をとった今季は、シーズン中も体調を崩すことが多く、定期的に通院を続けていた。試合中にコンディションを崩すこともあったが、それでもさい配を振るい続けた。
仰木氏に近い関係筋によると、ガンが転移している状態で、オフになっても入退院を繰り返した。11月3日、マリナーズ・イチローが療養中の恩師を見舞いに訪れた。その際に、12月に神戸で食事をする約束をしたが、ついに力尽きた。
西鉄では、二塁手として、中西太、稲尾和久、豊田泰光らと常勝軍団を引っ張った。現役を退いた後はコーチ業を経て、近鉄監督に就任。野茂を育てるなど才能を開花させた。その後、オリックス監督として日本一に導くなど「熱パ」を演出した。
今オフ、オリックスの球団シニア・アドバイザーに就任。積極的に清原獲りのアプローチを行っていた。仰木氏に近い関係者によれば「清原が来てくれるかもしれん」喜んでいたという。
◆仰木彬(おおぎ・あきら) 1935年(昭10)4月29日、福岡県生まれ。東筑高時代4番兼エースで甲子園出場、54年に西鉄入りした。プロでは二塁手に転向、黄金時代の一員として活躍。14年間の現役通算は1328試合、2割2分9厘、70本塁打。西鉄、近鉄コーチを経て88年に近鉄監督に就任。89年にリーグ優勝した。94年からオリックスに移り、95年にリーグ制覇、96年にイチローらを率いて、日本一に輝いた。04年、野球殿堂入り。昨年末、近鉄・オリックス合併球団の監督を任され、復帰した。監督通算は1856試合で988勝815敗53分け、勝率5割4分8厘だった。
[2005/12/15/23:42]