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クマ出没 “人災”か
各地でクマが人里へ出没し死傷者が相次いだ今年、本州で有害鳥獣として捕獲され殺されたツキノワグマが四千頭を超えて過去最高となった。絶滅を危ぶむ専門家もいるほどだ。野生動物と人間との摩擦は、現代人の自然に対する認識の変化にも原因があるという。東北地方のマタギ(狩人)に詳しい文化人類学者、動物に畏敬(いけい)の念を抱く宗教学者に自然観を聞いた。 (社会部・嶋田昭浩)
”畏敬忘れ 透ける「人間中心主義」”
■宗教学者 鎌田東二 京都造形芸術大教授
――クマ出没の背景は。
「食物が奥山にあれば問題はないが、森が荒れており、生態の乱れがある。今までは(人里に近い)里山が人と動物との緩衝地帯になっていた。しかし、今日ではブルドーザーで山や森を削って人が住んでおり、里山の面積が狭まった」
「(林業など)生業として山に入る人も減り、里山を必要としなくなった。宮崎駿監督がアニメ『千と千尋の神隠し』で描いたように、神々がすむとされた森が、無残に打ち捨てられている」
――山や森に対する意識も変わったのでは。
「森を壊し、木を切って売る。こうした商業意識は、『山の神』に対する畏敬の念とは正反対のもの。私は人間より動物の方が純粋だと考えており、特定の動植物を自分たちの祖先として尊崇する先住民族のトーテミズムに共感を覚える」
「日本の現状は、都会のハンターが山へ入り、逆に山猫に食い殺されそうになるという宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』に重なって見え、人間中心主義のごう慢さを感じる」
――どうすればよいか。
「すべてはバランス。動物を殺しすぎたり、人間が繁栄しすぎたりしてはいけない。それぞれの尊厳を大切にし、すみ分けを図る。今、自分探しや自己実現が言われ、自己中心的な傾向が続いている。だが、先祖に思いを及ぼすとともに七世代先まで考えて行動するという先住民族などから、学ぶ必要があると思う」
”森守ってきたマタギ文化”
■文化人類学者 田口洋美 東北芸術工科大教授
――捕殺数が多いが。
「これまでの保護政策が失敗だったという事実を示している。(保護の名のもとに)結局は殺すための頭数を増やしてきたことになる」
「『科学的データ』を基に取り組んできたといわれながら、そもそも日本列島に何頭のクマがいるのか、日本列島の森には何頭のクマがすめるのか、といった数字すら分かっていない。保護をし過ぎると、野生動物自身が森林を食い尽くして自滅する。この冬、シカの大量死が発生する恐れもあるが、『保護圧』による人災と考えていい」
――マタギの文化から学ぶことは。
「山の人たちは、あるときは動物を神としてあがめ、あるときは大切な資源として利用した。とり過ぎないようにおきてをつくると同時に『いいあんばいに(捕獲)しないと森が(動物に)食われてしまう』と知っていた。日本の伝統的な狩猟は、欧米と違って『抑止力』。しかし悪と決めつけられ、環境保護団体から目の敵にされてきた」
「今日のわれわれは、自然から遠ざかってしまった。商業主義がまん延し、スーパーで肉を買うとき、その向こうで動物が殺されているという意識がない。昔はニワトリをしめる様子を子供たちが見て育ち、命の尊さを知った。今では『残酷だ』として教育からその部分が欠落した。それが凶悪な少年犯罪の多発にもつながっているのではないか」
■山の授かりもの
北海道白糠町の山中で約60年間、猟師として生活してきたアイヌ民族の根本與三郎さん(87)の話 長い間に私がとったクマは19頭だけ。アイヌは、村人の間で分けて食べる分だけとればあとはとらない。クマは山の神からの授かりものだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20061225/mng_____kakushin000.shtml
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