★阿修羅♪ > 環境・エネルギー・天文板1 > 630.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
荒れ果てた冷戦最前線 軍施設は縮小し開発はストップ
2006年08月20日
北極海は東西冷戦時代、米ソが北極点を挟んで向き合う緊張の海だった。極東ロシアの街、チクシも軍事やシベリア開発の拠点として重視された。だが、冷戦終結で拠点としての意味を失い、政府からの保護もなくなった。ソ連崩壊から15年、最前線の街はすさみ、人口流出、失業など街も人も荒れ果てていた。
8月初め、気温6度。街はもう冬支度を始めていた。荒れた道でおんぼろ車が土ぼこりを上げる。
市内に給湯、暖房を供給するシステムは9月半ばまでストップ。設備メンテナンスのための恒例行事だ。アパートも売店もホテルも暖房はない。
チクシは80年代、北極点を挟み、米国アラスカと向き合う東西冷戦の最前線となった。氷の下を米ソの原子力潜水艦が行き交い、重要な港と位置づけられた。丘の上のレーダーは北米大陸をとらえ、冷戦末期には、ミサイルを積んだ原潜が、「開戦」に備えていた。人口のピークは89年。1万7500人が暮らした。
チクシは1年のほとんどを氷に閉ざされ、森林限界で樹木が生えない。ソ連政府は1934年、北極海の拠点港にするべく開発を始めた。都市整備など大型プロジェクトが次々に進行した。
労働者、技術者を集めるため、政府は内陸部の数倍の給料と一定年数勤務後の年金、温暖な土地でのバカンス、帰郷後のアパートも用意した。厚遇に人々が集まった。
だが、東西冷戦が終結すると、軍施設は縮小された。91年のソ連崩壊によって開発も止まった。街道沿いには車両などが無造作に捨てられ、冷戦時代のオブジェのようになっている。
人口は約4000人にまで減った。厚遇を打ち切られ、蓄えが少ない人たちが取り残された。
30年前、製材所で働くために移り住んだルドルフさん(63)は「今は無職。仕事? 若いやつにないのに、おれにあると思うかい?」と酒くさい息で話す。サハ共和国はダイヤ、金、エネルギーなど地下資源を利用した再生計画を打ち出す。だが、住民の多くは信じていない。ルドルフさんは言う。「ソ連が残っていれば、おれの人生に何の問題もなかった。給料も高いし、暖かい部屋に住むこともできた。おれは尊敬される人間だった。友達はみんなここで死んだ。おれも死ぬまでここに残される」
http://www.asahi.com/special/NorthPole/TKY200608200162.html
▲このページのTOPへ HOME > 環境・エネルギー・天文板1掲示板