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(回答先: 調査捕鯨で衝突回避要請 豪、日本船団と抗議団体に【中国新聞】 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 1 月 16 日 22:40:43)
捕鯨に関する問題はたしかに強い政治的な側面があるが、その政治的対立の根本には社会・文化的な要因、人びとが生きるよりどころとする価値観が渦まいている。
その地域に生活する人びとがどのようにクジラとかかわってきたかということがクジラに対する価値観として反映され、その価値観は当然 それぞれの地域によって異なり、多様である。
その簡単な事実を無視し、国際的な環境保護運動や国家間、および国内の政治的利益が優先されてきたところに捕鯨問題の悲劇がある。 「文化の多様性」が軽視され、圧倒的政治力を持つ特定のクジラの価値観が、メディアを通して浸透していく。
それはあたかも「クジラと人間の新しいかかわりの時代が到来した」とでも言うように、有無を言わさずに世界各地に広まり、その果てにクジラ資源を管理する国際捕鯨委員会(IWC)において決定的な影響力を持つに至った。
この「特定な価値観がもたらした新しい時代」を簡単な言葉で表現すれば、クジラはもはや食べるものでは無く、見るものであり、過去の野蛮な時代から脱却して、「クリーンでグリーンな時代」を生きるということである。
クジラに関する特定の価値観を世界に広めていく原動力となったのは、言うまでも無く1970年代に活発化した環境保護活動である。 一般の人びとにとって何を保護するのかという対象物をとらえ難い環境保護運動に、「衰退する自然環境の象徴」としてクジラが取りあげられ、「クジラを救えなければ、地球は救えない」というわかりやすいスローガンのもとに、反捕鯨運動が当時の環境保護運動のシンボルとして祭上げられていった。
1970年代から1990年代にかけて反捕鯨運動がはなばなしく展開した背景には、反捕鯨運動がアメリカを代表とする大国の政治的課題とうまく融合したことがある。
つまり、反捕鯨運動を環境保護運動のアドバルーンとして位置付けることにより、自国に捕鯨産業の無いこれらの国々では 国内の抵抗を受けることなく環境保護国としての名誉を得られるという利点があった。 捕鯨問題の政治的側面には、反捕鯨を声高に叫ぶことにより、環境保護国としての隠れ蓑を被ろうとする大国のエゴイステックな姿勢が色濃く見える。
反捕鯨国として名高い国が堂々と核実験を行い、一帯の海を核で汚染させておきながら、そのかたわらで「クジラの聖域圏」の必要性を力説する矛盾には全く頓着しないようだ。
また、環境NGOの戦略は「誇大し、半分だけ真実を伝え、わざとらしいキャンペーン」を続けることにより資金を集めることであり、この戦略はグリーンピース・インターナショナルのディレクターであったウイルキンソン氏が自ら述べている。
グリーンピースは世界各国で28.000.000人が会員として登録し、年会費を支払い、巨額の寄付を収め、2004年には日本円で約23億円に及ぶ収益があった。
アメリカでは民間の基金が日本円で約433億円をNGO環境保護団体の活動資金として援助して
いる。
環境NGOの代表たちは選挙で選ばれるわけではなく、ほとんどの場合 会員に対して団体の活動に対する責任を負わず、これらの代表者は開発途上国出身者ではない。
それにもかかわらず、環境NGOは開発途上国の利益を守ると主張している。 これらのNGOは国際連合の機関などの多国間政府機関へ、各国政府と同等の立場で参加することをさらに強く求めている。
人間と環境と文化 クジラを軸にした一考察
http://www.bk1.co.jp/product/2576267
から 抜粋