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革命家の中の奴隷根性の批判です。
「革命家はかくあらねばならぬ。」はその代表。
革命家になる為には資本論を読まねばならないとか。
革命家というイデアを作りあげそのイデアに近づこうとしてもとても難しい。
その結果、革命は不可能に感じられる事となる。
これは体のいい反革命ではないか?
革命は「死ぬのはいやだ。」というような情念を根本に持ち生ずるものではないか?
生身の人間の情念をないがしろにした革命などそれこそ不可能だろう。
「格差は悪い事ではない。」などと平然と言ってのける政治家に怒る事から革命は始まるのだ。
思いついた事を全て書き留めるという訓練をした事がある。
そうすると言葉が次から次へと滾々(こんこん)と沸いてきた。
まずは脳の柔軟体操だ。
次は色々な事柄に対して「何故?」と考えてみる訓練だ。
「9.11は何故起こったのか?」など。
答えは出なくていい。
疑問のリストアップをまずしてみるのだ。
意識された疑問は脳に留まり、やがて答えらしきものと遭遇した時に「あっ!そうか!」ってなるだろう。
つまりは自分で考えるという事が大事だ。
マニュアルを記憶する事は考える事にはならない。
マニュアル革命家はいくら大勢いても革命にならないだろう。
自分が目指すべき目的は何か?
と常に立ち止まって考えるべきだ。
目的自体を吟味すべきであり、取りあえず設定した目的に向かってただただアリのように働くべきではない。
つまり世界を把握するという大局的人間になるべきであり、そうでなければ革命家ではあり得ない。
情報を集め世界観についての対話をするべきだ。
世界観の一致なしに何が共に築けるというのか?
共謀罪法案に意識を集中する事もいいだろう。
しかし、それだけ見ていても共通認識は中々生まれない。
自らは前提にしている事が他者にとっては前提で無い場合も多々あるからだ。
自らの前提を知らねばならない。
そしてその前提を批判に耐えうるものかを吟味しなければならない。
革命が起こらない理由は意識が萎縮しているからだ。
意識を拡大するような情報シャワーの洗礼を受けなければならない。
さて、革命とは何か?
全ての人が幸福になる為の行動の事だ。
その為に何が必要か共に考えよう。
奴隷的革命家が生み出すのは奴隷社会である。
過去の革命の多くがそこに陥った。
ネオコンも革命をやっているつもりなのだろう。
軍事力によって遅れた国を開放してあげているつもりなのだ。
これを「おせっかい」と言う。
一生懸命努力して奴隷社会を生み出す愚を避けよう。
楽しみながらやっている行動の中からしか楽しい社会は生まれないだろう。
ネット内の情報の爆発と交流の活性化を私は楽しんでいる。