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10.解放の誘惑
何を遣っても赦されるというのは、理性の自己抑圧に苦しみ、持てる能力を自己内部で相殺させ、
減耗させている人間にとっては、頚木を外す願っても無い、格好、絶好の口実となるだろう。
その場合に、本音で生きて力を出し切ることを誘惑するのがサタニスムだとして、
敗北の度に内圧を高めてきた「悪を赦す」衝動を、
その種の思想傾向は引き出すということのはずなのだ。
(前)近代的理性、または“後期中世的理性”が引き止めているような、
とらわれ・こだわりを取り除く儀式が、洗練されながら組織内部で常用されているのだとすると、
それを経れば、躊躇わずして有利にも競争に勝て、または嘘を吐いたり、殺めることさえ出来るのだろう。
往々にして、それでも厚顔で、無頓着・無反省に嘲笑う余裕を伴わせるようにしてでも、
相手の拘泥を尻目にしたい放題できるということのはずなのである。
それは、とりもなおさず、実力による勝利以上の勝利を齎す「虚の利益」(補償債務)なのであろうが、しかし、
それだけに“美酒の風味”も「依存症的な意味で」格別なのではないか)
“力への吸着 第二”
・ 自他が生み出す、過剰な理性と適正な理性
・ 自他を縛る、過剰な理性からの身内の“サルベージ”