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「世俗の壁」以前の、世俗の壁の中(疑問集)
(→定義律)
1.「世俗を熟知した人間を、即ち俗人と呼ぶ」のではないか。
2.「世俗を熟知する事は支配者の望み」ではないか。
(→無窮律)
3.「世俗片を受け入れることは、連鎖/中毒を招く」のではないか。▼
4.「世俗は、世俗によってしか“完結”させることが出来ない」のではないか。
(→不動律)
5.「原始よりの世俗を熟知した“何兆人”は、世俗解除を」「出来ない」「言えない」
「或いは“聖なる世俗”や“学たる世俗”に取り替えるに留まった」のではないか。
6.「世知に満たされるに臨み、何かしようと思うか、何をするのか、何の展開ができるか」
「つまりは切り口も手法も無く固化する、その絶句にも届かない無疑念の“ヴェール”に」(如何にして)
(→他力律)
7.「世俗を世界として受け入れ、世界を構成すれば、それを疑えなくなるか、その標準に馴化する」または、
「世俗の“無間情報”で忘れさせてくれる刺激の“コンベア”に
感けて、疑ういとまも無くなる」のではないか。▲
(→依存律)
8.「世俗に投資すれば」「競争中、優位要素となった其れを活用する」
「または崩壊を恐れる」「即ち“優位の砦”として其れを護ろうとする」
または「不利な老いに際して、それは保守化させる誘因となる」のではないか。
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