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薬品代謝さん、レスありがとうございます。
http://www.asyura2.com/0601/kanri10/msg/454.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 3 月 26 日 14:32:33
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「知識人の怠惰」
知識人の怠惰は、古い概念の使い回しではないでしょうか。
自分が長い時間をかけてインプットした概念を使っておれば、
評論家も、教授職も、運動団体幹部も安泰かもしれませんね。
それに偉人や学者の固有名詞を使えばいかにも知っているという感じがするでしょう。
この世界では知は力なのでしょうから。
じつはそういうものを有難がるのが(そう教育されたかはともかくとして)大衆自身ではないですか?
ブランド好きだから、カッコいいほうに軍配をあげるのでしょう。
そういう(自作自演的)需要に乗って商売する人が、実のところ知識人ではないかと思っているのですよ。
「社会改革を目指す」
社会とは何でしょう? サッチャー女史は社会は存在しないと言っていた気がします。
別にサッチャー女史自身を評価するつもりはありませんが、
その手の発想自体、新しいとは思わないわけですね。しかし、もっと古い人達がいるらしいですね。
社会という概念を自明のものとして使う態度が怠惰の名に相応しいのではないですか?
しかし、新しい概念系をつくるのは、相当大変でしょう。これをまず御承知おきください。
社会何々というと一応カッコはつくのだと思います。そういう言葉がいかに氾濫しているかですね、
知識人の営々とした惰性によって?
「言葉は魔物であり、
言葉の世界だけで
成り立っていて
現実世界には何の
意味が無い言葉が
多く存在する
事も又事実」
では意味が有る言葉とは何なのでしょう。もしかして、貴方自身が、言葉の使用価値を決定し、
概念の世界を再編しているのではありませんか?
むしろ、全ての言葉は、文化ではないかと思います。それを或る種の言葉に統制するのが知識人の役割りかもしれません。
(教育そのものが国家規格、民族規格のインプリントでしょう、その多くが)
それに対し、新しい概念をつくっていくのは相当大変でしょうね。(意味が無い言葉は不可避的に生じるばかりか、
それも積極的意味において一つの独自文化なのだと思いますね。
そして、単なる文化であるのみならず、世俗社会よりもずっと独自でしょう。
敷衍すれば納税生産システム、その意味での市場活性化システム、その同じ系の意味での兵器転用技術開発システムの外にあるのだと思う
わけです。人は、自分か誰か不運な人を、政治的宗教的宗教儀式的に大小の血祭りにあげるロンギヌスの槍を、
せっせとつくっているのかもしれません、終局的目的性においては)
『どこかの時点で文章表現の飛躍が
あったのです。その飛躍をつぶさに
追えば「分かり易い表現」で現時点
での言いたい事を述べる事が可能』
かどうかは(そのような飛躍があったのかどうかも?)、ちょっと待ってくださいね。文章表現の飛躍は、貴方が
いう方向に対して遡行する(逆順なの)だと思いますよ。つまり、
(1.発想を得て→)2.未整理の回りくどい表現で何とか形にし→3.ようやく洗練されて分かりやすいものとなる、の
ではないですか?
いきなり分かり易いものを目指して耳障りでなく、使うに手触り良く、内面に能く響き、行動を喚起し、
耳馴染むスローガンが出てくるでしょうか(冗談じゃないですね)。
そんな芸当は「過去の文献を掘り返し、転用しただけでその実古いから」か、
「大衆操作の欺瞞だけで中身が無い」からできるということでしょう(そんな簡単なものではないでしょう)。
なぜ新しい概念系を切り拓いてきた先人が、難しい用語から始める必要が有ったのか、と考えてみてください。
なぜにその表現になるのか、言葉をつくるというのは多岐にわたる配慮が要るような、相当大変な努力だと思います。
(しかし、先達は内容を間違えたかもしれません。それでも面倒な作業をコツコツやってきたはずです)
努力というなら貴方も、無からやりなおすぐらいの作業をされてみたらいいでしょう(試しに、いかに大変かを体験するためだけにでも、)。
貴方は先述の2や3を同時にやれとおっしゃり、自分は情報や思想のスピーカーなのでしょうか?
(それでは自身に甘く、相手に酷でしょう)
安易なスピーカーの余剰人員が居られるなら、こちらに回して欲しいくらいです。
大変な努力をして古い思想を学んだり、常時、変化する情報を無間に集める飢餓の人は、もういいでしょう。
『例えば「自由
主義社会とテロ
との戦い」という
ような言葉を信じる
事によって人類に
大きな災いが降り
かかっている』ことに対しても、新しい概念をつくるわけですね。彼ら(電通?)ほどに
大衆受けする概念は、対抗側からは、なかなか(ハンドメイドでは)生み出せないと思いますよ。
ですから、地道に作るのであろうし、それまでの初期段階として、「保育器で」「苗を育てる」ためには、
当局に分かりにくいことが、肝要ですね。いきなり工作員まがいのアラシがきて掻き回されて潰されては目も当てられないでしょう。
人に伝えていくのは、(キャンペーンのごとく官製、速成かつ、それゆえ断片的であるようなものではない)新しい概念系なりを組み上げて
からのはずで、古い概念をスピーカーで繰り返すことではないと思っています。早く対抗概念を調達したくて、今までに腐るほどあろう左翼的言辞を
流用するなどは(ましてやヘーゲルから、例えばアセンションに至るようなワンワールド概念を持ち出すなど)、
それは怠惰の極みでしょうね。要するに、新しいものへの努力を惜しみ、または努力を恐れて、惰性に生きているように映るわけです。
スピーカーで繰り返すがごときの「古い労働価値説」を認められるものでしょうか。(活動家の時間給、年功序列というわけですか)
『「全てを統合」?誰がそんな事を言った?』 貴方がいったと誰がいいましたか?
しかし貴方達は、望むと望まざると、その流れに巧く組み込まれているかもしれない、とは言っておきましょうか。
(まあ結局は同じことなのかもしれないですね)
「大衆には
分かりにくい
言説であたかも
最も革命的な言説を
提示しているかの
ような認識」
難しいことをいいますね。過去の失敗、教訓を履き違えて何でも(観念論的に)パターンに当て填めたりしないでくださいね。
つまり、大上段に構えているのは誰なのかということですね。
こちらとしては、もう革命だとも思っていないかもしれません。革命の殆どが利用されるといっても、納得できるような状況でしょう?
大勢の大衆的な流れに与せず、独立独歩であることが、結果的に最終的には、
多くを欲張るよりも、効果的に改善になると思いますね。
社会全体がどうこうではなく、目の前にある犯罪が、大勢の集約によって為されていると考えれば、
大衆も同罪かもしれず、絶望して背を向けたとして何の罪があるのでしょう。(革命家気取りなど可愛いものですね、
それほどの影響力があるのは大規模市民運動ですらないでしょうし、直接に人々を云々できる力を持っているとすれば、それは実際、彼ら一握りだと思いますよ。
つまり、貴方のいう「影響力0」の対岸にこそ、彼らが立つ、ということなのでしょう。
寧ろ、影響力が無いことは決して罪ではないと思うわけです。また権力者のように人を悉くに
動員する発想さえ無ければ、分からない人は分からなくてもいいということになるでしょう。分かる義務なども有りませんよね?)
こちらの思想(何でも思想でしょうし、無限発展、無限成長の過程に在るかの
態度保留な思想的態度に甘んじるつもりはありませんので)に立てば、
分からなくて落ち零れるわけではあるまいし、むろんそうであるなら、日常的な代謝生活から
疎外されるわけでもあるまいし、面倒なことに巻き込まれずに済むくらいのものでしょうからね。
(そして運動する者が或る種の商売人であるかに媚びる必要がどこにあるのかということですね。
そのように卑屈な態度で、しかも内心では優越感に浸り、有りもしない社会を設計するかの
尊大な構想に耽るのだとしたら、もはや最悪かもしれません)
「密教の世界で遊んでなさい。ボケっ!」
遊びに終わっても、遊べるだけマシでしょう。遊びなんて結構なことではないですか。
労働して納税し、その結果として、原資が(公称において、或いは軍機の下の巨額の裏金で)兵器に
化ける場合の納税者の道義的責任を考えたことがありますか?(そしてその図式は直ぐさま止められるものなのでしょうか)
ないしは巷の帳簿会計で、戎機予算や、撒布資金が賄えるとでも、お思いでしょうか。
何かの動きに駆り立てられるのにも、やはり、リスクがともなうはずです(それと比較するなら、お遊びに終わってもいいでしょう)。
(実践運動ではなく、目標が先に設定された目的運動であれ、そもそも何某かが成就するということは、可能性でしかないはずですし。
それぞれの道の障害や不可抗力を序列化したりはしないですよね?)。
宗教遊びに終わって仕舞う、ということは悪いことではないだろうばかりか、
それだけ世界システムらしきものからも外れることになりますね。
何らかの目的を掲げれば、それを逆手に取られ、利用されるのが落ちでしょう。
基督教原理主義であれ、社会主義であれ、要するにそれこそが、人に勤勉を強いる目的史観なのかもしれませんね。
それに多数決そのものもサポートしないとすれば、拡大路線や大衆迎合という文言を取り下げる理由も必要もないでしょう。
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いちおう貴方の挑発に乗ってみたつもりです。有り難うございました。手加減ありがとう、もしそうしたのであれば。(そうでなければ手緩いかも)