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神一厘のシナリオ
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投稿者 任那真司 日時 2006 年 3 月 17 日 20:06:20: .bjsXEixOlLHg
 

(回答先:  神のドア(戸)が開く、其の日 投稿者 竹光耀作 日時 2006 年 3 月 17 日 19:37:56)

(転載)

日月神示 神一厘のシナリオ
中矢伸一・著  徳間書店  1992年5月刊
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-nakaya.html




  この本は中矢伸一氏の「日月神示」シリーズの中でも初期の作品の1つです。その中から終末に関する部分のみをピックアップしてみました。
  いま世界中で大規模な自然災害が相次いで発生するようになっているため、多くの人が「世の異変」に気づきつつあります。しかしながら、ひところのノストラダムス現象のように、ただ危機をあおり、世を悲観しても、問題は解決しません。私たちは「終末」の意味についてしっかり理解しておくことが大切です。日月神示は聖書と並び、終末に備えるべき心構えを最も的確に表した素晴らしい預言(神から預かった言葉)だと思います。               (なわ・ふみひと)

 大変革はいつ起こるのか

●日月神示には、具体的に何年何月に何が起きるといった記述はない。ただし、それをほのめかしたものは、所々に見受けられる。
 子の歳真中にして前後十年が正念場。
 という記述である。
 この「子の歳」が、仮にわれわれに巡って来る一番近い「子歳」を示しているとすると、それは1996年である。
 この年を中心とした前後10年とは、1991年から2001年までの期間を指す。あるいはこれが、前10年、後10年を意味しているとすれば、1986年から2006年ということになろう。
 いずれにせよ、われわれはすでに「正念場の期間」に突入してしまっている。
 各宗教で叫ばれている「世の大峠」「最後の審判」は、もう始まっているわけである。


 「子の歳」は1996年ではなく、その12年後の2008年だと思われます。この歳を真ん中にして前後10年というのは、2003年から2013年まで。マヤの予言などから判断しても、2013年から地球は次元上昇することになっています。ということは、すでに2003年から正念場に突入しているのです。(なわ・ふみひと)

●具体的に何が起こるかということは、様々な説があり、現時点では不明と言わざるを得ない。ただ、この時にいきなり世界的規模の大変動が発生するという説は、いささか的外れのようである。
 私としては、関東大震災のような、比較的小規模な天変地異(それでも実際に起これば未曾有の大パニックになるはずだが)が発生するか、もしくは日本占領を目的とした外国勢力による軍事力の行使が始まる時期と見ている。
 総合的な予測としては、大地震の発生などは、いつ起こっても不思議ではなく、またいずれ近いうちに起こるはずのものであることは、心に留めておくべきであろう。
 とにかく、世界の大立替えが起こる前に、日本の大立替えが必ず起こる。日本は世界のヘソの国であり、世界を凝縮したカタの国だからだ。したがって、それが人為的なものとして表れるにしろ、自然現象として発生するにしろ、「大峠越え」は、日本から開始されることは間違いない。

●ただし、神示によれば、いつどこに何が起こるのかと、そればかりにとらわれ、やっきになって詮索するのは正しくない。大事なことは日々の身魂磨きであり、身魂さえ磨けていれば、どこで何をしていようが、救われる者は救われるのである。
 そのことが、『水の巻』第十一帖に記されている。

  富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞという心、我れ善し(自己中心)ぞ。何処にいても救う者は救うと申してあろが。

 どのくらいの数の人間が救われるのか

●では、実際にどれくらいの人間が救われることになるのだろうか。
 日月神示には、「何もかも三分の一になる」といった言葉で示されているが、これが大変動を乗り越えて残される身魂の数が三分の一であることを表わしていると、そのまま捉えるのは少々楽観的過ぎるようだ。
 『松の巻』第二帖には、次のように示されている。

  神の国を、足の踏むところないまでに汚してしもうているが、それで神力は出ぬぞ。臣民なくなるぞ。残る臣民三分難しいぞ。三分と思えども、二分であるぞ。

 ここでは「三分」という言葉を3%の意味で使っていると見るべきだろう。つまり、「残る臣民の数は、3%と思えども2%であるぞ」という意味である。

●ただ、この場合でも注意すべきことは、あまり救われる者の数などに囚われて、本質的な部分を見落とすことのないようにしたいということである。本来、どれくらいの数が残るのかという問題は、実はわれわれが考えるべき範疇のものではない。その正確な数字は、「神のみぞ知る」ことなのである。 われわれは、ただひたすら、マコトの道を奉戴していることに感謝し、日々の精進に努めることに心を配ればそれでよい。

●神示によれば、まず日本に立て替えの現象が発生し、その後に世界の立て替えが起こる。
 日本の息の根が止められたと誰しもが思うところまで落とされ、悪神・悪霊の天下と思われた時に、次の段階である世界的規模の大激変が発生する。つまり、日本の立て替えは主に悪神・悪霊たちの力によるもので、世界の立て替えとは、正神直々による神力発動である。
 しかし、大局的見地からすれば、そのどちらも大神の働きの現われであり、本来善も悪もないことは、忘れるべきではない。

  何もかも、人民まで変わるのが今度の大立て替え。食物も、衣類も、住居も、みな変わるぞと申している時が来ているのぞ。

  仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのざ。殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ。今度はハッキリ区別するのざぞ。昔からの因縁ざぞ。

 すべてが仮死の状態となる

●それは、人災や天災をも含めた、「火」と「水」の洗礼であり、陸地の大規模な冠水や隆起、地軸の移動、大地震、大嵐、大雷、大竜巻など、ありとあらゆる異変が同時に発生する大異変である。また、小惑星が衝突するといった外的要因の可能性も少なくない。
 そして、その大激変のクライマックスには、すべての生き物が仮死状態となることが、ハッキリと記されている。

  一度は仮死の状態にして、魂も肉体も半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として甦らす仕組み、心得なされよ。神様でさえ、このこと判らん御方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。

  半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。

  大掃除激しくなると、世界の人民みな、仮死の状態となるのじゃ。掃除終わってから因縁の身魂のみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ。

  月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ、人民四ツん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。

●この最大にして最後の大激変を通じて、地上物質界は、原子転換のごとき質的な変化を起こす。ありとあらゆるものが半霊半物質という、霊質的に高度な物質と昇華し、生命を吹き込まれる。現在の物質も、必ずこの「霊質」と一体となっている。「霊」と「体(物質)」とは表裏一体のもので、どちらか一方を切り離して考えることはできない。
 だが、現在の物質界は、その次元が低く、波長は粗く、従って人間の霊的覚醒も薄く、高級神霊たちとの交流も出来ない状態にある。
 来たるべき大激変は、神力の発動によりいわば強制的にその次元への急激な移行が行なわれるために生じる。この時、霊的バイブレーションの低い者たちは、相当な苦しみを受けることになり、霊的昇華に追いつけない者は、肉体的に滅び、淘汰されてしまうことになるのである。
 それまでに身魂磨きの出来ている者たちであれば、霊的な質が、新しき世のそれとさほど異なるものではないので、比較的スムーズに移行が可能なのである。その際には、肉体も淘汰されることもなく、大きな苦しみを経験する必要もなくなるだろう。

 ミロク神政の世とは?

●日月神示が特に際立って重要である点は、その「ミロクの世」の実現が、人間側にとって決して受け身的なものではないということである。
 地上天国とは、ただ信じてみたり、拝んでみたりして顕現するべきものではない。
 実際の行動をもって、つくり上げるべきものなのである。
 われわれ人間と、神とが一体となって、万有和楽の天国世界を、この世に生み出すのである。日月神示を日々の行動の指針とし、生活することにより、その人の内面に天国が顕現されるであろう。「ミロクの世」とは、そのような人たちが多く現われることにより、はじめてこの世に出で来たるものなのである。

●日月神示には、大局的見地からの、地上天国「ミロクの世」に到るまでのおおまかな流れしか示されていない。おおまかな流れは決まっているが、実際の現われ方は、われわれ人間の想念状態の変化や実際の行動などによって、大きくも小さくもなり、厚くも薄くもなる。違って現われてくるのが本当である。したがって、具体的な予言は無意味なものとなる。
 神示には、「この世は人間にまかせているのざから、人間の心次第ぞ」と示されている。
 予言に頼りすぎた行動をとることは、すべての事象が一人一人の心の反映である事実から目をそらさせ、人間の霊的な進化を阻害してしまう。予言好きの人や、そうしたことに惑乱されやすい人は、この点をよくよく留意すべきであろう。
 さて、日月神示によれば、大局的見地から見たおおまかな大改革のプロセスとは、次のようなものである。

 @ 日本が第二次世界大戦で敗れる。
 A 日本が再び勢力を盛り返し、繁栄を取り戻す。
 B 「悪」の計画により、日本人は骨抜きになる。
 C 外国から攻め込まれ、日本は再び潰される。この時、世界は日本潰しのために
   一つにまとまる。
 D 世界的規模の大変動が発生し、総人類カオス状態となる。
 E あらゆる物質の、質的転換(昇華)現象が起こる。
 F ミロクの世の誕生。

 「悪の計画」が日本人を骨抜きにする!

●日本は、経済大国として勢力を盛り返し、確かに物質的には非常に豊かになったが、その反面、精神的にはこれまでになかったほど退廃してしまっている。
 古来から受け継いできた伝統や風土精神は、戦後急速に失われていき、人々は金をすべての価値をはかる物差しとして完全に偶像化した。
 その時さえよければよい、楽しければそれでいいというような刹那的風潮がもてはやされ、全体のことよりまず自分の利益を優先することに眼目が置かれた。
 「敬愛」や「誠心」、「忠孝」や「道義」、あるいは「神仏」や「先祖」といった、目に見えないもの、形のないものに対して価値を見出すことは、ことごとくが古臭く、時代遅れと理解されるようになった。
 いわゆる知識階級や指導的立場にある人々は、唯物科学至上主義を振りかざし、欧米の権威ある筋に裏付けられた情報を何の疑いもなく受け入れ、こぞってわがものとした。
 その結果、現代の日本民族はどうなったか。
 その国の将来というものは、その国の明日を担うことになる子供たちを見ればわかる。
 日本の青少年の現状を見るがよい。
 食生活と生活様式の西洋化に伴い、体格こそ立派になったものの、目は虚ろで無気力、無感動。学力の点では世界最高水準にあるかも知れないが、人格的形成に欠け、道徳的観念は薄く、人間として優れた人物になりたいという気概を持った者はまずいない。
 肉体的享楽や打算的個人主義に走り、より大いなるもののために尽くすなどという考えはさらさらない。
 もちろん、こうしたことは若者だけに見られることではない。
 総じて、現在の日本国民が興味を持つことと言えば、カネやモノの他には、スポーツ、レジャー、セックス、映画・テレビなどのエンタテインメント、グルメ、ギャンブルなどなど、およそ人格を磨いて霊性を向上させることとはほど遠いものばかり。否、むしろ逆に害のあることばかりに夢中になり、汲々としている。

●来たるべきミロクの世とは、高級霊人の住む世界そのままの写しであり、あらゆる殺生のない、嬉し嬉しの天国世界である。四ツ足、虫けらに至るまで、共に手をつないで唄い合う絶対平和、絶対調和の世の中である。
 この波長の高い、新しき世界に肉体のまま生き残れる人間とは、穀物菜食者のみであることは、間違いないと断言できる。

●人間は、このまま自分たちのみの御都合主義による独善的利益を追い求める限り、いずれ必ずその報いを受けることになるだろう。特に、本来守護するべき動物たちを喰らい、大量に殺戮を続けていることは、その罪大なるものがある。
 世界はそうした大きなメグリの総清算期に突入しているが、その最初の物理的現象は、わが日本に現われるはずである。なぜなら、日本は世界の「雛型」であるからだ。
 日本が良くならなければ、世界も良くならない。日本の人民もまた変わらなければ、世界の人民もまた変わることは出来ないのである。

  神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ。金は要らぬのざぞ。お土からあがりたものが光りて来るのざぞ。衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあろうがな。誰でもそれぞれに先の判るようになるのぞ。お日様もお月様も、海も山も野も光り輝いて、水晶のようになるのぞ。悪はどこにも隠れること出来んようになるのぞ。博打、将棋は無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ。神を讃える声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ。

  人力屋、酒屋、料理屋、芸姑屋、娼妓屋、無く致すぞ、世つぶすもとざぞ。菓子、饅頭も要らんぞ。煙草もクセぞ。善き世となったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ。勝手に造ってよいのざぞ。それ商売にはさせんぞ。

 この神示によれば、飲食産業や風俗産業などのすべてが淘汰されるというわけであるから、これは今の人間には到底受け入れられない、厳しい通告である。
 東京に典型的な縮図を見る現代社会においては、それこそ外食産業や風俗関係の商売が花盛りである。これらのすべてを無く致すと、神示は告げている。
 しかし、考えてみれば当然のことであろう。そうした産業の中に、神界的、天国的なものが一つでもあるだろうか。来たるべき高き波長の世界にそぐわぬものは、生き残ることは出来ない。
 また、己の身魂が磨かれ、波長が高くなってくれば、自然とそうしたものを好まぬようになり、寄り付かなくなる。逆にそのような、間もなく淘汰されるべきものに心魅かれる人は、それら波長低きものとともに、やがて淘汰されてしまう。

 破局は回避出来ないのか

●神示に示された内容は、実に厳しい。今の飽食の時代にどっぷりと浸かり、平和ボケした日本人には、到底堪えられない苦難がこれから待ち受けている。
 しかし、身魂磨きに励むことにより、その苦難を小さくすることは可能である。
 ここでもう一度、次の神示を見て頂きたい。

  神示で知らしただけで得心して改心出来れば、大難は小難となるのぢゃ。やらねばならん。戦は碁、将棋くらいの戦で済むのぢゃ。人民の心次第、行い次第で、空まで変わると申してあろがな。

  大難であっても、人間の心と行ない次第で、大難が碁や将棋程度のものになる、つまり戦の「型」で済むようになるのである。

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