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フツーの人が書いた黙示録 〈 預言編 〉
終末に関する預言(予言)を審神(さにわ)してみました。
縄 文人 (なわ・ふみひと)
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☆ 預言(予言)に見る終末についての記述
☆ 神の国の到来を予言する言葉
☆ 終末には光の尾を引いた星が現れる
☆ 大患難のフィナーレは「暗黒の3日間」
☆ 世の終わりにはどんな前兆があるのか
☆ イエスは新しい時代が始まるまで登場しない
☆ 日月神示が教える終末の生き方
☆ 味方同士が殺し合うこともある
☆ 肉体があるうちに改心しておくことが大切
☆ 善いと感じたことをすぐ行なうのがミタマ磨き
☆ 神示を読めば心のホコリがとれる
☆ 「金で世を潰してミロクの世と致す」
☆ 獣となる人は同胞を食べることもある
☆ 人に知られぬように善いことを積め
☆ 人は死ぬときの想念のままの世界に住む
☆ 一度死ななければ生き返れない
☆ 幽界に行く人は二度と帰ってこれない
☆ 住む家も、着るものも、食べる物もなくなる
☆ 子が天国で親が地獄ということもある?
☆ 改心しない人には地獄への道が明るく見える
☆ 人間は何を食べるべきか
☆ 神と人間が一体になって次元アップする
☆ 1日に10万人が死ぬようになる
☆ 東京はどうしても火の海になる?
☆ 人は四つん這いになって這い回る
☆ 終末における日本の国の役割
☆ 2012年からミロクの世がスタートする
☆ 終末現象の中で必ず起こる2つのシナリオ
☆ 救世主が雲の上に引き上げて助けてくれる?
☆ 肉体のまま霊界に行くことができる
☆ 国民が背番号で管理されるようになる
☆ 世界の警察アメリカが、まず管理国家となる
☆ 「神の国」とはどういう世界なのか
☆ 2003年からがいよいよ正念場
★ なわ・ふみひとからのお知らせ
預言(予言)にみる終末
預言(予言)にみる終末についての記述 [TOP]
神次元の存在によって世に降ろされた預言を、フツーの人間が審神(さにわ)するのは恐れ多いことではありますが、大胆に挑戦してみました。いろいろな預言(予言)に目を通してみて、預言(予言)として信頼できると思われるのは、まず第一が「日月神示(ひふみ神示)」、そして「大本神諭」および出口王仁三郎によるその他の予言書、新約聖書の3つではないかと思っています。
これ以外にも、部分的には旧約聖書、エドガー・ケーシー、ポール・ソロモン、ノストラダムスなどの預言(予言)も参考にすべき点はたくさんありますが、それぞれ一長一短があって全面的には信頼できないような気がしています。ファティマの予言をはじめとする聖母予言については、低級霊または邪悪な宇宙存在からのメッセージが多いということで、終末予言としては採用しないことにいたしました。
ここでは主として冒頭の3つの預言(予言)を中心に紹介していきます。
神の国の到来
神の国の到来を預言する言葉 [TOP]
時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコによる福音書)
「神の国」とは次元アップした地球ということを意味しています。クリスチャンの間では、「天国(あの世)」のことだと思われているようですが、「あの世が近づく」というのはどう考えてもおかしいのです。
御国が来ますように。みこころが天に行なわれる通り、地にも行なわれますように。(マタイによる福音書)
この「御国」も次元アップした新しい地球を意味する言葉と思ってよいでしょう。「天」は神次元の存在が住んでいる世界のことで、霊界など四次元以上の世界ということになります。「地」はこの三次元の物質地球ということです。この宇宙では、まず高次元の世界で起こったことが徐々に移写されてきて、物質次元に現れてくると言われています。ですから、この祈りの言葉は、まず天で行なわれた神の計らいが、地にもその通りに行なわれることを願う言葉なのです。
三千世界、一度に開く梅の花。艮の金神(うしとらのこんじん)の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりておるぞよ。これでは国は立ちてはいかんから、神が表に現れて、三千世界の立て替え立て直しを致すぞよ。用意をなされよ。この世はさっぱり新つ世(さらつよ)に替えてしまうぞよ。(大本神諭)
「三千世界」はすべての次元ということで、霊界や幽界も含まれます。今回の立て直しはこの三次元の物質地球だけのことではないということです。「新つ世に替える」というのは、まさに物質次元の地球ではなくなることを意味しています。
その理由として、私たちがあこがれ、採り入れてきた西洋文明に問題があったことをハッキリ述べています。「強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国」と、陰の世界政府が動かしている資本主義社会(お金で治める社会)の問題を指摘しているのです。私たちは、これからそのような生き方の反省を迫られるということになります。
終末には光の尾
終末には光の尾を引いた星が現れる [TOP]
新約聖書のヨハネの黙示録には、神の国の到来までの7年間が患難の時代として詳しく預言されています。天変地異や戦争、飢饉、疫病など、考えられる様々な出来事が述べられていますが、それとは別に、ノストラダムスの予言に少し気になる記述があるので拾ってみました。
光の尾を引いた星が現れるとき
三人の巨大な王子達が敵対するであろう
大地は揺れ動き、平和は空から打ち砕かれ
ポー川とティブル川は氾濫し、蛇どもは岸でとぐろを巻く
(ノストラダムス)
「光の尾をひいた星が現れる」ということは、彗星のことを意味していると思われます。この彗星のことはノストラダムスの予言のなかにはたびたび出てくるのです。「蛇」はサタンの化身で、世界を陰から操る邪悪な勢力のことを指していると思われます。「とぐろを巻く」は、「集まって善くない相談をする状態」ということです。獲物(人類)をどう料理するかを検討しているのかも知れません。
それは北から現れるだろう
蟹座からほど遠からぬ所
髪をなびかせた明星が近づいてくる
スース・シェーナ・ボエチア・エリトリア
明け方、偉大なローマ人が死ぬであろう
(ノストラダムス)
彗星は髪をなびかせて「北から現れる」と言っています。「偉大なローマ人」はローマ法王のことでしょう。
夜明けとともに巨大な炎が見られる
轟音と閃光が北の空に伸び
球型の中で死の叫び声が聞こえる
武器、炎、飢餓による死が人々を待ち受ける
(ノストラダムス)
ここでも「北の空」と言っています。死の原因が「武器、炎、飢餓」であるということは、「戦争、火災、飢饉」が発生することを表しています。
金色の炎が空から降ってくるのが見える
高い所からの衝撃で、驚異の突発事が起こる
人類最大の殺戮
子らは強引に奪いさられ、観客たちは死に、
誇り高い者どもも逃げ去るだろう
(ノストラダムス)
空から降ってくる「金色の炎」が何であるかは理解できませんが、多分彗星に関係があると思われます。「高い所からの衝撃」も、彗星によるものでしょう。「子」は「光の子」のことです。つまり選ばれた光の子だけが、神の力によって別次元に上げられ、「観客」すなわち普通の人たちは死ぬということです。 「誇り高い者ども」は、この地球を陰から支配している層のことでしょう。終末のカタストロフィーのときには地球の地下深くにつくられている基地か、場合によっては宇宙ステーションなどに逃げていくということです。
大きな星が七日の間燃え続け
雲が二つの太陽を現すだろう
獰猛な巨犬は夜通し吠え続ける
偉大な法王が在所を替えるときに
(ノストラダムス)
燃える彗星はついに二つ目の太陽のようになってしまうのです。ローマ法王も在所を替えると言っていますから、バチカンの宮殿が何らかの危機にさらされるのかもしれません。
大患難のフィナーレ
大患難のフィナーレは「暗黒の3日間」 [TOP]
暗黒の3日間については、旧約聖書、聖母預言、ポール・ソロモンもその様子を伝えています。また、日月神示や新約聖書にも同じような記述がありますので、これはかなり信頼性が高いことだと思っています。
しかも、最近では地球がフォトン・ベルトのヌルゾーンというところに突入すると、太陽の光が全く届かなくなり、暗黒の状態が続くと言われています。しかも、そのヌルゾーンを抜けるまでにちょうど3日かかるというのです。このフォトン・ベルトの存在はアメリカの当局も公式に認めたということですが、その影響についてはもちろん発表されてはいません。はっきりわかっているのは、地球がフォトン・ベルトのヌルゾーンに突入する日は2012年12月22日だということです。
この日は、マヤの暦が終わっている日だとも言われ、また、アメリカのテレス・マッケンナという科学者が独自の計算をした結果、いまスピードアップしつつあると見られる時間がゼロ・ポイントを迎える日だとも言うのです。この日が、いわゆる地球の次元アップスタートの日となるのでしょうか。その時、この三次元地球は海と陸が逆になるほどの大天変地異に見舞われるという予測もあるのです。
まずはその「暗黒の3日間」を予言する言葉に目を通してみましょう。
世界の大晦日ぞ。みそかは闇と決まっているであろうが。(日月神示)
さすがは人の心を暗くしないことに気を配った我が国最高の預言です。みそかの次には、心改まる新年がやってくることを暗示してくれています。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変わるであろう (使徒行伝)
たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるだろう。(マタイによる福音書)
星が空から落ちてくるというのですが、その結果、地球が振動して、天体が揺り動かされたように見えるということでしょうか。
月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血じゃ。人民四つん這いやら逆立ちやら、ノタウチに一時はなるのであるぞ。(日月神示)
やはり、地球は大揺れとなるようで、人は四つん這いやら逆立ちやらということですから、立ってもいられないほどの激しい揺れに見舞われるということです。なんともリアルです。
地(くに)つちの軸、動くぞ。フニャフニャ腰がコンニャク腰となりて、どうにもこうにもならんことになるぞ。(日月神示)
地軸がぐらつくということですから、地球はよたよたした状態になるのでしょう。人が四つん這いになるのもわかります。
世の終わりには
世の終わりには、どんな前兆があるのか [TOP]
以下に、マタイによる福音書(新約聖書)のなかの終末の様相に関する部分を拾ってみます。
そこでイエスは答えて言われた。
人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者が私の名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい。あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちにききんが起こり、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起こって、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで堪え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起こって、大いなる印と奇跡を行ない、できれば選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒れ野にいる」と言っても、出ていくな。また「見よ、部屋の中にいる」と言っても信じるな。ちょうど、いなずまが東からひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
しかし、その時に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗ってくるのを、人々は見るであろう。
また、彼は大いなるラッパの音とともに御使いたちをつかわして、天のはてから地のはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
いちじくの木からこの譬えを学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
イエスは新しい時代
イエスは新しい時代が始まるまで登場しない [TOP]
このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。(使徒行伝)
終末の救世主として期待されているイエス・キリストですが、少なくとも新約聖書の主役であるイエスについては、万物更新(次元アップ)の時までは登場しないということです。キリスト教を信仰している人たちの間には「終末には救世主が現れて選ばれた人たちを救ってくれる」という、メシア待望論が根強くあると思われますが、その救世主とはいったいどういう存在なのでしょうか。場合によってはキリストを標榜する偽キリストかも‥‥。
やはり日本の預言が教えるとおり、終末は救世主を待望する前に、まず一人一人が自分の心の立て直しをすることが大切であるように思います。
日月神示が教える
日月神示が教える終末の生き方 [TOP]
何もかも三分の一じゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みぢゃ。三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも助けたさの日夜の苦労であるぞ。
終末のカタストロフィーを経て、新しい地球とともに次元アップできるのは三分の一だということです。ただし、これはいま肉体を持って生きている人以外に、死んで霊界にいる魂も含めてのことになります。私たちのご先祖様も(その後、生まれ変わっていなければ)対象となっているのです。
太陽は十の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。人民の学問や智では判らんことであるから、早う改心第一ぞ。
現在は太陽系には9個の惑星がありますから、1個増えることになります。これがノストラダムスの預言に出てくる星のことかもしれません。最近地球に接近していると噂されている「ニビル」という星も有力な候補でしょう。
神にささげずにむさぶるからメグリつむのじゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくには食物つつしめばよい、言葉つつしめばよい。
メグリはカルマのことです。自分の言葉や食べ物、想念などの波動によって、その波動が作り出す世界を体験することになります。つまり、病気などの不運となって巡ってくるというわけです。
その人間にメグリなくてもメグリ負うことあるぞ。人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。果たさねばならん。
人類や民族、国家、先祖などのカルマも背負う必要があるということは、前章で述べてきた通りです。仏教にも同じような教えがあります。
メグリというのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。メグリは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。
祓(はら)いせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはメグリなくすことぞ。昔からの借銭は誰にもあるのざぞ。それ払ってしまうまでは、誰によらず苦しむのぞ。人ばかりでないぞ。
潜在意識の中にため込まれた私たちのカルマは、終末までにすべて発散(昇華)させなくてはならないのです。発散する過程で病気になったり、事故などの災難に遭ったり、人間関係で苦労したりするわけですが、残っているカルマが大きい場合は、天変地異に巻き込まれるという最大の恐怖を味わうことも避けられないかもしれません。私の表現で言えば「人一倍大きい予防注射を打たれる」ということです。それを恐れると、また新たなカルマを創造しますので、そのような事態に遭遇しても、けっして恐れないことが大切なのですが‥‥。
人間をほめることはよいことじゃ。ほめて、その非をさとらせよ。罪ゆるすことぢゃ。もの生かすことじゃ。生かして使うことじゃ。神示(ふで)ひろめることぢゃ。やってみなされ。必ずうれしうれしとなるぞ。栄えるぞ。
仏教の法華経のなかに「常不軽(じょうふきょう)菩薩」という話が載っています。どんなに自分のことを悪く言ったり、いじめたりする人に対しても、常に両手を合わせて拝む習慣のある人の話ですが、これがカルマをつくらない生き方ということです。新約聖書にも全く同じことが述べられています。
味方同士が
味方同士が殺し合うこともある [TOP]
味方同士が殺し合う時、一度はあるのざぞ。大き声で物言えん時くると申してあろがな。これからがいよいよざから、その覚悟していてくだされよ。(中略)
ちりぢりばらばらになるのざぞ。一人ひとりで何でも出来るようにしておけよ。
家族がバラバラになる場面もあるということです。一人で終末の苦難に直面する事態になっても、自暴自棄になったり、恐怖で動けなくなったりしないように、普段から心の鍛錬をしておく必要がありそうです。もちろん、人は助け合うことが大切なのは言うまでもありませんが、助けてほしいという依存心よりも、人の力になろうという気持ちの方が神の心にかなっているのです。
どこにどんな事していても、助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民安心しておりてくだされよ。火降りても槍降りてもびくともせんぞ。
一番大切なことは、全能の神を信じること。最終的には助かるのだという安心感をもてなくてはいけません。目の前の出来事に一喜一憂することなく、落ち着いて行動することが大切だということです。
覚った方神示説けよ。説いて聞かせよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあろうが。
「気づきを広げること」――仏教で言うと「法施」です。これが最も大切なのです。気づきを得てレベルアップした波長の人たちの念が一つになって集合的無意識を形成し、この世を浄化していくのです。
肉体があるうちに
肉体があるうちに改心しておくことが大切 [TOP]
生命あるうちに神の国のこと知らずに、死んでから神の国に行くことは出来んぞ。(中略)肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。
これは、これまでさまざまな霊界通信によって、死後の世界の話としてもっとも強調されてきたことです。肉体がある時に覚らないと、霊体になったら波長が定まってしまいますから、それから周波数を高めることは難しいということを言っています。
善いと思うことを
善いと思うことをすぐ行なうのがミタマ磨き [TOP]
人間それぞれのミタマによって役目違うのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何もかもマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
ミタマ磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。
「善いと感じたこと直ちに行なうこと」が大切だということです。前に、タバコをやめる場合の「1本の誘惑」という話をいたしましたが、私たちの心の調律で一番難しいのがこの誘惑を振り払うということです。
誘惑には2種類あって、「〜をしたい」というものと、「〜をしたくない(怠けたい)」というものがあります。しかしながら、一人ひとりの心にささやきかけてくる誘惑の声は、波動がよく似ているのです。
@ 誰でもやっていることだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やっ
てはいけないことをする)
誰もやっていないことだから、やらなくてもいいだろう。(と自分を許して、やるべき
ことをしない)
A 今回だけだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やってはいけない
ことをする)
今回はパスして、次からやろう。(と自分を許して、やるべきことをしない)
タバコやお酒をやめようとか、日記をつけようとか、間食を減らそうとか、自分の成長・進化にとって良いことをしようと思うと、人の心に必ず「1本の誘惑」がやってくるのです。この誘惑に勝てない人は、ミタマ磨きができないことになります。
政治家で贈収賄の罪に問われる人も、最初は「誰でもやっていることだから」という気持ちで自分を許していくのです。あるいは「この程度の(小さな)金額だから」という許し方もあるでしょう。それがホコリとなって潜在意識に蓄積されて行き、やがてメグリとして運命に影響を与えていくことになってしまいます。新しい時代、次元アップした地球では、そのようなメグリがあると生きていけないということです。今から、新しいメグリをつくらず、過去のメグリを解消していくために、「善いと思ったことはすぐに行なう」ことを心がけたいものです。(これは私自身に言っていることでもあります)
神示を読めば
神示を読めば心のホコリがとれる [TOP]
毎日、一生懸命に掃除していても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。まして掃除せん心にホコリつもっていることくらい、誰にでも判っているのであろうが。神示で掃除せよ。
心のホコリをとるために掃除をすることを、「砂に書いた文字」という表現で述べてきました。1日が終わり、眠りにつく時までに、心のホコリをとり、それが潜在意識の中にため込まれないようにすることが大切だということでした。ここでは、「神示(ふで)で掃除せよ」とヒントが書かれています。日月神示という素晴らしい波長の書物を声に出して読んでいると、共鳴の法則によって私たちの波長が高められるということです。「読書百遍意自ずから通ず」という言葉もありますが、理解できないと思う本でも、それを何回となく、できれば音読をしていると、いつしか本の波動が伝わってきて、内容まで理解できるようになると言うことです。これも共鳴の法則で説明できます。
私は過去20年ほど、毎朝般若心経を唱えることを日課にしてきましたが、仏教の解説書を読んでも理解できなかった「空」の意味が、最近突然に理解できるようになりました。それというのも、毎日般若心経の波動に親しんできたため、共鳴の法則によってその影響を受けたのだと思っています。
音楽や絵画も一流の作品に触れていると、その影響で波動が高められ、ますます耳や目が肥えてきて、作品の本当の素晴らしさが理解できるようになりますが、これも同じことを表しています。そういう意味では、友達を選ぶのと同じように、読む本も波長の高いものを選ぶようにしたいものです。そして、夜寝る前に、そのような本を音読してから寝る習慣を、すぐにでも実行していただくならば、潜在意識に悪いカルマをためることはないと思います。逆に素晴らしい波動を送りながら眠りにつけますので、ますます波長を高めることができるでしょう。
「金で世を潰して
「金で世を潰して、ミロクの世と致す」 [TOP]
金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。
この「金で潰して」というところに注目してください。金すなわち「経済至上主義」が地球を壊してしまったのです。しかし、それも必要なことだったのです。その反省の中から、心の地固めをして、いよいよミロクの世を迎えることになるのですから。
他のために行ぜよ。神は無理申さん。初めは子のためでもよい。親のためでもよい。自分以外の者のために、まず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。
これもすでに述べてきたことですが、「個は全体のために。全体は個のために」と同じことを意味しているのだと思います。まず自分以外の身近な人に与えることから始めるのです。「行」すなわち「他に与える」ものは「物」とは限りません。いたわりの言葉であったり、肩をもんでやることであったり、愛情を込めて料理をつくることだったり、いろいろあります。しかし、子や親は自分の分身のような存在ですから、「万人のために」行ずるようになるための、ほんの入口だということです。それでも、「自分だけが大切」と思っている人よりは一歩を踏み出したことにはなるでしょう。
獣となる人は
獣となる人は同胞を食べることもある [TOP]
今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞いするぞ。キリキリ二股多いぞ。獣となれば、はらから食うこともあるぞ。
「二股膏薬」とは、自分にハッキリした考えがなく、あっちについたりこっちについたりすることをいう、と辞書に書いてあります。二股の一つは「ミロクの世で生きるために魂を磨いていく」ことを言います。もう一つは「現世利益」でしょう。この世の価値観で、お金や名誉、地位など、物質的な繁栄を求めることです。霊的側面よりも物質的側面に重点を置いた生活ということで、これを「体主霊従」と呼びます。逆に、心の問題を重視して生きることを「霊主体従」と言って、ミロクの世の生き方とされているのです。
これまでのような体主霊従の生き方をしていると、「光の子」でなく「獣」となってしまうというわけです。そして、獣は食料が不足すると「はらから(同胞)」つまり同じ人間を食べることになるぞと警告しています。太平洋戦争で生還した人の中に、死亡した仲間の肉を食べたことを告白している人がいました。また、外国のことで大分古い話ですが、雪の積もった山中に不時着した飛行機の乗客が、救助されるまでの間、死亡した人の肉を食べて生き延びていたという話もありました。極限的状況になると人は獣の相を顕してしまうおそれがあるのです。そのような獣的側面を顕すことのないように、神示は「神徳を積め」と警告しているのです。
大峠の最中になったらキリキリ舞いして、助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。皆己の心であるからぞ。
気づきの遅い人は、結局最後の土壇場で大慌てということになるでしょう。でも、その時ではもう手遅れだということです。神さまでもどうにもできないのです。なぜなら、自分の心(潜在意識にため込んだ波動)が変わっていないから、どうにもできないということです。人には自由意志が与えられていて、その心の調律は、自分でしなくてはいけないルールなのです。
人に知られぬように
人に知られぬように善いことを積め [TOP]
人に知れんように善いことつめと申してあろうが。人に知れんようにする善いこと神心ぞ。神のしたことになるのざぞ。
「陰徳」ということで述べてきました。聖書にも同じような記述があります。イエスが「右手で人に施しをした場合、そのことを左手にも知らせてはいけない」と教えているのです。せっかくいいことをしても、「私がしてやった」と思う気持ちを持つと、逆にマイナスのおつりがついてくるかもしれません。
大掃除はげしくなると、世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ。掃除終わってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのぢゃ。
大掃除というのは、終末の大天変地異によって人類の集合的無意識の乱れを浄化していくことを言うのでしょう。地球の大掃除ということでもあります。その段階で世界の人民は皆、仮死の状態になるということです。つまり、私たちは全員、肉体の死は避けられないことになります。その後で、因縁のミタマ、つまり「光の子」だけが息を吹き返して、次元アップした地球の人民となるのです。
自分に降りかかって来る一切のものは最善のものと思え。如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。(中略)
世を呪うことは自分を呪うこと。世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと覚れば一切はそこからひらけくるぞ。
自分の回りに起こることは、それは過去に潜在意識の中にため込んだカルマが形をとる姿です。だから、心を動揺させることなく「あ!これでカルマが一つ消えていく」と、逆に感謝の気持ちで受けとめることが大切であるということです。それは体の病気という形を取ったり、他人から裏切られるという形をとったり、いろいろあるでしょう。その時でも、世の中や他人を恨まない方がいいと教えているのです。世の中の総ての存在は一つにつながっていて、それは自分自身でもあるわけですから、世の中を恨むことは自分を恨むこと、というわけです。私が波動の法則として説明してきたことと同じ内容が述べられています。
人は死ぬ時の
人は死ぬ時の想念のままの世界に住む [TOP]
死ぬ時の想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮らす人、天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。
これも波動の法則で説明するとわかりやすいと思います。人が死ぬと、肉体を持っている時に作り出した波動の世界に引き寄せられていくということです。天国的波長の人は天国的な世界へ、地獄的波長の人は地獄的世界へ引き寄せられることになります。
死とは住む段階の違う場合に起こる現象ぞ。死とは生きることぞ。変わることぞ。霊人も幽人も衣類を着て、食べ物食べて、家に住んで、庭もあれば道もあり、町もあれば村もあり、山も川もあり、全てが地の上と同じぞ。天国がうつって地ができているのぢゃ。霊の国は更に立派、微妙ぞ。天界のもの光輝き、幽界のもの暗くなる違いあるだけぢゃ。その時の状態によって変化するが、すべては神が与えたのぢゃ。現界同様、与えられているのぢゃ、と知らしてあろうがな。時間、空間もあるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ所に住み、変化すれば別の所に住むのであるぞ。
見ようと思えば、念の中に出てきて、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えんのぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現れてくるのであるぞ。幾重にも重なってあるのであるが、各々別にあるのであるぞ。
私たちは肉体の死によって無の世界に行くわけではありません。魂は生き通しですから、肉体をもっていたときと同じ意識をもって、物質のない波動の世界にいくわけです。というより、本来の自分の波動と同じ世界に行くことになります。肉体という物質の波動で制約されなくなりますから、自分の波動そのものの世界に行けるのです。
末尾の部分に「幾重にも重なっている」とあるのは、波動の周波数の違いで何重にも並行して存在していることを言っています。私たち人間は、肉体という最も粗い波動の体以外にも、エーテル体(幽体)、アストラル体(霊体)など、重なり合った複数の体をもって、いくつかの世界に同時に存在しているのです。ただ、物質としての肉体を持っている時はこの物質世界の波動しか認識できないだけのことです。
死んでその肉体の制約がなくなると、幽界または霊界という精妙な波動の世界に入りますから、肉体を持って生きている時の波動の傾向が強調されることになります。地獄的波長の人は全くの地獄絵図を見ることになり、天国的波長の人はいつも嬉し嬉しの世界となるのです。ここでも、これまで数多く出されてきた霊界通信とまったく同じ内容が述べられています。
一度死ななければ
一度死ななければ生き返れない [TOP]
人民一度死んでくだされよ。死なねば甦られん時となったのぞ。今までの衣を脱いでくだされと申してあろう。世が変わると申してあろう。地上界の総てが変わるのぞ。人民のみこのままというわけには参らぬ。死んで生きてくだされよ。立て替え、立て直し、過去と未来と同時に来て、同じところでひとまず交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相であるぞ。
「今までの衣を脱いでくれ」と言われています。「物質としての肉体に対する執着をなくせ」ということでしょう。「死んで生きる」ということは、肉体を失って、霊体で生きるということです。地上界の総ての存在の波長が高くなるわけですから、人間だけがそのままということにはならないのです。
「過去と未来と同時に来て」という意味は、説明が難しいのですが、要するに別世界には、すでにこの物質世界にはいなくなった人や生き物なども存在しているわけですから、それらがすべて一緒になってふるいにかけられるということです。その中から、新しい地球すなわちミロクの世に必要な人や生き物だけが残されるということです。亡くなった人が生き返り、絶滅したと思われる動物なども再度デビューすることになるでしょう。
さらには、すでに人類の想念が作り上げつつある未来の社会も、新しい地球に必要と判断されるものは実現した姿で現れるということです。さまざまな発明なども、コンセプトとして生まれたものは、霊界では一足先に完成しているからです。この説明を聞いても、やはりガテンがいきませんか?
最も苦しいのは1年と半年、半年と1年であるぞ。死んでからまた甦られるように死んでくだされよ。マコトを心に刻みつけておりてくだされよ。
2012年が終末のギリギリであるとすれば、その3年(1年半+1年半)前の2010年あたりからが最も苦しい時代になりそうです。「死んでも(ミロクの世の住民として)甦られるように」死んでくれと言われています。「心の調律をして波動を高めておけ」というふうに受けとめたいと思います。
幽界に行く人
幽界に行く人は二度と帰ってこれない [TOP]
この世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ。この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ。身に付いた芸はそのまま役立つぞ。人に知れぬように徳つめと申してあろうがな。神の国に積む徳のみ光なのざぞ。今までは闇の世であったから、どんな悪い事しても逃れることできたが、闇の世はもうすみだぞ。思い違う臣民沢山あるぞ。どんな集いでも、大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えてくだされよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ換えてくれよ。一度にどっと大変が起こるぞ。
この世界で身につけた財産や地位、名誉などがあの世に持っていけないことは理解できると思います。役に立つのは「身魂の徳だけ」とのことです。つまり、自分が高めた波動だけだということです。「身に付いた芸」はそのまま役立つということですから、仕事や芸術の分野などで磨いた技術は新しい世界でも使えるということですね。このことは、他のさまざまな霊界通信でも言われていることです。
「徳」の場合はやはり陰徳でないといけないようです。新約聖書でもイエスが「天の蔵に積まれる」のは隠れてなされた善行だけだと教えています。他者からの感謝の言葉や周りの賞賛を期待しての善行は、動機が不純ということです。それは本当に相手(対象)のことを思っての善行ではなく、自分のこと、つまり自分が何らかの評価を受けることを第一に考えての行為だからです。
聖書もそうですが、日月神示には「人に知られぬように徳積め」とくどいほど述べられています。それは道徳的視点からではなく、霊的視点からの忠告なのです。つまり、人の波動を高めるために、あえて人に知られないところで善行を行なう必要があるということなのです。
前に「情けは人のためならず」にも落とし穴があると申しましたが、どこからか見返りがくることを打算しての善き行為は、価値が小さいということです。潜在意識はその微妙な心の動きをきっちり把握してしまうからです。
また、陰で隠れて悪い行ないをすると、それもきっちり把握されます。この物質の世界では、潜在意識の中身が表面化するまでに時間がかかりますが、いずれ明らかになって行きます。場合によっては生まれ変わった次の人生に、カルマとして顕れてくることもあるのです。あるいは、生まれ変わりのチャンスがない魂は、自分は幽界で苦しみ、その子孫が人生の不幸や不運という形で、先祖の代わりにカルマの清算をさせられることになります。
最近は時間の流れが加速されつつある関係で、隠れたところでなされている悪行がすぐに露見するようになっています。政治家の不正や、一流と言われてきた企業の不始末が、次々とマスコミをにぎわすようになっているのはそのためです。老子に「天網恢々疎にして漏らさず」という教えがありますが、まさに天は一つも見逃すことなく、人の行為を把握しているということです。
往々にして、大きな組織や団体のトップ(大将)ほど思い違いをして、自分や自分の組織のために悪事を働くということが指摘されています。そういう人たちは神の国には住めませんから、「幽界(がいこく)」つまり波動の粗い地獄的世界に行くことになる、という警告だと受け止めなくてはいけません。しかも、これまでは幽界でも、気づきを得れば少し高い霊界にまで上がることができ、場合によっては再び人間に生まれ変わって修行をし直すことも可能でしたが、今度は「二度と帰れん」ようになるのです。
私たちの心の動きはすべて神様に把握されていますので、善いと思うことも悪いと思うことも、それを覚悟の上で行なうことが大切だということです。善いことをしても他者にそのことをわからせようとする必要はありませんし、悪いことしても決して隠すことはできないということです。新しい地球、新しい世界では、心の中のものがすぐに相手や回りに伝わってしまうと言われますから、それが普通の生き方になるのでしょう。
住む家も
住む家も、着るものも、食べる物もなくなる [TOP]
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始まっているのであるぞ。まだまだ激しくなって、どうしたらよいか判らなくなり、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食う物もなくなる世が迫って来るのだぞ。それぞれにメグリだけの事はせなならんのであるぞ。早い改心はその日から持ちきれないほどの神徳与えて、嬉し嬉しにしてやるぞ。寂しくなりたら訪ねてござれと申してあろがな。洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ。神はお陰やりたくてうずうずしているのざぞ。今の世見ても、まだわからんか。神と獣とに分けると申してあろが。早うこの神示読み聞かせて、一人でも多く助けてくれよ。
着るものも、住む家も、食べるものもなくなる世が迫っているということです。終末現象の中で、私たち一人ひとりが、それぞれのメグリ(カルマ)の清算をさせられるということです。しかしながら、早い改心をすれば嬉し嬉しにしてもらえるのです。
表面に現れてきたカルマを目の前にして、悲観したり、恐怖したり、呪ったりする気持ちになるのは獣の波動です。そのときにまた新しいカルマをつくってしまうことになります。
カルマは病気の症状のようなもので、潜在意識の中に蓄積された過去の善くない心の傾向が形をとっているのです。形をとればそのカルマは消えていきます。病気も熱や咳、体の痛みなどの症状として現れますが、薬を使ってその症状を和らげたり、なくしたりせずに、カルマが消えていくのを心静かに待つべきなのです。
ところが、最近の人は症状を病気そのものと勘違いしていますから、心を動揺させ、不安な気持ちになって、薬の力で症状を抑えてしまいます。そのため、病気の根はそのまま残り、また何かをきっかけに次の芽(症状)を出してくるのです。
終末における私たちの心の持ち方もまったく同じです。過去につくったカルマを清算してしまうわけですから、いろんなことが次々に出てくるわけです。食べるもの、着るもの、住む家などに不自由するのもそのカルマが発散(昇華)していく姿なのです。恐れるのでなく、むしろ感謝しなくてはいけないのです。それが「改心」すなわち「心を改めること」の意味なのです。
子が天国で
子が天国で親が地獄ということもある? [TOP]
今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけにはいかんのざ。子が天国で親が地獄というようにならんようにしてくれよ。一家揃うて天国身魂となってくれよ。国皆揃うて神国となるようつとめてくれよ。
この終末の時代に、縁あって同じ家族として生まれた以上、次の新しい地球でも一緒に生活したいと思うのが人情でしょう。それに執着しすぎると煩悩が生まれ、新しいカルマをつくってしまいますが、それを願ってともに努力をすることは価値のあることです。自分だけ助かろうとする気持ちでなく、せめて家族揃って、そしてできればこの人生でご縁のあった人たち全員が、あるいはすべての日本国民が、‥‥という考えになれることが大切だと教えているのです。
何事に向かってもまず感謝せよ。ありがたいと思え。初めはまねごとでもよいぞ。結構と思え。幸いと思え。そこに神の力加わるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思え。弥栄と思え。病治るモト生まれるぞ。キがもとぞ。何事くるともなにくそと思え。神の力加わるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが。
もの与えることなかなかぢゃ。心してよきに与えねばならんぞ。与えることは頂くことと知らしてあろうが。与えさせて頂く感謝の心がなくてはならん。強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくるぞ。自分のものというもの何一つないぞ。この事わかれば新しき一つの道がわかるぞ。
最近では、感謝することの大切さについて書かれた本もたくさん出されていますので、ほとんどの人が知識としては理解していると思います。しかし、多くの場合、現世利益の観点から述べられていたり、「自分の持っている幸せ探しをして、その一つひとつに感謝しよう」というふうに、感謝の対象が限定的なものになっています。
ここでは、「何事にも感謝せよ」と教えています。人に物を与えても、与えさせていただくという感謝の心がなくてはいけないとも。これは、やはり波動の法則を述べているのでしょう。「強く押すと強く、弱く押すと弱く」というのはそういう意味です。強い感謝の波動には強い感謝の波動が返ってくるということを言っています。
先祖は肉体人を土台として修行するぞ。メグリだけの業をせねばならん。
肉体を失って霊界にいるご先祖様は、子孫である私たちに頼って波動の修正をはかっているのです。地球の次元アップまであとわずかとなりましたので、もう生まれ変わって修行をし直すチャンスはありません。そこで、自分が蒔いた種を、子孫を使って刈り取ることになります。私たちがちゃんとした気づきを得て、波動を高めてくれることを、霊界から固唾をのんで見守っているのです。そういう意味では、肉体を持って終末を迎える私たちは、その霊系統の代表選手というわけですから、大変責任が重たいということになります。
改心しない人には
改心しない人には地獄への道が明るく見える [TOP]
人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ。神が沈めるのではない。人民が自分で沈むのであるぞ。人民の心によって明るい天国の道が暗く見え、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ。
「地の下に沈む」というのは波動の粗い「幽界(がいこく)」に閉じこめられるということでしょう。それは、死後の世界と同じで、自分の波動が同調するから引き寄せられるということです。心の波長のレベルが低いと、地の中への道が明るく見えるので、そちらに行ってしまうということです。
人ほめるものと思え。言霊幸はふぞ。それが人の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与えているのだから忘れんようにな。(中略)
言葉で天地にごるぞ。言波で天地澄むぞ。戦なくなるぞ。神の国になるぞ。言波ほど結構な恐いものはないぞ。
ささげるもの、与えるものは、いくらでも無限にあるではないか。ささげよささげよ。与えよ与えよ。言(ことば)こそは誰もがもてるそのささげものであるぞ。与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ。
言葉の大切さについては「X」のところで「波動の法則」として説明しました。言葉は私たちが発信すると同時に受信することにもなる強力な波動です。陰で他人の悪口を言っても、自分が聞いているわけですから、自分に対して悪い作用をしますし、また天の蔵にも悪い波動をため込んでいくことになります。ですから、言葉で天地がにごると述べられているのです。それは発信者のカルマとなって、その人の運命に影響を与えていきます。
逆に、感謝や励ましやいたわりなどの善い言葉は、対象となる人だけでなく、宇宙全体に善い波動を広げていくのです。世の中をよくするためには、常に善い言葉をつかうこと、少なくとも悪い言葉を使わないことが大事だということです。新約聖書にも仏教の経典にも全く同じことが書かれています。
人間は何を食べる
人間は何を食べるべきか [TOP]
一升マスには一升入れるこぼれるのであるぞ。腹一杯食べてはならん。死に行く道ぞ。二分をまず神にささげよ。
食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
腹十分食べてはこぼれる、運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。食べ物節すればツキモノ改心するぞ。
私たちは食べ物から波動をとり入れることになりますので、農薬や添加物などで汚された今日の食べ物はとりすぎないほうがよいのです。また、健康上の問題とは別に、小食は運命をよくするという考え方もあります。しかしながら、美食と飽食に慣らされた現代人にはちょっと難しい注文かも知れません。ですから、「獣側に行ってもいいから、今の食生活はやめたくない」という方は、今の食生活をお続けになったらいいと思います。ただし、近い将来に食糧危機が来て、空腹の苦しさという形でカルマの清算をさせられる可能性は高いと思います。
そのとき、満腹に慣れた胃袋は、なかなか辛抱してくれないのではないでしょうか。
ツキモノというのは、別次元(幽界)の低級霊という意味です。肉体を失ったあともこの世の食べ物に未練のある未成仏霊が、自分と同じような食欲旺盛な人間に憑依(ひょうい)して、その人間を通じて食べ物(の波動)を口にするのです。本人が食べているようにみえますが、実は低級霊の口に入っている場合が多いということです。ですから、大食漢と言われる人、どうしても間食癖が抜けない人、甘い物に眼がない人、アルコール依存度の高い人などは注意が必要だということです。
食べる量をコントロールすることによって、人間に懸かっている霊を改心させることができると述べられています。これも終末の時代には大変重要なことでしょう。
牛の食べ物食べると牛のようになるぞ。人間の食べ物は定まっているのだぞ。獣と神が分かれると申してあろうがな。縁ある人々に知らせておけよ。日本中に知らしておけよ。世界の人々に知らせてやれよ。
牛の食べ物とは何を指しているのでしょうか。牛は本来は草を食べています。しかしながら、ここでは「草を食べると牛のようになるぞ」と述べているのではないと思います。
牛の食べ物で人間が口にしているのは牛乳です。子牛は母親の乳すなわち牛乳を飲んで急成長しますが、その寿命は20年そこそこで、人間の約4分の1しかありません。 ですから、牛乳は「早熟早衰」の波動をもっているということができます。牛の骨に含まれるカルシウムは、人間の骨のカルシウムとは組成が違っているのです。人間の赤ちゃんでも、ミルクで育てると体の成長は早いのですが、骨の組成が粗いため、すぐ骨折するようになり、また内臓などの老化も早いのです。ブロイラーや養殖の魚を見てもわかりますが、人工的に早く育てられた生き物は、自然に育ったものに比べて肉に締まりがありません。また、病気などに対する抵抗力も弱いのです。
ただ、ここで述べられているのは健康上の問題ではなく、霊的視点つまり波動の問題です。牛の食べ物を食べていると牛のような波動になるので、獣の側に引き寄せられることになるぞと警告しているのです。しかも、このことは「世界中に知らせてやれよ」というほど重要な問題だということです。
四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。
食物は科学的栄養のみにとらわれてはならん。霊の栄養大切。
「四つ足を食ってはならん」と、肉食を厳しく戒めています。神民、すなわちこれから「光の子」として選ばれる人たちの食べ物は五穀野菜の類だと言っています。それも科学的な栄養の観点にとらわれるのでなく、霊の栄養、すなわち「食べ物の波動」が大切だということです。農薬などを使わず、人が愛情を持って育てた作物は、最高の波動をしているはずです。波動を汚さないためには、できるだけそういうものを手に入れて食べるように心がけたいものです。
牛や豚などの肉の場合は、育てられる環境の劣悪さと、殺される時の残酷さが肉の波動にイライラや恐怖の念として蓄積されていますので、それを食べることによってイライラや恐怖の波動をとり入れることになり、波動を粗くしてしまう恐れがあります。最近では、肉体の健康にとってもよくないことがわかっていますが、何よりも霊的に見て問題が大きいということなのです。
神と人間が一体
神と人間が一体となって次元アップする [TOP]
今度の御用に使う臣民、はげしき行さして神うつるのぞ。今では神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりてできると申してあろがな。早う身魂みがいて下されよ。神かかれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は心を綺麗にする行ぞ。掃除できた臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民洗濯できたらこの戦は勝つのぞ。灰になる身魂は灰ぞ。どこにいても助かる臣民、行って助けるぞ。神が助けるのでないぞ。神助かるのぞ。臣民も神も一緒に助かるのぞ。この道理よく腹に入れてくれよ。この道理わかりたら、神の仕組みはだんだんわかりて来て、何という有り難い事かと心がいつも春になるぞ。
「この世のことは神と臣民と一つになりてできる」と言うことです。これからの次元アップは人間だけではできないし、人間界のことなので神さまだけでもやれないということです。そこで、「神うつる」という手段にでるわけです。
「神懸かり」という言葉があります。現に霊媒やチャネラーには高位次元の存在が懸かってきて、人間の肉体を借りて霊界通信を書かせたりしています。いわゆる自動書記現象です。昭和19年6月10日、岡本天明という人物に神が懸かって、漢数字を中心とした文字を強制的に書かせるようになりました。その現象が16年間も続いて生まれたのが日月神示なのです。当初は、岡本天明本人が読んでも、何が書かれているか全くわからなかったそうです。後になって、数霊学を研究していた武智時三郎という人物を中心とした関係者が解読に成功し、日の目を見ることになったと言われています。
終末には、魂の磨けた人に様々な神さまが懸かってきて、人間の肉体を使って次元アップのための働きをされるようです。ですから、「神かかれる肉体にしておけ」と言われているのです。波動の粗い肉体には神さまは懸かることができないからです。人間が心の調律をして魂を磨き、波動を高めておれば、終末の大患難のときには神さまがそれぞれの肉体に懸かり、一緒になって助かるということが述べられています。この道理、ご理解いただけますか?
1日に10万人
1日に10万人が死ぬようになる [TOP]
一日十万、人死にだしたら、いよいよ神の世が近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。
一日に十万人の人が死ぬという事態は、大天変地異としか考えられません。神の世すなわち新しい地球が誕生するまでには、人が一日に十万人も死ぬ事態が訪れるということです。
今に大きい息も出来んことになると知らせてあろうが。その時来たぞ。岩戸がひらけると言うことは半分のところは天界となることぢゃ。天界の半分は地となることぢゃ。今の肉、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ。今の肉体のままでは人間は生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして、魂も肉体も半分のところは入れ換えて、ミロクの世の人民としてよみがえらす仕組み心得なされよ。(中略)
マコトでもって洗濯すれば霊化される。半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ。灰になる肉体であってはならん。原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ。少しくらいは人民つらいであろうなれど、勇んでやりてくだされよ。大弥栄の仕組み。
仏教で「即身成仏」という言葉があります。本来の意味は「肉体を持ったまま仏になる」つまり肉体のまま霊界に行ったり来たりできる状態になることです。インドやチベットには、修行によってそのような能力を備えた人がいると言われています。(『ヒマラヤ聖者の生活探求』第一巻/霞ヶ関書房)
理論的には、肉体の波動を精妙にしていけば可能になることです。そのためには、食べるものや呼吸などをコントロールし、マントラ(お経、呪文)を唱えたり、瞑想したりして、心の調律をしなくてはいけません。常人にはできないことです。
しかし、これから終末にかけては、それが普通の人にでもできるようになるということでしょう。もちろん、波動の粗い人は、サタンが喜ぶ粗い波動の世界に引き寄せられ、「灰になる人」となってしまいます。私たちの心の調律がどこまでできているかが分かれ目になるということです。
この世と次元の異なる世界が存在することを全く理解できない人は、心の調律の必要性を感じることがありませんので、半霊半物質の世界に行くことは難しいと思われます。そういう人をなくすためにも、この気づきを広げていくことがとても大切になっています。
寒いところ温かく、暑いところ涼しくなるぞ。
心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。世界に何ともいわれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。
いま世界中が異常気象に悩まされています。一般に報告されているようにフロンガスや二酸化炭素の排出による温暖化現象なのでしょうか。それともフォトン・ベルトの影響? SARSなどのおかしな病気も現れるようになりました。まさに預言された通りのことが起こり始めているような気がします。
東京はどうしても
東京はどうしても火の海になる? [TOP]
エドはどうしても火の海ぞ。それより外やり方ないと神々様申して居られるぞ。
神は気もない時から知らしておくから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろうがな。米ばかりでないぞ。何もかも、人間もなくなるところまで行かねばならんのぞ。人間ばかりでないぞ、神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。人間というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな。(中略)
世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。
「エド」は「江戸(東京)」の事でしょうか。「火の海」というと関東大震災が頭に浮かびます。最近、首都圏での地震の発生が噂に上るようになっていますので、なおさら不気味です。英国では10年ほど前に『東京大地震』という本が出されています(日本でも翻訳され出版されました)。東京は日本の政治・経済の中枢ですから、ここが地震に直撃されると世界経済にも大きな影響が及びます。そのため、世界の証券や金融の関係者の関心が集まっているのです。一説では、世界一の債権国家・日本の国債がボツワナ共和国並みの低い格付けになっているのは、日本が間もなく首都圏を中心とした地震によって壊滅的な被害を受けることが予測されているためであるとも言われています。
首都圏の崩壊は、日本の経済のみならず国家機能の崩壊にもつながりかねず、治安の乱れ、テロによる混乱などが連鎖的に起こる可能性を秘めています。
「一握りの米に泣くことある」という言葉が妙にひっかかるのですが‥‥。
空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことあると心得よ。いよいよとなりて来ているのざぞ。天の異変気つけてくれよ。神くどう気つけておくぞ。神世近づいたぞ。
空に変わったことが現れると言っています。それは太陽系十番目の星のことかもしれません。ノストラダムスの予言と合わせると、終末には空に光の尾を引く彗星が現れるということでしょう。それが「天の異変」なのです。
そして、天に異変が現れると、「神世」すなわちミロクの世が近づいたということなのです。いよいよ「暗黒の3日間」のスタートです。
人は四つん這いに
人は四つん這いになって這い回る [TOP]
四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。のたうち回らなならんのざぞ。土にもぐらなならんのざぞ。水くぐらなならんのざぞ。人間可哀想なれど、こうせねば鍛えられんのざぞ。この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。
おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。人間は近欲で疑い深いから、何も分からんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘違わんのざぞ。世界均(なら)すのざぞ。神の世にするのざぞ。善一筋にするのざぞ。誰彼の分け隔てないのざぞ。
海のつなみ気をつけてくれ。前に知らしてやるぞ。
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ。ひっくり返るのぞ。
神世の秘密と知らしてあるが、いよいよとなりたら地震雷ばかりではないぞ。人間アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四つん這いになりて着るものもなく、獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かれて来るぞ。獣は獣の性来いよいよ出すのぞ。(中略)
いざというときには神が知らして、一時は天界に釣り上げる人間もあるのぞ。人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。くどう気つけておくぞ。何よりも改心が第一ぞ。
「暗黒の3日間」の様相が詳しく述べられています。「天地まぜまぜになる」というのは、この三次元世界(地)と四次元以上の世界(天)が合わさって一つになるということです。「半霊半物質」の世界ができることを言っています。
人類もハッキリ二種類に分けられるようです。獣はより獣らしく、ますます粗い波長になるのでしょう。獣の性来とは、獲物を襲う時の肉食獣を想像してください。牙をむき、よだれを流す姿です。人がそういう一面をむき出しにするということです。これこそ地獄でしょう。「何よりも改心が第一ぞ」とくどいほど述べられているのは神の優しさです。私たちも「自分には関係ないこと」と高をくくったりせずに、「改心」すなわち「心の調律」「波動の修正」にぜひとも真剣に取り組まなければいけないと思います。
終末における日本
終末における日本の国の役割 [TOP]
日本の国は一度つぶれたようになるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお陰を落とさぬよう、シッカリと神の申すこと腹に入れておいてくれよ。日本の国は世界の雛型であるぞ。(中略)
日本は真ん中の国であるぞ。日本精神は真ん中精神、末代動かぬ精神であるぞ。三千世界の大掃除であるから、掃除するには掃除する道具もいるぞ。人間もいるぞ。今の有様では、いつまでたっても掃除は出来ん。ますます汚れるばかりぢゃ。一刻も早く日本を足場として最後の大掃除を始めてくだされよ。神が致すのでは人間が可哀想なから、くどう申しているのぞ。
日本は終末の時代に、世界の中でも大変重要な意味と役割をもっているということです。このことはインディアンのホピ族の預言にも述べられています。日本は世界の雛型なのです。地形もそうですし、そこで起こる出来事もそうなのです。いわば霊界地球と物質地球をつなぐパイプであると言えます。霊界で起こったことはまず日本に移写され、それが世界に起こっていくのです。逆に日本がしっかりすれば世界もしっかりしてくるということです。
そのことを知り尽くしているサタンが、日本という国を破壊することによってミロクの世の実現を阻止するために、今もあの手この手を使って攻撃を仕掛けているということです。もちろん、そのことに対しては「神一厘のシナリオ」が準備されているということですが、大事なのは今の日本に生まれてきた私たち一人ひとりの心の持ち方なのです。
日本人一人ひとりがまず自分自身の心の大掃除を始めることによって、地球の次元アップとミロクの世の出現がスムーズに行なわれるということです。もちろん、それが不十分であれば、神の力で強制的に大掃除がなされるわけですが、そうなると多くの魂が救われない側に行ってしまいますので、それでは「人間が可哀想」とおっしゃってるわけです。
2012年から
2012年からミロクの世がスタートする [TOP]
新しき御代のはじめの たつの年 あれ出でましぬ かくれいし神
2012年は日本の暦では辰年となっています。「新しき御代」すなわちミロクの世のスタートは辰年ということです。やはり2012年という年が立て替え・立て直しの年ということになりそうです。
終末現象の中で
終末現象の中で必ず起こる2つのシナリオ [TOP]
終末には人類も二極分化をしていくことになっていますが、その人類を待ちかまえるシナリオも「神のシナリオ」と「サタンのシナリオ」の2つが準備されています。さて、私たちはそのどちらを経験することになるのでしょうか。まずは、神の視点から見た終末の姿について述べられている、次の新約聖書の一文にお目通しください。
すると弟子たちは、みもとにきて言った。「畑の毒麦の譬えを説明してください」。イエスは答えて言われた。
「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種というのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使いたちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのとおりになるであろう。人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行なう者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」。(マタイによる福音書)
救世主が雲の上
救世主が雲の上に引き上げて助けてくれる? [TOP]
聖書の中には、「終末には人の子(救世主)が雲に乗ってやってきて、選ばれた人たちを救済する」というニュアンスのことが書かれています。この「救済」のことを英語ではRapture と書き、「空中携挙」と訳されています。動詞の「rapt」には「運び去られる」「奪い去られる」という意味がありますから、「神によって運び去られる」という意味でしょう。ただし、「空中」という意味は含まれていません。
ヨハネの黙示録では、救世主が雲の上から「ここに上がってきなさい」といってますので、「空に引き上げてくれる」というふうに解釈されたのだと思います。しかしながら、これは霊能者であるヨハネが霊視した霊界次元での話であって、この物質世界で雲の上に引き上げることを意味しているのではないと思います。
ただ、宇宙人と名乗る存在からの通信を受けて、「終末には宇宙人がUFOでやってきて、人を空中に引き上げて助けてくれる」という解釈をしている人は結構多いようです。
私はこの説には少し疑問を持っています。もしそのような親切な宇宙人がいるのであれば、何も終末のどさくさまで待たずに、早めに来て救済してくれればすむ話だと思うのです。どうも現人類と同レベルの発想しかできない宇宙存在のような感じです。聖母預言同様、あまりにも人間くさいこのたぐいの話は信じない方がいいと思っています。
私は、ラプチャーに関しては全く独自に別の見解を持っています。次の聖書の一文を読んでみてください。
その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱船に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから眼をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 (マタイによる福音書)
どこにも雲に乗ったキリストやUFOは出てきませんし、空に引き上げられるという表現はないのです。素直に読むと、突然消えてしまうという感じです。確かに、日月神示には「一時は天に引き上げる」という表現があります。しかし、「天」というのは「空の上」ということでなく、「霊界(神界)」のことを言うのです。つまり、これは神次元からの表現であって、人間側には「引き上げる手」は見えないのです。
私はこれは俗に言う「神隠し」現象だと考えています。つまり、波動を高めた人に神が懸かって、肉体のまま天すなわち神次元の世界へ連れて行かれるということです。チベットやネパールの聖者が、修行によって自由に霊界とこの物質世界を行き来できるようになる話をいたしましたが、それが普通の人にもなされるということです。
肉体のまま
肉体のまま霊界に行くことができる [TOP]
仏教にも「即身成仏」という言葉があります。我が国の仏教に関係する人たちは「生きたまま悟りを開いて仏になる」という訳のわからない解釈をしていますが、本来の意味は「波動を高めて、肉体を持ったまま霊界に行き来するようになる」ことを言っていると思います。悟りを開くという、心に関係するテーマなのに、なぜ食べる物までコントロールする必要があるのでしょうか。波動の粗い肉や魚を避けた精進料理をとり、マントラ(お経)を唱え、瞑想などを行なうのは、肉体の波動を精妙にして、肉体のまま(即身)神霊界に行く(成仏する)ための修行としか考えられません。
我が国でも、役行者(えんのぎょうじゃ)が厳しい修行の末にそれを成し遂げたと言われています。
本来ならそのような厳しい修行が必要なのですが、終末には神の特別措置によって、普通の人でも神の手助けを受けて神霊界に引き上げてもらえるということです。もちろん、その時点で神が懸かれるほどに、一定のレベルまで波動を高めておくことが条件になります。つまり、「光の子」になっておくことが必要なのです。
イエスが「眼をさましていなさい」というのはそのことを言っています。警告とでもいうべきこの言葉は、聖書の中にたびたび出てきます。波動を高めておくことが、それだけ重要なことなのです。
また、日月神示に、「どこにいても助ける臣民は助ける」「原爆でもびくともしない体になっておけ」といった表現があるのは、光の子は終末の大天変地異や核戦争の中でも、波動の高い別次元に移動させてもらえるからなのです。
いずれにしても、聖書と日月神示に全く同じ内容が述べられていることに注目しておきたいと思います。地球が暗黒の3日間を迎える前に、波動を高めた人は既に別次元に移されていますので、カタストロフィーを経験することはないということでしょう。日月神示の神様が「身魂を磨け」としつこく言われるのは、そのためなのです。
人によっては、大天変地異を経験することによってカルマの清算を終了する人もいるでしょう。そういう人は、一度死んだ後で、神様がつまみ上げてくださるというわけです。 このように、残っているカルマの程度によって、「携挙」の方法も時期も異なってくるのだと思います。
そういう意味でも、今のうちに本当に真剣になって「身魂磨き(カルマの清算=波動の修正)」をしないと、土壇場になって後悔しても遅いということになりそうです。
国民が背番号で
国民が背番号で管理されるようになる? [TOP]
もう一つは、背筋も凍る恐怖のシナリオです。
今後、地球の異常気象は年々深刻化する一方だと思われますので、干ばつなどによってアメリカやヨーロッパの穀倉地帯が大きな被害を受ける事態も十分予想されます。その結果、世界的に深刻な食糧危機が発生し、食糧をめぐっての国と国との争いも起こることでしょう。
現在世界の穀物はほぼ独占的に穀物メジャーと呼ばれる巨大アグリビジネスが支配しています。アメリカに本拠地を置く10社程度の多国籍食糧商社で、カーギル、コンチネンタルなどが知られています。大豆、小麦、トウモロコシなど世界の農作物の70パーセントは、この一握りの企業に牛耳られているのです。その支配力は一国の食糧政策をも左右するほどです。この穀物メジャーを支配しているのが陰の世界政府と呼ばれる組織なのです。意図すれば、世界の食糧危機などいとも簡単に演出できる力を持っています。
もし、世界的な食糧危機になれば、国の内部においては、国民の間で食料を奪い合う事態が発生することも予測されます。そういう事態を迎えたとき、各国の政府はどのような手段をとるでしょうか。間違いなく実施されるのは配給制度の導入ということです。すべての国民に食料を行き渡らせるためには、特定の人や企業が権力や財力によって食料を買い占めたり、売り惜しみをしたりすることを避けるために、必ず配給制が実施されるはずです。
そのときに必要となるのは国民一人ひとりをコンピューターでしっかり把握し、管理することです。どの人、どの家庭にどれだけの食料が配給されたかがつかめないと、ある人には重複して支給され、ある人には全く支給されないという事態が起こるからです。
この間、導入された住民基本台帳ネットワークが、そのとき大きな効果を発揮することでしょう。ひょっとしたら、将来起こる事態を想定して、この制度の導入が急がれたのかもしれません。こうなるとジョージ・オーウェルの小説『1984年』の内容が現実化することになります。恐ろしい管理社会が実現することでしょう。
実は新約聖書のヨハネの黙示録には、そのことを予言するような内容がきっちり書かれているのです。しかも、世界中のすべての商品に着けられているバーコードに隠された「666」という数字までも登場して、なんとなく不気味さを漂わせています。
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。
(ヨハネの黙示録・第13章)
この預言の意味するところは未だにわかりません。いろいろな解釈がありますが、鍵を握っているのは「666」という数字の解釈です。これをある危険人物の誕生日に関係する数字だと見る人もいますが、その説明を読んでも「?」と思わざるを得ません。
それ以外でもっともらしいのが「バーコードに隠された数字だ」という説です。世界中のすべての商品にはバーコードがつけられています。その中に数字としては表記されていませんが、先頭と中央、末尾に少し長い二本線が引かれています。この二本線が「6」なのです。バーコードにはなぜか「6」の数字が3つ隠されているのです。その理由はわかっていません。わかっていることは、世界を陰から支配している勢力が、この「666」という数字を好んでいるということです。陰の世界政府を構成していると思われるロスチャイルドやロックフェラーのビルの入口にも、この数字が掲げられていると言われています。ちょっと気味の悪い話ですね。
世界の警察
世界の警察アメリカが、まず管理国家となる [TOP]
2001年9月11日のニューヨークのテロ事件以降、アメリカ社会では個人を監視するシステムが一段と強化されたといわれています。あの事件以来、アメリカ国内に1300万件もの防犯カメラが設置されたというのです。しかも、アメリカだけでなく、イギリスをはじめヨーロッパ各国においても、同じような精巧な防犯カメラが設置されるようになっているそうです。あの事件のために、もはやプライバシーの侵害などと言って反対することはできなくなっているのです。(『エノク』2003年9月号/宇野正美・著)
飛行機が高いビルの上層階に衝突したのに、下層部分までが熱によって溶けることはありませんので、あの事件は不思議なことばかりなのです。端的に言えば、アメリカを操る陰の組織が、ある目的のために仕組んだ事件だと言われているのです。ペンタゴンに突っ込んだといわれる飛行機の残骸は全く発見されておらず、また飛行機を目撃した人もいないと言われています。報道された写真にも、飛行機の残骸は全く写っていないのです。しかし、そのことをアメリカで指摘することはタブーなのです。(『9.11陰謀は魔法のように世界を変えた』ジョン・コールマン博士・著/戌甲書房)
もともと、アメリカの街角や主だった公共施設には、犯罪を予防するという理由で以前から監視カメラが至るところに設置されていたのです。最近はデジタル映像技術が進んだことによって、かなり精密な写真を大量に記憶することができるようになっていますので、カメラに写った人は顔や名札に至るまではっきりと確認できるそうです。
ところが最近では、わが国でも監視カメラの設置が急ピッチで進められているのです。長崎の幼児殺害事件の犯人が、その監視カメラによって割り出されたのは記憶に新しいところです。まさに、わが国でも国民を監視するシステムが着々と整備されているということです。ここまできてしまっては、私たちはこのシステムが悪用されないことを祈るしかありません。
インディアンに伝わる「ホピの予言」に、つぎのように予言が述べられています。
白人は、世界中の先住民や、先住民にかぎらず、すべての人々の生活や精神を破壊しようという悪しき企みのもとに、この文明を創りました。そして、その文明が崩壊していくのは直前に迫りました。私たちのいのち、未来が危険にさらされています。
ですから、今、ひとりひとりが何ができるのか、何をしたらよいのかを考え、行動していくことを迫られています。こんにちは、まだ大丈夫といえるかもしれません。しかし、近い将来にやってく変化は、想像を越えるほど困難なものとなるでしょう。
例えば、戒厳令のようなものが世界中のいたるところで敷かれ、外から押しつけられる法律などに従わなければ殺されたり、追放される時代がやってくると、預言には伝えられています。カリフォルニア地震のような多くの天変地異が起こり、世界の仕組みが急速に変わり、多くの人命が失われていくでしょう。
(『ホピ的感覚』小原田泰久・著/KKベストセラーズ)
「戒厳令のようなものが、世界中で敷かれる」と予言されています。そして、「法律に従わなければ殺されたり、追放される時代がやってくる」というのです。大終末までに多くの人が体験する恐ろしい近未来の姿だということができます。平和ボケしたと揶揄される多くの日本人には、よその国の話としか思えないでしょうが、これは予言と言うより、確実性の高い予測と言ってもいいでしょう。今日の地球環境の状態や、各国の政治体制の混迷ぶり、人口爆発などを冷静に眺めれば、既にカウントダウンが始まっていると言っても過言ではありません。
いま、世界最強の国家と言われるアメリカでは、大統領の非常事態宣言によって、すべての法律を度外視して国民を統制下におく法律が施行されています。また、アメリカの各州では、なぜか急ピッチで刑務所の建設がなされているようです。犯罪が多発しているから、というのがその理由でしょうが、それにしても異常な数だと言われています。
アメリカのアシュクロフト司法長官は、今年の6月5日、米下院司法委員会において、「もし議会が第二愛国者法を通過させるならば、2千万人以上の非愛国的アメリカ人が投獄されることになるだろう」と語ったそうです。この第二愛国者法がどういうものかについても、出版物から情報を得てはいますが、紹介するのは控えておきます。
要するに、アメリカを支配する勢力は、迫り来る「何か」に備えての準備を整えつつあるということです。
それと同じようなことが、わが国でも「国民を守るため」という名目で準備されることのないことを願いたいものですが‥‥。日月神示に、これに関係ありそうな予言がありますのでご紹介しておきます。
人の上の人、みな臭い飯食うこと出来るから、今から知らして置くから気をつけてくれよ。(日月神示)
「神の国」とはどういう世界
「神の国」とはどういう世界なのか [TOP]
ちょっと薄気味悪い話題になりましたので、ここで夢のある話に切り替えたいと思います。終末の後に現れる新しい地球はどういう姿になるのかということについて――。
新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所。(日月神示)
地上界に山や川があるから霊界に山や川があるのでない。霊界の山川がマコトぞ。地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ。マが霊界じゃ。地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としている。互いに入りかわって交わっているのぞ。このこと判れば、来るべき世界が、半霊半物質、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん。大元の道にかえり、歩まねばならん。今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。(日月神示)
三次元の物質波動の世界から、四次元以上の霊的波動の世界になるということです。そこには物質界の元となっている本当の山や川もあるのです。私たちの魂はもともとその世界にも行き来している(眠ったとき)のですが、新しい時代になると、そちらの世界に移っていくということです。ただ、この半霊半物質の世界にいるのは千年の間だけということで、その後はいよいよ本格的な神の国に移るようです。
聖書にも日月神示にもそのことが述べられていますが、千年後のことですし、私たちが半霊半物質のミロクの世にいけるという保証もまだありませんので、これ以上のことは触れずにおきます。
新しき世は神なき世なりけり。人神となる世にてありけり。(日月神示)
今度世変わりたら、臣民この世の神となるのざぞ。(日月神示)
私もまだ神になった経験がありませんので、この神示の解説はできません。なんとなく雰囲気でご理解ください。
神の国と申すものは光の国、喜びの世であるぞ。(日月神示)
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。
(マタイによる福音書)
ミロクの世は、何もかもが透き通って、ピカピカ光って見えると言います。影のない国、喜びあふれる国になるようです。そういう国で、私たちは与え合い、学び合い、楽しみながら、新しい進化のスタイルを身につけていくのだと思います。
文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ。
(日月神示)
金のいらぬ楽の世になるぞ。(日月神示)
現文明はなくなってしまうのではないということです。「カス」がどの部分なのかは判りませんが、お金が要らないということですから、銀行や証券会社、消費者金融などはなくなってしまうのかも知れませんね。
最後に、これから2012年までの患難の時代を意味する神示をご紹介して、「預言編」を閉じたいと思います。
2003年から
2003年からがいよいよ正念場 [TOP]
子(ね)の歳真ん中にして前後十年が正念場。世の立替は水と火とざぞ。
(日月神示)
これからやってくる最初の子の歳は2008年です。その年を真ん中にして前後10年。つまり、前に5年、後に5年ということです。2003年から2012年ということになります。
「世の立て替えは水と火」となっています。台風や大洪水、そして地震や自然発火などによる火災、あるいは人工的な施設の爆発による火災など、水と火による洗礼を受けるということです。すでにその通りのことが世界各地で起こりつつあります。地球の次元アップに向けて、いよいよ正念場です。
お知らせ
★ なわ・ふみひとからのお知らせ ★2003年9月7日
「預言編」はこれで完成ということにいたします。次の「奥義編」にも必要な預言(予言)は少し引用することになると思います。この間の執筆中に、私自身が終末に備えるための心構えについていろいろと気づきを受信いたしました。従いまして、「預言編」「奥義編」の内容につきましては、かなり自信がもてています。どうぞじっくりお目通しください。ちなみにこの「預言編」の入力中は、スーパーマンの飲み物も一切口にせず、ひたすら集中して書き上げたことを、ご報告しておきます。(*^o^*)