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ウィキに投稿しようかと思ったわけです────。
私は新たなスタンダードを持っている、私の世界は、ウィキの項目に値すると思うからです(それでもう、この際に)。
例えば「逆構築」という言葉は、既に反復使用に堪えていると思います。1、 2。
他方、ウィクのほう(ウィキの姉妹版)は、表意単位レベルから、原理よりも言語の要素に還元する字典系に見えますね。
(以下はおよその感じなのですが)
で、説明をパラパラ読んでいる気でいたわけですが、オープンソースの考え方が面白い。
1 例えば、何処ぞのブログに似て(スポンサーはともかく)、執筆者には所有権が無いだとか(?) 3、
2 強迫的に修正するサーポーターが圧倒的「多数で」ラクガキ投稿への自浄作用があるとか(?)
3 限定多数決で民主主義を超えるも統治資本は別でフレーム(スキーム)内で成り立つとか(?) 3。
4 どうせ専門家に書き換えられるけれども素人も内容を平民化させる御手伝いができるとか(?)
で、見合わせている理由は何かというと────。
1 私の世界をウィキに今、統合するのはしかし勿体ない気がするのです。たとえ少なかろうが
勢力/集成としての肉をもたないうちからの、「宿主に寄り添って吸い、密やかに内部を分有させてもらう
遺伝性即物」としてでは尚早にして愚昧かも、と。
2 投稿した段階で複数の義務を生じるようなので、義務は私の場合には不履行のリスクがともなうと解されるはずで、
生活が安定な状態あるいは病の修羅場が不安定になるまでは少々。
3 ログインしていないとはいえ、或る頁を開けただけで(別の)ファイルまで書き換えてIPが残り、
それに連動して半永久的に荒らし扱い‥‥という、一連のコースになるのでしょう? 投稿フォームは見ておきたいじゃないですか、
今すぐ投稿するんじゃなくても。
(そもそも、果たして、この程度のスキルで間に合うのか、どうなのかとか?)
まずそのhtmlフォームなり、(編集、挿入を加えていく)自動頁生成ボタンを目立つように掲げてからではないでしょうか(ハードルを故意に上げてあるのか)。
それなのに、よほど趣旨を徹底させたくて、崩れた投稿というよりかは、崩れた投稿者を防ぎたかったと見えて?
しかも、そこをログインなしでウロウロしたからか、再アクセスがブロックされるみたいで。
そこまで裏で荒らしをブロックしているのか(自由に閲覧できる場所に置けよ、って思いますね)。
もしかして、これから後ウィキと知らずにリンクを踏んでも、何度でもブロックで(開かずにアクセスが止まった状態に?)“ハンギング”されるのか。
4 しかも、百科事典であることへのアイデンティティの渇望(つまり、趨勢への依拠の片鱗?)たる拘泥があるらしく、項目が事実として成立していなければならず、
事実とは煎じ詰めれば多数事態のことらしいわけで。とはいえ無論それだと多数が騙されている世界ならば
「尚更」そうした“浸透度という”基準が客観性を担保するような一体ナニになるのかと。
「スポンサーに元々から、原理的にジャックされている」(惧れの有る)電波・出版の場の「事実」が果たして信用できるのかどうか‥‥無論それのみならずで‥‥
または、そういう「根本理性の欠如」というのか、再生・再生産・再利用の循環のなかで濾された情報に馴らされているかの態度に覚束なさを感じずに済むものなのかどうか。
データを捏造したり、陰謀も有りの、と。したがって議事に就いては多数決を脱し、演繹・推論に近い決断(‥‥3)で成立しているようですが、
この世界そのものは半端な多数(決定)主義に浸かっていると見えますね。内弁慶タイプ(外に対しては、
変更‐解体要求ができずに、要素還元/滅却も出来ない時期支配的な人的様態)であるかのごときで。
むろん、ウィキの場で賛否両論とも、陰謀については否定し、
それでも陰謀説の諸派や、それらの「膨大な」言及・研究に就いて(は)、と限った形で、れっきとした標準項目として、“さらりとした表向きの”記事だけは
(しっかり取り込んで)幾つとも知れずで、載せているみたいですね。
註
1
数多ある半熟概念はともかくとしても。⇔
「半熟表現への、文体内容の半熟化、固有名を還元し、解し、破砕し乍ら、むしろ硬い言葉へと崩して描く方向性」
2
私の世界は‥‥友愛結社の3叉というのでも、2元論の哲学というのでもなく、両方が備わっているようです。
例えば病は2、曲は3‥‥つまり私の病は2、私の曲は3、被害系は2と、3の“無負”ですね。‥‥
ウキウキ財団は緑赤十字とちがい、3の系のマークがついているようですよ。Yは3叉路の形ですね。
3
体制に関わる所有についても然りらしい(もちろん著作、財産の私有‥‥資本主義にも挑戦的みたいですが期待すると、まさに社会主義の壁、不自由が?)。
また「共同主観的な決断」ならば、そもそも演繹・推論である必要すら無いのであろうから。
出来事分(当日現在) “誰かに通報でもされたのか、同日に他でもブロックされ、先方からは「誰」だか分かる上に「している事」が分かるということか‥‥
調べられ始めるのか、そして先方は複数の異変から観察を始めるのか‥‥少なくとも逆探知されていたり、とかの事実は? 「既成・特定・複数の禁止事項」には
何れにも該当せずとも、これで「行動」に出て「調査」が進む場合を想う‥‥解除は何時頃になるか、という事になると! ‥‥無期継続‥‥
「取り締まり権力」が様子を見ている? 使い分けても半減させられる? 濃淡の関係各所、焦点を当て、凝視を開始?
しないはずのことを‥‥一度すると無意味となるような伝家の箱を開け、「相似の連鎖に任せた」強行なリストアップと、
再全滅と、入り口封鎖、まさか永久追放までなのか‥‥お互いに加減を忘れて、その結果に?”