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P.S.
まあ、その人の技術からして、その気になればなんとでも、また荒らしてくるのでしょうが、もうこれっきりになるかもしれません。
いったいなんだったのでしょう、その人との時間は。これでも、何の因果か、その人とメール文通までしているわけですね。
ところが、その人のことがよく分からない(素性も分からない、考え方・世界観も分からない)まま、
分からないうちから、ほとんど皆目、いわんとする意味すら、わけのわからない言いがかりを付けられるようにして関係(音信、送受)をどうやら切られましてね。
もう、とにかく、何が、何だか、わけがわからないという、そんな人だったと思います。
註釈※ もちろん常識なるものが人数に支えられた「数と数への感受性の関数」だとすると、
人数を意識すること自体が危険なのであって、また逆行ですらあるのでしょうが。
※※ あらためて、人数を呼ぶのは堕落でしょうか。(私は以前より、
これを「増員」と呼んで「多数化」とを峻別し、別の意味を与えてきたつもりです)
※※※ 自己目的上の仮言において“相手の自認(ならびに願望さらには“実行”宣言)に対して他者が、正当に、強要する”がごときの「対自・相対化者、対向」。