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したがって、職能として、社会価値を高めるようにして多数化技能を鍛錬するよりほかない。
そこで他者を模し、さらにニーズを基準に他者を凌駕する戦略の、マニュアルとしての開発を、
組織を上げて重点投資部門で行うところが伸びるものの、
そもそも、潜在的にでも世俗的な性格の、大多数との距離の小さい思想が多数化するのである。
つまり伸びるために伸びさせることをもってする、無思想の純粋体が原理的に強いのだ。強いていえばそれ自体ないしは、その肯定が思想なのである。
(貴重であるかどうかは別として突出しての特殊個性、少数個性は、多数化しようがなく、
個性を捨てる意味もなくば、個別生活を守らんがため当然の如、遮断や、何某かの切り離し、幾許かの突き放しなり無視であるとか、もしくは無配慮、無遠慮を要するのである。
そして多岐各種の、あたりまえとしての序列的前提で迫りくるあらゆる対象へと、価値序列の覆しを図るのに、えてして相手を根本から攻める必要を生じるのだ)