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(回答先: 事実は何れ必要になるでしょう。“ただ「多数化」で広めようするだけでは、事実が死ぬということですね” 投稿者 竹光耀作 日時 2006 年 1 月 07 日 10:39:02)
インコは何が欲しい?
命‥‥人生に懸け、死にかけてまでの、情報あつめを労って欲しいのか。
生還し、凱旋するからには一番という名誉と、一番の待遇か。
(医者で芸人ならば、周りが騒いだり、動いてくれてあたりまえなのだろうか、
自殺事件では“嘘つきの親族、和夫氏”に、マドオンナと、
いろいろ長文の経緯説明も書いてやったはずだ。
正確な真実を遺族として詳しく(家族に説明できるぐらいにまで)
知りたいようなことを和夫氏が訴えていると思えばこそだろう。
今にして思えば、鈍く言い淀むように不審な態度だったろうが。
その時の、こちらの一連の大量投稿には‥‥“化けた”本人としては重々知っている、忘れもしない自分の、
訴えるべき直前までの経緯の転載が幾つも含まれていたとはいえ、しかし特に礼も無かったと思う
‥‥それでバレたりしない御礼であるはずなのにだ。
結局、振り回されたのは、賢明なところのある管理人よりも、根は優しくて真面目で騒ぎ好きなアラシ達だったようだ。
‥‥マドオンナがどう思ったかはしらない。あの時、マドオンナの投稿分は、
僕よりも少なくなったはずだし、マドオンナの性格からいくと何かのときの長文サービスは平気(で面白いの)だろう。
‥‥要するにインコの芸人根性? もちろん、この場合に限らず、人間がお礼をいわなければならない
義務は立証できないだろうし、こちらが勝手にしたことだろう、乗じて、あるいは信じて‥‥
(少なくとも論理主義者の僕が、証拠なしの状況において完全に信じたのではなくとも、)
だから礼ぐらい言えなどと指図するつもりもない。ただ世俗なら世俗の流儀でやるなら、まだ分かろうというものだ。
(ないしは“スケールのデカい”ことをいうのであれば“細かい批判”をしてこなければ、
こちらもいいづらいかもしれないが。そして命を預かる医者であっても論理・
道理が手薄という内情まで、決定的には露呈せずに済むのかもしれない‥‥)
だが、あれでは詫びもなく、幾ら今更いい出しづらかろうが皆や管理人に対し、
自分がした「狂言の部分の」事後の事情の、胡瓜でしたような釈明も(長らく)無く、これは身勝手というものだろう‥‥
というより、たとえネット上でも“警官”が見ていたら(私的にでも)一声かかるかもしれない行為ではないか。
振り回されたミャーの立場として‥‥本人の思想やペテン師の自称は別にして、
食い下がったのは理解できると思う。もし‥‥あれがなければ気にしていた
ミャーが泣き寝入りの形で、頬かむりに葬られてしまっていたはずだ。
ミャーは哲学的な、あるいは私的な意味を深く持たせていたようだが、同じではないか。
「恥ずかしい無意味な投稿」をしてしまいコケにされたのがたまたま3人とも
懐が深い‥‥というか、浅いのか‥‥アラシ三羽烏だったというだけのことだろう。
そういうところにも、世の“善意や”正直が、傲慢な優位者に
都合よく使われる構図を見てしまうのかもしれない。
人は表を見るとき裏が見えにくいと思う。陰謀にも、陰謀研究者自身に対しても)
※ 技能を高め、自分を優位にすること一本で評価を得た人間が、人に礼を尽くす面を著しく欠いて
いる場合、それが道理としての規範に抵触し、ましてや俗世の持続・拡張に
“積極的に”寄与している場合には当然のこと、相応の反応が許されるだろう。影響力が大きいと
目された人間について“専ら地域的に”処断されることになろう。たとえ桧舞台では人倫を掲げた大仕事に
取り組んでいようとも、その舞台が“地域的な場であれば、利害関係者‥‥住人の手で”。怪しい放射能除去薬を
販売していたらしい(大物)反戦活動家が裏では冤罪でも、建前として事実なら
逮捕に値する、という筋が通るのはいうまでもないだろう。
たしかにインコが僕にいう文言は(主観的な評価をともなう事実として)当っていることも多々有ったと思う。
それでも‥‥当たっても外れても実は、それほど腹が立たない。
だがインコの存在そのものが、僕を消しにかかる‥‥。
インコは、あっしら・ワヤクチャ同様に、アラシを否定する人間だろう。
そしてやはり、潜在的な影響力が大きいと思う。一部で偶像化されているような(虚像の)サカキバラにも匹敵する力(?)
それは冗談ともつかぬ「教祖」という言葉からも伺える気がする‥‥隠居ではなく教祖?
インコの、世俗(誘惑に満ち、過度の誘惑で成り立つような世俗)からの
誘惑によって‥‥多くの人々を消費階級制に取り込むようにして、
僕は、この存在性を必要以上に、下らなくさせられる。(‥‥或る意味、アラシとしての“存在意義”は高まる!)
親と同じで、僕の生気は奪われ、“じゃあ、(世間的に)判り易いことでもしてアクセスを集めろ”と(どこからともなく湧き
上がる声に、なのか)言われているような気がする。多数化批判の僕が何故数に吸着するのか、インコの抑圧の反動か。
‥‥インコが盛り上がれば、僕の(社会批判や深奥の諸々の)価値を著しく押し下げ、僕が相手にされないという図式(?)
この図式は今や、「ネタの無い僕」が嫉視して攻撃している、という話に矮小化され、単純化しているだろう。
妬視して邪魔して、去られて当然のことのように見えているらしい印象とは異なっていて
‥‥「重層的な事実の厚みのみで、抽象的な深みの無い」インコの報告や
その作業は、僕が“僕として”羨望するには到底、対象たりえないと思うのだ。
或る人などは、僕が番外からも、胡瓜からもインコを叩き出したいかにいっていたようだが。
そう‥‥一応のところのもの、
「鬱陶しい新人が現れたというインコの恐らく事実認識」や、
「ROMの人達の目に映っているのであろう外観」を突き抜けて、
裏にアラシがいることを古参の人は気づきかけているのだと思う。
しかし、根深い対立があるなら、これは、もう一時の感情の
問題であることを超えて構造の問題であるはずなのだ。
本当に‥‥真に、子供じみた示威行為(ストライキ)のようなことをする相手に、こちらも感情オンリーだったのか‥‥。
「福袋」1つとってもインコの“無邪気な煽り”は、
楽しい都市生活への呼び戻し、企業広告の代わりか、寧ろそのものではないのか。
陰謀の情報で人を集めては、俗な話題を振り撒く、2気筒2サイクルのマシーンのような在り方‥‥
見事に、2次広告線上にある、口コミ機械としての。
華やかな話に目を奪われ、裏に有る毒性への追尾能力を弱めては目標を見失っていくような‥‥僕は常に裏に拘り、
盛り上がりを損ね、白けさせてきたと思う。例えば多数化運動なら、盛り上がる価値は無い、
潰してもいいと思う人間だ。そこには肝心の出口が無く、徒に人のエネを掻き集め、希望を持たせ、
商売や、対抗権力欲に繋げ、何かしたような気にさせ、その遠い延長に結実を夢想させ、体制の
支配時間を、結局は延長させ、確固たらしめる補完ではないか。ここは大同団結? 結束? “馬鹿いえ‥‥”
だから梅田の、せっかくつくりあげられた運動ムードをブチ壊すような真似も進んで出来たわけだろう。