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およそ次のような仕組み(場合によっては“目晦まし”に陥るような機構)を想定するとする。
1.まず、それ自体を措定(追認)する。
2.それ自体に成長(増量)を属性として見出す(追認)、または他の属性から敷衍、ないし、それとで類比する。
3.全体に対して過去の自体を想起する(対照)、
4.全体から、内蔵する過去の自体を切り離す(実は全体を経由させつつ、意図して左様に自体へと戻したに過ぎないはずなのだが、但し、それを契機に用るなりし、強いてここで…)
5.自体からの独立は、複製をもってし、欠損を抱えないものとする(…恣意で)。
6.独立した対象に対し、所有権を認め、所属を持続させる(飛躍)。
「即ち、それを“衛星”とする‥‥それへの“親権”の延伸。」
0.自体は規模を留めているはずだから、増分を組み入れた新たな自体を置き、そこから、また発展的にプロセスを繰り返す。
そのとき次に独立する対象は、より大きな規模となり、大小の両者はそれぞれ成長後、
それらに見合った大小の自体を複製する。その際に複製される規模の値を起点として、
成長を反復しながら、さらに大きな複製へと向かうのである。
以上を纏めるとすれば‥‥
部分でない自体が、成長して「全体」化し、古い自体を部分とする、そのような「意味づけ」の変換が「往復」を契機として執り行われ、
なお且つ古い自体を分割せずに複製として析出し、しかも所属させるという、そういうシステムであるのだといえよう。(永続的・累積的‐算法)
また‥‥
1.基本の過程としては、その複雑さゆえに、追うのみに思考を麻痺させる側面、
2.普遍の原理としては、その単純さゆえに、敢えては誰も利用しなかった側面、
との特性をその実存諸相として挙げうるのではないか。
これらの「複合的な思考」の観察結果については、何某かの
精巧に構成されたシステムと評するより、構成者が
自ら上記の側面に巻かれるようにして出来てしまったと
視るべきなのであろう。そして、そのように出来てしまう
だけの心理的な必然性はあるとしたところで、残念ながら、
上に見るように、そうした展開プロセスの理路それ自体は
些か脆弱であるといわねばなるまい。ひとたび外形化されたのであるなら、
そうある以上は、この整合性の脆弱さの「現実」としての受け入れというものは、
(少なくとも理論としてならば)難しいものがあろう。したがってそれはやはり有無を
いわせぬ事象たるところの“不思議”の類として描写的にのみ処理するほかあるまい。
(実例)
記号の文字列で、改めて描出するに当たって、留意事項は‥‥
1‥‥判然とするように大文字を用いるものとする。
2‥‥同じ規模で産出せず、元の規模を基準として、僅か(1段階)
ずつ戻す操作で自明の単調さを免れているのであろう。
幸いなのか図で表しづらい級数的性格も奏功していよう(夢想への渡りに好都合か)。
※ “図”
(第1世代‥‥自体派生の相互関係)
A →AB →ABC →ABCD →ABCDE
A →AB →ABC →ABCD “第1子では、同型のプロセス。”
AB →ABC →ABCD
ABC →ABCD
ABCD