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例えば、右寄りの人や一般人が自衛隊のイラク「派遣」というところを、左派は「派兵」というでしょう。
「イラク戦争」も「イラク侵攻」と呼んでいたりしますね。
ところが、現在の震災関連死(累計)は6434人であるとの公式発表が出されれば、右も左もその数字をもとにして議論を始めるはずです。
日本では(官公庁で扱われる)事務的な数字のプロパガンダ性に対する警戒感が薄いかもしれません。(会計訴訟も地味ですね)
そして、そういう警戒感のホールがあるのだとすると
数字という情報パッケージには「隠しメッセージの機能によって」甚だ美味しいものがあるでしょう。
(例えばナンバープレートの“数列”の象徴性・ファッション性を想像してみてください。ただの「数字の並び」とはいえ、
「そこ」には“吉凶‐縁起から職種/階級まで”見る人が見れば詳しく判るほどのメッセージを暗示することができるはずです。
じっさいポケベルなどでは、数字でメッセージを送ってきましたね)
いわゆる「ボディカウント」のサイトで、イラク犠牲者について
病院関係者に聞き込むなどして死者数を検証し、独自集計していますよね。
概数ではなく1桁単位で、可能性として最大・最小の2つの場合に分け、
これら2つの数字の間に真の値が有るという提示の仕方で
(公称の員数の怪しさを免れながら)、政府発表となった数字への
政治的操作の疑いに拮抗させているのですね。
こうした国内外の数字への感度‥‥温度差もさることながら、
それが「戦争」なのか「災害」なのかというところで‥‥、
地震の場合は、孤独死をどこまで認定するのかといった点を巡って、
対応の遅れ、補償の出し渋りといった面で数字を槍玉に挙げることはあっても、
大きな桁の部分で、それも予算や施策とは別の、政教的意味合いでの変更が
加えられているのではないかとの側面には、
人は、相当に無頓着かもしれないわけです。
震災関連死の数字を動かすメリットが無いと思われているのは、
利益誘導とは別のところで生じた「偶発」の自然災害であるとの
前提があるからでしょう。それは人間は突発的な自然現象を制御・創出するレベルにはない
との、(少なくとも目立って紹介されている情報群のみによる知見をもとにした)或る種、信仰に近い、
現代科学像への迷妄なのかもしれないわけです。
もちろん自然災害だからこそ動く経済というものもあろうし、何より宗教的な利益誘導というのは
何を以て成果とするのかも不明となり、見過ごされ易いものと思います。
災害兵器の最大の利点であろうところのもの、
「1.敵に攻撃を悟らせない」
「2.作戦行動の時期も規模も確定し難い」
「3.世論、敵国憎悪を喚起しない」
「4.兵器の性格からして、兵器の原理や、宣戦布告なき民間都市攻撃という用法への基本的な認知、
合意が無いことからしても、さらには自国の秘密保有の面からも、国民へは詳細な説明がし辛い」といった側面が
大きくものをいっているからに相違ないでしょう。
PS
(ホームページ、またまた更新できなくて済みません)
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“ケム板”から、(数字と災害兵器)“転載”
http://www.t-xxx.com/joyfulk/joyful.cgi
117絡み、例の「神戸ヘリ」頻出の報告ですね。“1です”
http://asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/217.html
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