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例えば、その男を説明するのに「ネットナンパ師」「特技不倫」という属性を宛がうとする。
ここでいう不倫を(本来の語義がどうあれ、)夫婦に割り込んでの性的関係ぐらいにしておこうか。つまり、この
男はそういう関係を(特定の婚姻契約の不履行を受ける人間の苦に無頓着に)築くのが得意、というわけであろうな。
また、その為に「ここ1月に、最低でも3人落としていること」というネットナンパ師の条件→定義を設定してみる‥‥。
ところが、当月の収支としてみるに、1日当たり8時間の撒き餌(掲示板投稿、実名の反復表示)に従事し、労を投じたにも関わらず、
先月来、新規獲得客数がゼロであるとする。もちろんこれでネットナンパ師の資格は失効ということになるかもしれない。
すると、この男の内包は「特技不倫」のみとなり、「そういえば、あの人も不倫が多いな」などと、
外延が広がってしまい、同属アイデンティティは得られようとも、ID(個別性)までは得られないということになるだろう。
たしかに、夫々無制限に変化し続ける個別を定義することは出来ないはずなのだ。
したがって個の弁別においては「集合を輻輳させての、カテゴライズによる狭め」よりは「経緯連続性」優位なのだと思う。
なお“個別というものが時として、極限には常に、個別性をも裏切りうる”からこそ、個別と自由は
「個別自由」であらしめられているのではないだろうか。
すなわち「多様性への全体調整」を、避けるともなくであれ、乗り越えてゆけるということであるはずなのだ。
そして、この場合の個別性が識別的個別性であることは、いわずもがなであるかもしれない。