★阿修羅♪ > 昼休み6 > 188.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
‥‥あなたの人生は、常識的でしたか?(たぶん下らない!)
常識的に生きてきたということは、人並みに良くないこともしてきたということであろう。
常識を押し付けるということも、常識的に行ってきた常識人であろうから。
抑圧型パーソナリティー(常識を押し付けるような人)かどうかを
見分ける簡単な方法(確実であるとか何ら保証はしないまでも)は、
「常識」という言葉をいかに(肯定的に)頻出させているか、それが多い人ほど、
常識を押し付けて生きてきたと想像できるのではないか。(あくまでも想像だとしても)
極端な話、俗世間を離れた「霊的ステージが高い」と自称する人間でも同じことだろう。
カルトにはカルトの怪しい常識があり、その常識を押し付けようとするはずである。
こうしてみてくると、常識があるということ自体、押し付けたくさせるのではなかろうか。
常識というのは、知っていなければならない(何々していなければならない)のであるはずのものだからだ。
(規範ですら、自然にでも偶然にでも守れているなら、学ぶ必要など無いだろうに!)
常識とは、そういう性質をもった概念に相違あるまい。(根拠も無く‥‥無いと困ろうがどうしようが、それをしなければならないという根拠など無いのだ‥‥とするとどうだろう)
〔! 語義の中に「命令」を含む語彙というのは、珍しいかもしれないし、意外に少なくないかもしれない。批判語は相手に変更を迫る(条件つき)要求語だろうし〕
(経験というのにも似たところがあろう。時とともに状況が緩急をつけながら移り変わると通用しなくなるはずのものを、
「それ」が自分にはあるというだけで、知らない人間に対し、冷淡にも高慢にも居丈高にもなれるタイプ。
境界も定かでない時と場所によって、揺らいで変わりうるものに何の根拠があろうか、さらには基準も定かでないなら!)
(了)
‥‥自分は「本来は」常識的ではないと思っているであろう誰かさんに捧ぐ(笑)
‥‥貴方は世俗的でないときですら(超科学や、超常現象を語るときですら)常識を感じさせるね。
‥‥なぜなら‥‥恐らくは至極、簡単なことなのだが‥‥これぐらい知っていなければならない、と、こう来るからだ(笑)
(常識の基本、おわり‥‥押し付ける根拠も無しに人に押し付けなければ、別に知る必要も無いだろうが)
(※) 常識の押し付けが関数だとしよう。そのとき、押し付けf(x)に代入できる“x”というものは幾らでもあるだろう!
(‥‥慣習、技能、情報、美的感覚、言葉遣い、投稿マナー、考え方、愛とその表現までも!)