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「大小の権力に一矢報いたい」と誰か(例えば仮にKさんとしましょうか)が言ったとします。
Kさんは「公館」や「管理窓口」に押しかけてもムダだと思います。
滅却力は伝達力としては無力に近いほうじゃないでしょうか。
だからといって無論、むやみに人を集めてもダメでしょう。
たぶん、そこに権力が生じてしまいます。または権力に利用されてしまいますね。
(左翼役割として、左翼的正論主義では捌け口にも、見せしめにも、仮想敵にも、
重要な場面での囮にも、脇役として公平さの象徴にも使われるだけでしょうから…)
他方でKさんが「直球勝負」を試みようにも、それは「不可能」でしょう。
機械的・形式的に処理しようとしても、言語の文法および使用には、恣意性や権威性や、それに体制下の生活様式が
入ってしまうはずだからですね。厳密に定義されているかに見える法律用語ですら、原理からして恣意的でしょうし、
そうなると司法機関(均衡を演出するような体制補完の場)に頼るのも憚られるかもしれないでしょう。
しかし残念ながら、Kさんは記号が苦手かもしれません。
さらにKさんは、生物として代謝を要するだろうし、人間であれば寂しくもなるでしょう。
場が必要だと思いますが、場をつくる条件を満たすために、共通基盤には、世俗の
機能物資や意味要素を相当程度もりこまねば人間関係は円滑にいかないでしょう。
そして、守るべき滅却文化(正論体系)を遺産として存続させたく思っても、人が集まらねば、
人員というよりも、考えのリレーという意味において、運動自体がジリ貧になっていくでしょうね。
そこで場の構成要素として、例えば正論と世俗の笑いではなく、正論と逆構築の笑い
というふうに、オリジナルで俗の流れに拮抗する方向を探る必要があるのでは、と思っています。
逆構築の笑い1つとっても、しかし簡単にはつくれないでしょうから、
そして冗談としての冗談は免責されうると思うので、そこからすると、
とりあえず世俗的な笑いから脱色/着色していくしかないと思うわけです。
しかし、Kさんの個別性が、Kさん固有の世界観のなかで、死後の現世を切断できるほど
特殊性を高く保っているのであれば、以上以下の話(運動の、死後の安定とか)については、大幅に捨象できると思います。
そもそも独自の人は孤高であったり、疎外との相乗で人間関係のキープ力が弱かったりするでしょう。
そういう直球型の人にありがちな機械性の、字句どおりの潤滑油をかんがえるときに微妙な問題に突き当たるはずです。
生涯に出会いえた特定のリーダー、その人一代の人徳を潤滑油としてカリスマ的な場を形成する行きかたは、
たとえそれが容易であっても、目的貫徹(完遂、延長、恒常化)型の、運動的な立場をとる場合には、不適格かもしれません。
もちろん機械的な直球を、限定(占有)的に大好物とするような人物であれば、
潤滑油なしでも自身はやっていけるのでしょうが。
逝くまで機械的に抗議反復を繰り返していられればいい、という姿勢だけなら、途絶まででもいいかもしれません。
しかし、一矢報いたい相手が多過ぎて途方に暮れるでしょう。
理想として、完全個別性で完結できるなら、それに越したことは無いのでしょうが、
多少とも持続力を得たい(そして押し返したい)と思えば世俗でない共有(規格)を実現するのもよいでしょう。
滅却は分解、還元、または問題となる外形の構成を再生、復元するという方向の生産しかしないかもしれません。
それで滅却は、その場合には、逆構築を要するのだと思っています。
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(芸に対するニーズが実は無い、評価していない人を苛立たせても)
スレッド『(タイトな)滅却は(ふやけた)逆構築を要するか』より転載。