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なかなか自身の悪部や、家庭の支配に踏み込んでは、人は
力学的・解剖学的構造に触れてくれないと思います。
そういう話を振って貰えると気分的にありがたいです。
ただ切り口によって持ち合わせが無いのは御容赦を。
何とでもいえなくはないでしょうが、そこは、ほかならぬ
△○さん相手ですから、たちまちのうちに、素性の悪さを
見破られてしまうでしょう。元より論者というものは、イザ己の
身辺に至ると話が変わるということがあると思います。正反対に
までは飛ばなくても、遠い政治や国際問題と、身近な家庭内構造
とは別の思想で処理されるのかもしれません。それを繫ぐのが、
左翼思想とか、スノッブなリベラル(修正主義的、体制補完的、
仮想脅威的な?)でしかないのなら自ずと浮き上がる思想と
いえば、それらということになるはずです(逆ですかな)。
「悪意の暴露」は陰謀論者もそうであるはずで、では
日常左翼の固有色は何かというと、弱者救済で
あったりするでしょう。しかし、家庭用左翼が
フェミというベータ版だったりすると強者救済との
右の方からくる謗りは免れえないかもしれません(笑)
いずれにしても親のアウラなるものが、「直接の力」(見る側に在る
実績経験の蓄積)を何とはなしに装いながら、権威として製品の
ように形が磨かれ、万能化して現前しているかもしれないわけ
です(多くの、から、全ての、までの抽象的飛躍が原理ですね)。
そして、そういうワンクッションのほか、権威の供給元を見るとメイド
インステイトとなっているのはもちろん…父親から父または父一般へと、
観念的な役割祖形に置換されている辺りは御指摘通りでしょうし、国家が
胎を痛めた像的父親のバリューは国家の眼球を通じ眺める国民の仰角ですね。