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◎唯脳論
◎身体直結宇宙論
○身体直結身体論
自己を見出せないという自己も、自己を客観として対象化しているに過ぎないでしょう。
そうすると、対象としては現象の報告に惑わされて分解したり、他者と癒合する話が出てきたりする一方、
ときには客観としての対象が、対象化するのをやめることで消えるかもしれません。
そもそも客観から自己を演繹または帰納しようとしても、
その客観性には、常に疑問符が付いて回るのですね。
(これが、あくまでも具象か、直観できない具象の話だとすると
論理や、或いは外形、逆に、それを基礎づける内実は違うかもしれませんよ、基礎づけられるなら‥‥
外形には主体や、契約なども含まれると思いますが)
陰謀論をサポートする人は、
周辺科学への吸着性を潜在的に持っていると思いますが、
他方では、現象面を追究し、裏の現象を現象として補完・結線しているという事実性もあるはずです。
まあ、じっさいにはオカルトに行くか、世俗に行くかで、小難しいことを避け、
あまり奥まったエアポケットに滑り込む人は居ないということでしょう。
PS
(それと「疑問が疑問でしかないと疑問を避けるしかない」との、
これもまた“論理”というものがあるわけでしょうね)