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どうしようもない固定性が、自然の本性であるとき、
自然の限られた内容を知ることそのものが、
固定性からくる倦怠への慰撫であったはずであるな!
さあ、あとは当の固定性を知ることのみとなったかも知れぬ!
科学は固定性を語り尽くすまでは(少なくとも前を
見ている間は)堅気で生きて行けた筈なのである。
だが誘導されたのか、
人々は無限という夢想を科学に望み、
それがもとで科学は、それは重く深く、
枯渇した大地を見遣りつつ
苦悶したかもしれない。
ついに科学は、過小な真実よりも、人の剥き出しの好奇心を
満たす第2芸術となったのか。(真実を過小に視る!?)
好奇心とは夢であろう!
検証不能な、検証するには貧し過ぎる科学は、知られざるを
いいことに、見えもしない声となったに相違あるまい!
しかし、科学は食いつなぐには贅沢な地位を与えられ過ぎたのではないか。
そして科学は、密かに差別を始めなかったと言い切れるか。
この戦略は踏み絵であろう!
この奇妙奇天烈な論理的帰結を受け入れるか否か?
そうは問わなかったはずだ。
汝に、これが理解できるかと問うたはずだ。
“あざとく即座に事情を察し、恩典過剰に頷けない顔色に、哀れにも見開かれた眼”
墜落の印たる具体形は、科学よりも社会からの放逐となろう!
そうやって新たな科学は認められたにしても、
決して、認めさせたとは言わせてくれぬだろう‥‥
これが脅迫でなくて何か!
これが科学的に洗練された
カルトの手口でなくて何であるといえるのか!!!