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(こんな風に想像を巡らせてみました。如何でしょうか)
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○食の3機能を挙げるならば、1)飢餓(感)対策、2)礼節確保、3)食餌誘導であろう。(代用供物である等、信仰経由は除く)
○1)の飢餓(感)対策とは、嗜好・享楽の正反対であり、疾病回避の裏返しといえるかもしれない。
○大規模戦闘時には貯蔵兼用食が有効で、貯蔵兼用食の優位性は、
3)の食餌誘導に利するところ大なる点を、理由とするに相違あるまい。
○成果物を即(早期に)平らげねばならない日用収穫食(日用購入食)に対し、
食事・正餐・祝祭…に時間差を設けられる品目(貯蔵兼用食)は、
食糧を搬送するのも不自然ではなく、さほど供出に疑義を呈されずに済むことだろう。生産者は一旦、食料から引き離され、
食糧は政治的決定や、官民から介入される市場を通して分配されるのが常であるはずだ。
○しかしながら、最も重要なのは万人が(支配側ですら)自然対象(自然環境というよりは)と引き離されている点と思われる。
そこで(ひとたび品目が選定されれば)配給調整が行われ、忠誠(忠誠能力)に投資するような形で(指定階級に則って)制御し、
また独自の様式を盛り込む様な加工をしたのち再編する、その余地(分配時間)を掌中のものとすることが可能ともなるであろう。
(再編は家庭内でも行われうるはずである)
つまり貯蔵兼用食は「支配に有効な投資先を見積もるのに充分な」時間を与えるくれるはずなのだ。
有効な貯蔵期間が収穫周期を上回れば、蓄積も叶うであろう。
○かくして食品によって例えば医療形態(業界内容)も変わるだろうし、
品目ごとの生産力が政治的奨励・部門育成によって差を生じているなら、
産業形態全般も異なってくるだろう。
○生産食品の形態が栄養状態そのものに反映されるということは、貯蔵兼用食を食生活(生活万端)の中心に据えたが為に、
不効率な摂取様式で、恒常的な栄養過不足の環境(疾病の温床)に置かれ、
免疫力の微弱な状態で工業由来物質に晒されていることにもなろうかと考える。
○かつ食物が暗室を経て、商品として配給されるということは、そこに何をか付け加えられていると疑わざるをえないであろう。
他方では配給様式(儀・礼)そのものが、上下意識の醸成(敬語に比するような)に成る、
つまり、食品に食品文化を連動させるかに制度・慣習・文化を設置してあるということではないか。
(かようにして家庭内でも密室性の大小を競うかに、上位者が食諸相の決定権を握るはずである)
○遠距離運搬もされる加工品としての食品は、物流上の身体毒と、
物を介した放散型通信における付箋としての精神毒(虚偽)とを、
恐らく小分けして微量で作用させていきうる。
食品購入を市場で品定めする習慣は、
市場での優位で決定されるという(すなわち自然を抜きにした無数の管理地点から成る、完全な制御範囲であるところの)、
異様さを覆っているだろう。
また検索による生産者直接訪問に依らない、市場購入制(化)は、
大規模広告の注視へと収斂させる層流(吸引力)を生成せしめるはずである。(市場購入は現状不可避でも吸引力に抗する、
または絶縁し無関係に振る舞うその姿勢は、不立に留まらざるをえないとはいえまい)
○また統合的に大規模な広告は、伝言自体の(恐らく販路と重なり、逸れもし、より広い)流路を行き渡らせている為、
依存症型消費者への誘惑とともに、そこへは別途、支配用の宣伝部分を載せることも可能であるはずなのだ。
○特定産業の振興を重点化するのとは別に、伝統文化レベルの基層において基軸化されてしまった品目(食材)そのものが、
余剰となり、膨れ上がった生産人口の既得権を護る為に、その流通先を確保するほかなく、
否応なく開口し、何気なく口にすることになるような生活提言が姦しく為されるか、
暗にそういう制度で食生活を規制しているかもしれない。
○「思想」と「体質改造因子」の、生活への持ち込みを意図しうる、「卑しい」か「怪しげ」な食品内容(諸毒)を持った、
食品形式(品目・分配体制と、その付加意図の反映)という構図で己等を挟むところの内容・形式両面を、
今一度じっくりと眺めてみる必要があるかもしれない。
食の体系を吟味し、定式化するとしても、それはしかし、
選良にありがちな「他者の描写成果の取り込み」と速射ではなく、
一部の犠牲者どころか「日々実は被害を蒙っている己」の自覚から、
己の問題として、己の目で観察し、観想し、また想像することをも、夫々意味しよう。
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必然発散食とは何か──。
主食環境下で、生活苦を緩和させ、意思疎通を潤滑させる機能を担う食品。素材として指定環境下で容易に調達できる種の。
では必然補充食は。
主食環境上の余地で、主食とは好対照に摂取栄養素の均衡を齎す、諸条件下、肥育可能な食品。
ならば必然調和食は。
その(主食環境を生んだ)生活様式、感覚様式(精神文化)に適合する食品。
そうであるなら必然(1次・2次)食は。
主食属性に適合する食品、または、この1次食に親和的な食品。
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○足元から変えるということは、体制と不可分な、
少なくとも不即不離なる己等の、管理下生活そのものを見直す必要に迫られる、ということかもしれない。
己が問われ、窮するというなら、己にも改善の余地あり、ということだと思われる。
また支配側でもない限りは、(かりに支配側でも、長期に基盤形成まで遡れないのでは承継した中の)
足元しか変えようが無いだろう。
○他方、足元を眺めれば、まだまだ動くべき内容/形式が潜んでいそうだ。動くべきものは、動きそうにも思う。
「動くべきだ、と人が動いて」ということを待たずしてでも、動かさざるをえずに動くことがあるかもしれないのである。
そんな風に動く余地を見落としているなら、その礎石を動かせば構造体が動く可能性はあるだろう。
尤も、それは可能性にしかず、実行(打開)以前の「動く可能性」でしかあるまい。
○動かす力が限られているなら、わざわざ巨岩を動かすまでもない、すなわち己のほうで動けばいい話であるはずだ。
何れにしても己を動かすしかない、というのであれば迷わなくていいではないか。
“悪意に満ちた支配史の解明に時間を割き、労を掛け、
危険を背負って実践し、孤立するのは虚しくもあろうが”
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(時世容姿純化)
○容姿購入、容姿入籍、容姿編入(遺伝)
○容姿加速、容姿周期、容姿反動(勢力)
(無形価値禁忌)