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“多数女性の男女選び”仮説
●1‥‥“世俗基準”に「適う」異性を選好
●2‥‥“規格社会”で「強い」異性を選好…(延命/獲得)
●3‥‥自分とは、すなわち「基準」である、とするならば、
●4‥‥基準とは「混濁していない基準」なのではないか。
●5‥‥それは自分で採用した「基準」であるべきだろう。
*「(直接経験…知覚反射…再編蓄積)基準」
●6‥‥他方それは、「外界の事実」の(外界からの)嘘で…また「真偽ともにの情報の、回収指向性、
取捨基準の嘘」ででも…「特段に」自ら望まない限りでは
混濁されていない種のもの(基準)であるべきだろう。
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“本日の素朴な疑問”
自然死を自然に包括する全体が「存在」し、それが個の内に完全に理解され、個が
幻なのであれば個は全体の内で(全体の名で、その為に)殺してもよいはずであるし、
もし己にのみ生殺「与」奪の権能が存するならぱ自他の区別の無い己は他を傷つけてよいだろうし、
それを「他者が拒む」「口実の」人格的法則に当たるものが、モラルとして発見されたわけではないはずなのである。
さらに・・・そうなると、個が幻のほうの一部になってしまったり、(その伝からは)そうした処理をさえも
叶わしめられるということではないか・・・?
米
被害自体が自身であり、
「負の」「関係存在」で、
理由自体が権利であり、
根拠自体が規範でなけ
ればならない、ということ
なのかもしれないわけだ。
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