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2004年11月に紙幣の肖像が変わった時、1万円札の福沢諭吉も変えるべきだったのか?
福沢諭吉の思想とは何ぞや、どんなものかというところから考えていくとなかなか哲学史・思想史的に興味深いテーマだとは思います。
戦後の一般論では、福沢諭吉は脱亜論を書いて脱亜入欧を唱えたアジア蔑視主義者だ、というにんしきでした。
ところが数年前、福沢諭吉全集を研究し直した結果、アジアを批判するような部分は弟子が諭吉の名で発表していたものだと分かったようです。
(『福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す』安川寿之輔・著
『福沢諭吉の真実』平山洋・著)
しかし福沢諭吉がどんな思想家であれ、他の紙幣の肖像が変わったのだから同じように変わるのが普通だと思います。
あるサイトでは、流通量が一番多いから続投させた、という説明にならないような説明がされていました。
あえて続投したのは、何らかの意図を感じます。
日本史には福沢諭吉意外にも立派な人はいるはずです。
日本には福沢以外の人物がいないというわけでもあるまいに。
また、福沢諭吉=1万円という刷り込みができるのは、真の福沢哲学の研究にとっても不幸なことだと思います。
(1万円札の肖像になるのが偉いことなのか?
また逆に、福沢は単に1万円程度の価値なのか、とも言えます)
変なイメージ付け・先入観なく本質のところから考える必要があるのではないでしょうか。
高額紙幣の肖像画になって嬉しい、何て思ってるのは、一部の現世利益主義に走った慶応大学関係者の自己満足に過ぎないのではないか。
こちらで福沢1万円札続投についてのアンケートやってます
→ http://utseqt.exblog.jp/737265/